こういう降旗康男の目線に、彼の作家性を感じることが出来る。東映時代、二人のコンビ最後の作品は「新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義」(72年)となったが、これにもエピソードがある。
「“もう、この脚本ならやめましょう”と俊藤さんの家で話している時に、電話が入ったんです。撮影所の組合と会社が団交している時に暴力事件が起きて、逮捕状が出るというんですよ。捕まる予定なのは10数名。そこで僕は“俊藤さん、脚本は現地へ行って直すとして、その連中をスタッフとして北海道のロケ地へ連れて行きましょう”と言ったんです。俊藤さんは“お前、そんなことしていいのか”と言ったけれど、そうするよりしょうがない。俊藤さんが駆けずり回って会社と話を全部付けました。その後、“こんなことしたら東映では、もう監督できないぞ”と言われたけれど、“いや俊藤さんも、そろそろ東京から京都へ撤退するでしょう。そうなれば僕ら一緒にやっていたものは追い出されます。そんなこと、気にしなくていいですよ”と返事しました。ただ組合員のスタッフが時間外拒否やストライキをすると困るから、同じ人数のフリーのスタッフも就けろと言われ、スタッフだけで100名の大所帯になってしまった。ロケならそれでも良かったんですけれど、撮影所に帰ってきたら人が溢れてステージに入り切らない。それを見た健さんが、“監督、嫌だって言って帰っちゃったぞ”とか言って、会社を刺激してくれたりね。結構楽しんでいました」
■「冬の華」
©東映
程なく高倉健は他社の映画にも出演するようになり、この2年後フリーになった降旗監督はTVの“赤い”シリーズなどを手掛ける。その二人が再会したのが78年の「冬の華」だった。
「脚本を書いた倉本聰は、僕の大学の後輩でTVの『大都会』の時に会っていました。後で知ったんですが、『冬の華』は将軍(山下耕作のこと)が監督する予定だったんです。でも倉本が“一言一句、変えたら脚本を引き揚げます”と言ったんで、将軍は怒って降りちゃった。それで“赤い”シリーズを撮っている時、俊藤さんから僕のところに“読んでもらいたい脚本がある”と連絡がきた。読んでみたら面白いんですね。それですぐに京都へ来てくれという話になって。倉本と打ち合わせした時に、“何か言うと脚本を引き揚げるんだって?”と言ったら、“全部任せます”って、そこは先輩の強み(笑)。でもほとんど脚本は直しませんでしたね。あれは倉本が一番乗っている時に、書いた脚本だと思います。僕としては、また健さんと仕事が出来ることにも感慨がありました」
■「鉄道員(ぽっぽや)」
©「鉄道員」製作委員会
この「冬の華」から、新たな降旗&高倉コンビの映画が始まる。“足長おじさん”をベースにした「冬の華」は、シャガールの絵が好きな藤田進演じる組長が出てきたり、クロード・チアリを音楽に起用したりと、東映のヤクザ映画の範疇から外れた、洒落たタッチが光る作品だった。今もこの映画のファンは多いが、当時の東映内部ではもうひとつ評判が良くなかったようである。それが理由か、次の「駅 STATION」(81年)以降、89年の「あ・うん」まで、彼らのコンビ作は東宝で作られていくが、99年、降旗監督と高倉健は、原点である東映東京撮影所で「鉄道員(ぽっぽや)」を作った。
「あれは坂上順を始め、撮影所の人間が立ち上げた企画です。ただこの映画を撮ったあと、“『鉄道員』は癒しの映画ですね”という手紙やメールをもらいました。でも僕の想いとしては、怒りの映画なんです。あれは北海道の歴史を背景に置きながら当時の国鉄、今のJRですね。そこで働く人間が、ちょうどアメリカのグローバリズムが来た時に、どうしてこんなものに俺たちの生活が壊されなきゃいけないんだって。そういう怒りを込めた作品だと思って撮っていたんですけれどね。アメリカを中心とした世界の、お金をかき集めて生きればいいんだということが公認された時代に、置き去りにされた人たちの怒り。だから主人公の死は憤死だと思ってやっていたんですけれど。そういう僕の想いは周りの反応を見ていると、届かなかったのかもしれない。しょうがないことですけれども」
■「ホタル」
©2001年「ホタル」製作委員会
「鉄道員」以降の降旗監督の作品には、時代や社会に対する彼個人の想いが投影されるようになってきている。それがより明確に出たのが、前作に続いて坂上順プロデューサーと降旗&高倉コンビが組んだ、オリジナルストーリー作品「ホタル」(01年)だろう。
「僕自身は、特攻に自分の切実な想い出が入っているから、逆にやりたくなかったんです。でも健さんが知覧で特攻隊を見送った食堂の女将・鳥濱トメさんのドキュメンタリーをTVで観て、“これ、何とかならないかな”と言い出して、健さんと坂上に連れられてとにかく知覧へ行ってみたんです。僕は故郷の長野県の浅間温泉で、10歳の時に特攻隊の人たちと会っているんです。僕に桃缶やチョコレートをくれて、“君たちは少年飛行兵なんかに志願するなよ。もう戦争は負けなんだから。君たちは科学者になってくれ”ってその人は言ってね。当時の兵隊さんの感覚では、日本には科学者と外交官がいないと。だから僕らに、そういう大人になってくれと想いを託したんです。知覧の特攻隊の記念館へ行くと、兵隊さんの写真がたくさん飾ってある。僕は会った人の顔を覚えていませんでしたけれど、その写真を見ていたら、僕がここに連れてこられたのは、何か運命なんだなって。坂上や健さんにもいろんな想いがあって、まとまるかなと思ったけれども“とにかくやる!”と思ったんです。それで資料を調べてみたら、あの頃、浅間温泉に来た特攻隊の隊長さんが、朝鮮の人だったんです。だからとにかく朝鮮半島へロケーションに行って映画を作ろうと。そういうメチャクチャな想いから企画が動いていったんです」
「ホタル」とは降旗監督や高倉健、坂上順の、昭和という時代を生き抜いてきた男たちの情動が作らせた作品と言えるかもしれない。その過去への想いを超えて、降旗&高倉コンビは「あなたへ」で、様々なしがらみから解放された、新たな映画作りの岐路に立った気がする。
「いや健さんも僕も歳ですから、いろんなところをさまよって、新しいものを探しているだけのことです」
彼らの映画と共に歩む旅は、これからもさらに続いていくことだろう。 (文=金澤誠)