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日本映画のススメ Vol1 俳優・高倉健×監督・降旗康男 「あなたへ」公開記念特集 INTERVIEW 降旗康男監督が語る高倉健との仕事 20本の映画が培ったもの

高倉健との仕事への近くて遠いプレリュード

「あなたへ」の解放されていく主人公には、降旗&高倉コンビの新たな境地が見て取れる。その二人が初めて出会ったのは、今から55年前。当時の降旗康男は助監督見習い、高倉健はデビュー2年目の新人俳優だった。

「美空ひばりさん主演の『青い海原』(57年)という映画に僕が就いた時、春日八郎さんがひばりさんの恋人で、健さんは敵役で出ていたんです。その頃、ひばりさんは“ひばり御殿”と呼ばれる豪邸を建てていて、健さんに“家へ寄ってください”と言ってきたんですね。ひばりさんは主演だから出番が多いけれど、健さんは時間的に余裕がある。だから合い間に仲のいいスタッフを連れて、ひばり御殿へ遊びに行っていたんです。でも撮影時間になると連れ戻さなくてはいけないから、その見張りとして同行したのが僕なんです。ひばり御殿で宴会が始まると、実は健さんはもう帰りたいわけ。でもスタッフはお酒が入って“まだ大丈夫だよ”と言って飲んでいる。それで撮影時間に2回ほど遅刻しました。この映画の監督は小林恒夫さんでしたが、遅刻して僕を怒ったら健さんを怒ったようになってしまうから、演技事務の人間を怒ってね。健さんとその人間が怒られているのを、顔を見合わせて見ていたのが出会いの頃の思い出です」

打ち解けた感じの二人だが、それから65年の「昭和残侠伝」まで助監督・降旗康男は高倉健の出演映画に関わっていない。それには理由があった。

『青い海原』を撮っている時、かなりの強行スケジュールでスタッフが参っていましてね。あるとき録音助手がでかいマイクを、ひばりさんの目の前に落としてしまったんです。ひばりさんのお母さんが怒って、録音部を全部交代させろと言ってきた。そうしたらスタッフは “こういうスケジュールでやれといった、会社の責任じゃないか”と言い出してね。僕は後ろで見ていて、ここは素晴らしい職場だと思ったんですよ。それで最後に製作部長が“分かった、俺に一任してくれ”と言った時、思わず僕は“任せてくれでは、具合悪いんじゃないですか。首を懸けると言ってくれなきゃ”と思わず言っちゃったんです。結局その製作部長がひばりさんのお母さんに頼み込んですべてないことにしてくれたんですけれど、後でその人から、“お前みたいなのと付き合っていたら、俺の首がいくつあっても足りない。もう、東映のスターが出るような映画にはお前を就けないぞ”と言われたんですよ。それで売り言葉に買い言葉で“いいですよ。スターの映画がやりたくて入ったんじゃないんだから”と言ってしまって。僕は冗談だとばかり思っていたら『昭和残侠伝』の時--そのときにはもう別の製作部長になっていたんですけれど、“降旗君、すまんがスターの映画だけれど就いてくれるか”と言われたんです。あの話、まだ生きてたのと思ってね(笑)。振り返れば確かに家城巳代治さんとか田坂具隆さんとか、東映のスターが出ない映画ばかり就いていたんですよ。それで8年ぶりに健さんと仕事をすることになって。会った時、“健さん、スターになっていたんですね”といいましたよ(笑)」

翌66年、降旗康男は「非行少女ヨーコ」で監督デビューを果たし、第2作「地獄の掟に明日はない」で高倉健を主演に迎える。ただこの映画が出来るまでには、紆余曲折があった。

獄中の顔役

「獄中の顔役」

©東映

「東映が池部良さんの作った池部プロをバックアップしていて、僕がそこへ行くことになったんです。その前に『網走番外地』のプロデューサー・植木照男さんと、『地獄の掟に明日はない』の元になった脚本を作り始めていました。そのころ植木さんと石井輝男さん、健さんの仲がうまくいかなくなって『網走番外地』シリーズが出来なくなったんです。でも東映では健さんのシャシンが欲しい。それで急遽、僕らがやっていた脚本で撮ることになったんです。当初は助監督の昇進映画にするつもりだったんですが、急に決まった企画だから撮影日数が二十三、四日しかない。それだと新人には荷が重いということで、僕が東映に呼び戻されて監督することになりました。でも自分でやっていた脚本だし、大丈夫だと思ったんです。ところが長田紀生というライターがまとめた脚本を、高岩肇さんが東映調に書き直していたんですよ。それに当てはめてキャスティングも進んでいてね。何とか元の形に戻そうとしたけれど、いっぺん直した脚本はなかなか元には戻らない。この作品では健さん演じる原爆症のヤクザって処が主体の話だったんですけれど、その部分が全部なくなっていて、これをどう復活させようかと頭を悩ませました。でも完成したらね??当時、健さんは江利チエミさんと結婚していたんですが、“うちのが、あんたいつもこういう映画に出ていればいいのにと言ってくれました”と健さんは僕に言いました。チエミさんはこの映画を気に入ってくれたみたいです」

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profile

降旗康男 (ふるはた・やすお)

1934年、長野県生まれ。57年に東映撮影所に入社。助監督として活躍後、66年「非行少女ヨーコ」で監督デビュー。「駅 STATION」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を、「鉄道員(ぽっぽや)」で同賞および同監督賞を受賞している。

高倉健 (たかくら・けん)

1931年、福岡県生まれ。55年、東映第2期ニューフェイスで東映に入社。翌年「電光空手打ち」に主演し、デビューを飾る。以降、東映のスターとして活躍を続け、「非常線」「森と湖のまつり」(58)などを経て、「日本俠客伝」(64〜71)「網走番外地」(65〜67)「新網走番外地」(68〜72)「昭和残俠伝」(65〜72)などのシリーズで任俠映画の一時代を築く。74年の「無宿」を皮切りに他社の作品にも出演。以降の主な作品としてて「新幹線大爆破」(75)「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」(77)「冬の華」(78)「遙かなる山の呼び声」「動乱」(80)「駅STATION」(81)「居酒屋兆治」(83)「あ・うん」(89)「四十七人の刺客」(94)「鉄道員(ぽっぽや)」(99)「ホタル」(01)などがある。また、「燃える戦場」(70)「ザ・ヤクザ」(74)「ブラック・レイン」(89)「ミスター・ベースボール」(93)「単騎、千里を走る。」(05)など海外でもその名は知られている。77年のキネマ旬報賞ほか、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など主演男優賞の受賞は多数。1998年に紫綬褒章を受章。2006年には文化功労者に選出された。

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