パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
現代演劇の良くできた戯曲かと思ったが、米国のテレビドラマが原作ということで驚いた。相談者に課題を与えて望みを叶えてやるファウストのような男は、いったい何者なのか。どうして相談者たちは、カフェに座っているこの男に相談にくるのか。説明がないので、色々と余白を想像で埋めることができる。カフェの限定された空間を描くために、スタジオセットかと思うほど考えられる限りのアングルやフレームサイズ、人物の動線を駆使していて、映像を演出する側の挑戦が感じられた。
美しいソン・イェジンが主演を務め、しかも女子大生を演じるファンにはたまらない場面が多くあるのだが、十数年前に竹内結子の主演で日本版のオリジナルを観ていたので、段々とソン・イェジンが竹内結子にしか見えなくなり、そこに同じ物語を二度観なくてはならない苦痛も加わったが、高校時代の彼女が『ノルウェイの森』を読んでいる挿話があって、冷えきった日韓関係を映画や文学が文化面で結びつけることもあるのかもと思ったら、日本公開に意義はあるのだと妙に納得できた。
パリの名門高校の教師が、バンリュー(郊外)の中学校に通うアフリカ系、中東系、アジア系などの多様な学生たちと向き合う姿を描く。低所得者層の移民はフランス社会において隅に追いやられ、反マクロンの黄色いベスト運動で怒りを表現しているが、そのような家庭から通う子供たちだ。俳優のドゥニ・ポダリデスによる、厳しくも愛情の深い教師の演技が見事。彼が生徒たちと関係を築く様子を、監督はシネスコサイズの手持ちカメラを使い、切り返しショットで映像的に表現している。
これがガス・ヴァン・サントの新作ではないなんて……。15歳の少年はオレゴン州ポートランドにある競馬場で仕事を見つけ、ワシントン州スポケーン市で過ごした中学時代の思い出を抱えつつ、馬を救うためにワイオミング州を目指す。筆者はスポケーン市に暮したことがあり、北西部の風景、郊外、人々のアクセント、ピックアップのトラック、トレーラーハウスまでが懐かしく感じられた。主演俳優は「マイ・プライベート・アイダホ」のリヴァー・フェニックス以来の繊細な演技で魅力的。
生きている限り、人は何らかの欲望や願望から逃れられないと思っている。けれどそれが叶えられるとなると、そのために強盗をするだろうか。幼い少女を殺すだろうか。人が集まる場所に爆弾を仕掛けるだろうか。もちろん、謎の主人公が次々にやってくる相談者に課すこれらの課題は、犯罪行為ばかりではなく、全ては伏線。ワン・シチュエイションで紡ぐこの会話劇は、人生の哲学書の趣がある。誰もが楽しめると言えないのが難点だが、伏線の読み解きに没入する至福をたっぷり堪能できる。
この映画のオリジナルはご存知、竹内結子と中村獅童の主演の同名作品。日韓相互でリメイクが数多の昨今だが、その背景にはテーマの普遍性が一要因にあるのかも。夫と息子に思いを残して逝った妻が戻って来るラブ&ファンタジーは国を超えて共感できる。迎える者にはただ側にいてくれるだけでいいという究極の愛である。父子家庭の混乱ぶりと、思いが通い合う三人の日々は微笑ましさとロマンスに彩られている。こちらの世界に戻ったあちらの世界の女性を演じるソン・イェジンが◯。
ドキュメンタリーのリアルさとドラマの面白さを併せ持つ。フォトジャーナリスト出身だという監督の資質のなせる技だと思うが、主人公の教師、生徒、学校側の三者の関係を立場の上下ではなく、人として交わらせているところが決め手である。分けても、エリート校から教育困難校に赴任してそれまでのやり方が通用せず打ちのめされ、その後に自分の方法を見出す主人公のキャラクターの立て方が素晴らしく、俳優もうまい。貧困と教育の問題は日本も同じ。面白くてためになる優れものだ。
A・ヘイ監督の、心の内を静かに見つめるうまさは前作「さざなみ」で証明済み。今回はさらに磨きがかかったよう。その一つがアメリカンビスタで撮影したこと。結果、画面(広大な荒野)に映る人間がより小さく見えて、居場所を失くした少年の孤独や寂寥が胸をヒリヒリさせる。主人公を演じる俳優の申し分ない容姿と繊細な演技は、これ以上悪いことが起きないようにと、終始気をもませる。彼を取り巻くブシェミをはじめ、クセ者俳優の面々の存在がそれに貢献大なのは言うまでもない。
舞台はあるカフェの店内のみ、しかも主人公は座席から一歩も動かない……どうしてわざわざ映画でこんな無謀な試みを……しかしちょっと待て、この状況、何かに似ていないか。映画館の客席だ。上映中の観客は基本的に限られた空間に留まり席を立たない。それぞれの心の声をセリフにすれば会話劇だって成り立つ。問題は主人公の男に感じる居心地の悪さだ。正体不明の男に抱く嫌悪感は、無名の傍観者でいることによって高みからスクリーンを見物している、自分自身へのそれと同じなのだ。
日本版の公開から10年以上経ってのリメイク。記憶喪失、生まれ変わり、もしくは蘇りの要素は韓国映画の得意分野だからむしろ遅すぎたぐらいか。さらにコメディ要素をがっつり入れてきているのも韓国的で、リメイクとしては成功かもしれないが、逆にジャンルとフォーマットの安定感が強すぎて作品独自の個性には欠けるきらいも。その中で、日本版には登場しない役どころで出演しているコン・ヒョジンはサプライズ。この人が演じるとたいていステレオタイプの女性像にはならないからだ。
名門校の教師が荒れたクラスに革命を起こす……といっても人は一夜では変わらないし、同僚のやっかみだってある。その生々しさが、しかし適度な距離感で迫ってくる。ドキュメンタリーよりもドキュメンタリーのように。それは二年かけて実際の中学校で出会った子供たちに自身を演じさせたという作り方の成せる技だ。教師役のドゥニ・ポダリデスも素晴らしい。生徒が登校する、それだけの地味なシーンが、小さくて大きな瞬間になる。終わり方までフランスらしいエスプリが効いていて見事。
少年に降りかかる過酷な現実がつらい。恵まれているとは言えない環境で育ちながらも、慎ましく誠実に生きていただけなのに、試練ははるかに重く、大人たちは彼に過剰に手を差し伸べることもしない。たった一人で荒野に放たれた少年の孤独が胸を打つのはそれが真理だからだ。少年を演じるチャーリー・プラマーは繊細なのに力強く、広大なアメリカ大陸の光景はその圧倒的な野生ゆえに厳しいが、同時にたくましさと豊かさを感じさせる。寄り添いながら歩く少年と馬の姿はとても尊い。