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子ども食堂というと、NPOなどが営む、家庭で食事が摂れない子どもに食事を提供する場を指すが、本作は、そうでなく、食堂を経営している家の子が、まずは友だちを、ついで、親に放置された姉妹を、実家に連れてきて食事をさせるという、あくまでも子どもが主体の、自然発生的な関係として描いているのが、新鮮だった。とくに、姉妹が寝泊まりしている車が、悪戯半分で壊され、父親が姿を消すあたり、ことさら強調しない表現が逆に、現在、子どもが置かれている状況を感受させて良かった。
まず、山口県山口市で、YCAMが実際に行っている、採取した植物のDNAを解析し、植物図鑑を作るワークショップがあり、それに参加した中学生たちの行動を描いていくというのがベースだから、ごく淡々と展開するのは当然といえよう。唯一のドラマは、中学生の男の子が、二人同時に、年上の女性を好きになるというところで、それぞれの拙い告白に、いかにも、この年頃の男の子という感じが出ていた。そこでの演出を、それと感じさせない点が監督の技量だろうが、それ以上の起伏はない。
最初に思ったのは、これは、誰に向けて作られたドキュメンタリーなのか、ということだった。やはり、アラフォーと自覚した女性たちに向けて作られたもの、と受け取れば納得するのだが、その瞬間、ジジイの自分には関係ないと感じてしまう。ただ、松下恵の行動には、心動かされないものの、彼女が出会ったアメリカ人の暮らしぶりや考えは、まさに多様で面白い。彼らの基本にあるのは、他人の目や思惑に左右されない自立であろうが、それが、日本人の彼女には欠けているのではないか。
多十郎が住まい、彼に心惹かれるおとよが、なにくれとなく世話を焼く住居と、その周囲の路地を捉えた画面に感服した。むろん、路地も家もセットに違いないが、それがよく出来ているという以上に、それを映すショットが、いかにもうらぶれた街の一角という空気を醸し出しているのだ。高良健吾演じる多十郎は、当然ながら、阪妻のような渋みはないが、舞台となる場がそれを補っている。そして、次第に激しさを増していく剣劇、そこでも多十郎が走る空間が生きている。さすが手練れの技。
いじめ描写がある映画は嫌いだが、これは例外。ヒンコンとあだ名のついた子供を少年野球のチームメイトがいじめぬく。この普通の連中の悪意が何より怖い。主人公は「見て見ぬふりをする」姑息な子供ではあるが、良いところもある。少なくとも、いじめに加担しない。また、彼よりさらに悲惨な境遇の姉妹を何とか救おうとする。物語の中核はヒンコンへの贖罪もはらんでいると分かる。少女の回想するかつての家族の平和ぶりがかえって奇妙な印象あり。虹色の雲って本当にあったのかな。
様々な映像スタイル、というか正確には素材を記録する媒体、が混ぜこぜになる面白さ、またフィクションとドキュメンタリーの境界が曖昧になることの知的興奮は、見れば普通に分かる。一方、解説を読むとさらに面白さが増す感じもある。作品の成立事情や周辺情報、それに舞台となる施設の性質が鍵だから。だが、それって映画としてどうなんだろう。広報活動の一環に過ぎないような。一番面白いのは、ラスト・クレジットでキャストの名前と採集植物の名前がごっちゃに出てくるところかも。
美人女優がアメリカに短期の語学留学をし、現地で映画人を含む様々な人々にインタビュー。それをカメラが記録する。話の中身もためになるし、主人公も健気で良い。感情が露わになるのに見苦しくないのだ。しかし多分これが傑作になるには、自分でカメラを回すセルフ・ドキュメンタリーの手法でいく必要があった。そうじゃないと結局、周りの人のお膳立てで動いている雰囲気にしかならない。そういうわけで星は伸びず。監督が主人公の義父ということもあり、優しい視線にほっとする。
中島監督の優れたちゃんばら記録映画中の短篇時代劇を見た時から、次なる展開を期待していただけに、堂々たる長篇として実現したのは素直に嬉しい。しかも配役も豪華。高良扮する剣の達人が、幕末の御時世、腕は立つのに人を斬る気がないという設定も効いている。ただ問題は弟を護るための殺陣、というコンセプトが何か煮え切らないこと。狂暴さに欠けるというか。せめて騒動の発端になった二名のザコ町方役人はどうにか懲らしめてほしかった。童歌が「関の弥多ッぺ」みたいで良い。
こどもの世界に焦点を絞ることで表題の食堂が生まれた背景を描く。百戦錬磨の子役を揃えつつ抑制された演技を引き出しているのが見事だが、是枝裕和的なドキュメンタリータッチと、作りこまれたドラマの混在が効果的とは思えず。むしろドラマを盛り込んでも、この子役たちなら過剰にならずに演じる力量があったのではないかと思ってしまう。近年抜群の安定感を誇る常盤貴子が絶品。メインだと大仰になる吉岡秀隆が脇で抑えると、こんなにも魅力的に映るのかという驚きもあり。
演技経験は違えども、「きみの鳥はうたえる」の3人組と同じく、ここでも少年少女の3人組が際立って魅力を放つ。そこに施された演出も撮影形式も異なるはずだが、同じように濃密な空間が生まれている。一時逗留者となった監督が描く山口は山あり沼ありの冒険活劇の舞台となり、ポストモダンなYCAMの建物を起点にDNA採集を行ったりと、SF映画を観ているかのようだ。虚構を作り上げて演技経験のない若者たちが演じるリアルは、職業俳優の演じるリアルを心地よく挑発する。
今のアメリカが魅力的な国に思えないのはともかく、エイジハラスメントという視点は興味深いものの、週末の昼間にやっているような女優が出てくる海外レポート番組と大差ない構成。松下恵が芝居っ気たっぷりに動くが、〈劇的な撮影方法をとっている〉と断っているぐらいなので文句を言う方が野暮なのだろう。しかし、インタビュー時の表情やリアクションも演技に見えるのはマイナスではないか。彼女の女優としての実像に虚実混在の設定を加えてくれたらまだ面白くなっただろうが。
権力にも大衆にも背を向けた孤高の若者を主人公にしていた70年代の中島貞夫が現代に甦ったかの如く、高良と多部がもたらす若々しさが全篇を鮮やかに彩る。マキノ譲りの庶民描写と絶妙なショットの繋ぎを堪能し、時代劇で見慣れたオープンセットの長屋までも見事な装飾と空間を活かした演出で輝かせることに驚く。かつての中島映画の鉄砲玉たちは愛する女には目もくれずに自滅していったが、もはやそんな気取りは不要とばかりに殉(純)愛を高らかに謳い上げる終盤にも深く感動。