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ロブ・ライナーが本作を手がけたことに、まずは大きな意義を感じる。監督自ら、主人公たちの上司、ジョン・ウォルコットを演じているのも魅力的だ。アメリカ政府の巨大な嘘に立ち向かったナイト・リッダーの新聞記者たちの孤立無援の戦いに、アダム・グリーン元陸軍上等兵のドラマを盛り込んだところは、名匠ならでは。「数字で世界がわかる」というアダムの視点が物語の軸となる。中でも大事な数字は、アダムからのワンクエスチョン「なぜ戦争を?」と、発見された大量破壊兵器の数だ。
1900年の大晦日、生き別れた双子の姉妹が、オリエント急行に乗り合わせた運命的瞬間を、食堂車の飾り窓越しに映る華やかなドーラの顔から、暗がりのホームに立つ、不安そうなリリの姿へ。ティボル・マーテーの立体的な映像をマーリア・リゴーが美しい物語につなぐ。謎の男Zをめぐるリリとドーラの展開も痛快だ。見世物小屋の鏡の迷宮に誘い込んだZに、二人が別人だと知らしめて、ヴァイニンガーの二分法を巧みに遠ざける。夢落ちだとしても、30年前の作品とはかなりの野心作。
ワルツのようなカメラのリズムにうっとりする。閉店後のスーパーマーケットで行き交うフォークリフト、ブルーノの家で、クリスティアンとブルーノ夫々の横顔から、ひとつのフレームに二人が収まり、ギュッと親密になる瞬間。音楽もドラマチックだ。特にゲーセンで流れる『Trouble Comes Knocking』とコーヒールームで佇むクリスティアンに寄り添う『Grinnin’ In Your Face』が素晴らしい。映画に登場する人たちの気配が近しく、観終わった時、心に温もりが灯る。
ヒロインのシャオピンを演じた、ミャオ・ミャオは「初恋のきた道」(99)のチャン・ツーイーを彷彿とさせる可憐さだ。貧乏な出自も非常識も彼女のせいではないが、一旦異端とみなされた彼女は集団生活でいじめられる。逃げ場のない彼女は、涙が枯れた後の呆然とした顔で、我慢するしかない。切ない。一度だけ、積年の恋情を抑えきれなかった不器用さから、模範兵を返上して流浪の運命を辿るリウ・フォンの、死にきれず、戦地で苦悩する横顔の陰影。若者の邪気のない顔に胸を打たれる。
幾重かの評価を仕分けしなければならない作品だ。まず、保守化と反動化が激しい現代社会にあって、イラクにおける米国の軍事行動に疑問を投げかけた本作のナイト・リッダー社の報道姿勢に対し、多大なる賛意が得られるべきであること。次に、良質な米国映画を撮れる名手R・ライナー監督も、かつて誇ったほどの手さばきはすでに失っていること。さらに、主人公の妻M・ジョヴォヴィッチの「戦火の結果、母国(ユーゴスラビア)がバラバラよ」という台詞があまりにもナイーヴであること。
90年の初公開時は感動に咽せったわけではない。リヴェットやカサヴェテス、ガレルやドワイヨンの日本公開が本格化しつつあった当時、ヒリヒリとした生のリアリティが上位にあり、本作の醸すメカニックなファンタズムを若干アナクロに感じたフシがある。しかし現在、本作をきちんと再評価すべき時が来たように思う。なぜなら、当時こそ作者固有のファンタズムに収束していた20世紀が、もはや誰にとっても手の届かぬ距離へと遠ざかり、異質かつ不吉な回路に変質したからだ。
子ども時代に「ゾンビ」(78)を初めて見た際、「スーパーマーケットというのは案外と映画的空間たりえるのだな」と感心したことを覚えている。そして今、旧東独の郊外にポツンと建つ深夜のひと気なきスーパーで「美しく青きドナウ」を誰かが流し、その優雅なワルツに拍子を合わせるようにフォークリフトが滑走するのを眺めながら、「ゾンビ」初見時の発見が甦った。そればかりではない。本作のフォークリフトは腕を一杯に伸ばし、垂直運動にも耐えてみせる。この活劇性に乾杯!
文化大革命で揺れた中国70年代が、このような流麗たる筆致によって大河ドラマと化す時代が到来しようとは。80年代に第五世代が台頭して以降、私たち外国の観客が中国映画に見てきたのは、文革で弾圧された知識層の被害実態をめぐる苦渋の描写だった。ところが本作の懐古主義は、すでに堂々たる普遍性をまとっている。アジア・フィルム・アワード作品賞という栄冠を手にしたこのスペクタクル性は、現代中国映画の変容を高らかに宣言した。その是非を問うのはこれからだろう。
ニクソン、トランプの悪名に隠れて目立たないようだけど、この大統領も相当ひどい。題名通り、ジャーナリストたちがその悪行を告発するが、彼らが一流新聞社に所属してないところが目を惹いた。大手マスコミ界の隙をつく独立遊撃隊みたいで。そこに自由もあり弱さもあるという葛藤があって。監督自ら、編集長を演じて指揮をふるう張り切りぶり。脚本・演出ともに手堅い。ただこのところの記者映画のパターンをなぞったような展開なので少し型通りの感も。「バイス」と合わせてご覧を。
「心と体と」の鹿の夢が、ここでは映画全体の夢となって。双子姉妹のマッチの炎。それがエジソンの電球の光となって、ヘルメットにライトを点した男たちのパレードとなる。20世紀のはじまり。その混沌の西欧世界をヴァンプとなった、アナーキストとなった姉妹が駆け抜け、一人の男を翻弄する。20世紀とは、機械文明とは、男とは、そして女とは。時に無声映画の懐かしさを見せて、次から次へと奔放なイメージを連ねたこの作品。面白い。けど、その若さが、ちと独りよがりに走りすぎて。
大型スーパーの倉庫、そこで働く男女のほとんどが旧東独体制の出身。東西の壁がなくなっても、幸福になったわけではないという実情。そこに現在の資本主義社会への告発を含んでおり。だけど映画は労働を描き、その躍動感をワルツで息づかせる。先輩と新人、父と息子みたいな師弟関係に温かな血も通わせて。登場人物の誰もが、ああ、こんな人いるいいるの親近感にあふれる。いくらでも冷たく厳しく描ける労働現場。それを人間を見る目の優しさで満たしたこの脚本演出。切なくいとおしい。
一様に笑顔を浮かべた中国舞踊団は不気味だ。でもその一人一人に、個性があり葛藤もあってというこの映画に魅せられて。文革の終焉から中越戦争を経て経済社会へと至る約20年間を生きた若者たち。その群像から浮かびあがったのは、体制からはみ出た二人の男女だった。そこに中国政治への批判を潜ませる。理想的優等生だった男が、どんどん堕ちてゆく。その皮肉。そんな男に秘かな恋情を抱いて、修羅場を生き抜いた女。彼らが遂に再会の幕切れに眼が潤んで。流れるような映画絵巻!