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小学生(当時は国民学校)の疎開は、身近に知っていたが、保育園児の疎開が実際にあったというのは、初めて知った。国が進めた学童疎開と違って、就学前の子どもを自力で疎開させるということには、親の反対も含めて相当の抵抗があったと思う。それを押し進める戸田恵梨香演じる保母の厳しさと、子どもと一緒になって遊ぶ大原櫻子の無邪気さとの対照が、うまく効いている。総じて保母たちと子どもとの関係も自然でいいが、その裏面にある、親たちが東京で受けた戦争の表現が弱い。
倍賞美津子さんを、久し振りにスクリーンで見られたのが、なによりも嬉しかった。それに対して、中心になる安田顕がなあ……。決して下手な役者じゃないと思うのだが、ここでは、初めから終わりまで変化が感じられないのだ。役柄もあるけれど、妻を亡くした石橋蓮司が、とりわけ何かをするわけではないのに、その悲しみを微妙な表情で見せるのに較べて、なんとも単調で。松下奈緒にしても、決して上手ではないが、安田を励ましたりしているところは、それらしく出来ていたのに、惜しいね。
自宅のドアノブにも直には触れられず、執拗に手を洗い、浴室の床もまずシャワーで洗わずにはいられない潔癖症の女と、男となら誰とでも寝るが、それも一回限りという女との微妙な関係は、女性脚本家ならではの繊細さで描かれているが、三浦貴大演じる男との関係が、いまひとつわかりにくい。元は、三者が一体の関係だったというのだが、画面からは読み取れず、そのわりに、ベッドシーンなど妙に説明的なショットがあって、関係の解体=解放に向かう時間の流れを停滞させている。
面白いこと考えるね。もっとも、男のセックス妄想のうちには、女性器に喰い千切られるという恐怖があるのかもしれない。それを裏返せば、本作のヒロインになるわけだが、物語の本道でいけば、歯まんである孤独を抱えて、女一人どう生きるかという方向に行きそうだが、そこはファンタジーというか、変態八百屋の死体を引きずっているのを、変だとも思わずに手伝ってくれる男が出てくるといった次第で、まことに都合がいいのだが、それは、全てが彼女の妄想だったからかもしれない。
初の演出作品でここまで堂々たる大作を任されたら監督冥利に尽きるであろう。太平洋戦争下、保育園児の初の集団疎開という地味な題材。しかしながらキャラクターの描き分けが的確かつユーモラスなおかげで大いに楽しめる。直情径行型の戸田と、あまりに天然な大原のコンビが抜群だ。どっちを欠いても成立しない物語。田舎者の偏狭さのせいで淡い恋情が踏みにじられるエピソードは痛ましいものの、こういう現実は普通にあったに違いない。実話の教訓性を極力抑えた構成も効果的だ。
ショッキングなタイトルだが中身はまともなのでご安心下さい。まともすぎるというかストレートな母親賛歌になっている。子供から見た母親像の変化は年齢と病気によるもので、心情自体は変わらない。要するに甘えん坊。それでナレーションが多く説明的になり、星を控える結果となったものの基本的には満足。昔、授業で「遺骨を食べるのは法律的には犯罪だが民俗学的にはそんなことはない」と教わった。息子さんもちゃんと実践している。オチがあまりに意外だが得した気分だから良し。
過度の潔癖症というのが脚本アイデアの出発点らしいが、そこからむしろ逆の極に跳躍して、不思議な関係の女二人の奇想を紡ぎ出した脚本家の手腕に舌を巻く。タイトルにあるようにカタツムリの恋矢もヒントになっている。傑作「風たちの午後」とは異なり、ヘンな二人を中心にして、周囲の人がまともなのも救い。それにしても、アトピーの美少年が金井勝や藤田敏八の映画で活躍したむささび童子を連想させたのも不思議。ピンク映画館のたたずまいが撮影や雰囲気含め絶妙なのも嬉しい。
あまりにまんまなタイトル。初めてのセックスで恋人を死なせた少女の二週間強、という明快なコンセプトである。ワンアイデアで長篇はきついのではないか、と最初思ったが見事な仕上がりだ。ネタバレなので書けないが、少女に接近してきた風俗嬢の扱いが上手かった。じわっとサスペンスが盛り上がる仕組みになっている。少女があくまでも普通な性格で、それ故、彼女に降りかかる災難に観客も感情移入できる。この感覚に矛盾するが、ラストの血しぶきは彼女の聖性のサインなのである。
過去に何度か企画されながら実現しなかった本作が映画化されたのは、ここ数年疎開やら空襲という言葉が平気で使われるようになった危機感の現れか。従来の学童疎開もののパターンから離れ、保母たちの女性映画になっているところが新基軸。幼児たちと同じ目線の大原と、彼女に厳しい戸田との関係性などは目新しくないが、やはり大原の存在が際立つ。ライブで観客を沸かせて歌う姿が、オルガンを弾いて園児たちと歌う姿にトレースされ、今の娘にしか見えない欠点を補って余りある。
脚本の手習いをしていた時、ト書きに〈思った〉と書いて怒られたことがある。思いは撮れないと。本作ではそれを1本の映画を通して描くことで納得させてしまう。大森立嗣だけあってベタなマザコン映画にしかならないような話を抑制した演出で見せきる。配役を見れば感情過多な演技に辟易させられることはないと察することが出来るが、安田や石橋が妻や母を亡くした悲しみをどう見せるかを期待していると、大森らしい少々破天荒な形で描き、それに役者たちも見事に応えている。
企画に名前を連ねる荒井晴彦の名を意識せずにはいられないが、お得意のグチャグチャした三角関係の世界が屈折することなく荒井美早に継承されていることに驚く。硬質な台詞といいロマンポルノ時代よりも、最初期の脚本協力作「噴出祈願 15歳の売春婦」を思い出すが、空疎な台詞があふれる時代には、この観念的な台詞が良くも悪くも際立つ。潔癖症のディテール、3人の関係性の変化が飽きさせず、濃密な時間を堪能する。「21世紀の女の子」の監督たちなら、どう撮るだろうか。
「椿三十郎」を思わせる男性器切断によって噴出する鮮血は「愛のコリーダ」→「愛のむきだし」を更新した感。身にまとった刃物で男たちの性器が切り落とされていくが、異形の喜劇ではなく、悲哀を軸にしつつ見世物性への目配せも怠らない作劇が良い。「マッドマックス」の女性たちが装着させられていた貞操帯の描写以降に作られる映画としては、自然に出現した貞操帯への視点をもう少し描いてほしかったと思うのはないものねだりか。脇の宇野祥平も川谷拓三的演技を見せてくれる。