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タイトルになっている雪国というカクテルも美しいが、それを作るときの井山計一さんのシェイカーを振る姿が、御年91歳と思えぬほどしゃきっとして美しいのだ。これは、長年、バーのカウンターに立ち続けたことによるのだろうが、若いときにダンス教師の資格を得たほど、ダンスに打ち込んだことにもよるのかもしれない。そんな井山さんが、ずっと二人で店を守ってきた亡き妻のことを話すとき、思わず涙を流す姿に、胸をうたれた。それにしても、雪国は、どんな味なのか試したくなった。
なによりも歌が心に強く響く。「この道」の合唱もさることながら、安田、由紀姉妹の「からたちの花」も懐かしく、それで★ひとつ増えた。大森南朋の、女に弱いというか、おんな子どもに親近する白秋の姿、それを諫める羽田美智子の晶子が記憶に残る。ただ、白秋も山田耕筰も、戦時下には、軍部の要請に従うような詩や曲を作っているのを、ただ生活のためだったとするのは、どうか? むろん、それは企画の意図から外れることだが、菊子が国柱会にいたことも含め、調べたくなった。
四つの短歌に触発された断章、四篇。中心にいるのは、いずれも女性で、それぞれの今が写し出されている。カメラは、彼女らの行動に寄り添うが、決して、その[内面]に踏む込むことはない。多くの映画が、そこに登場する人物を手の内に入れているかの如く振舞うことに対する明確な抑制があるのだ。にもかかわらず、わたしたちは、彼女たちが抱えているだろう物語や、それに伴う想いを想像する。その想像は、見終わった後まで、こちらの胸に反響する。映画のもう一つの姿がここにある。
観光名所であると同時に自殺の名所でもあるという、和歌山県白浜町にある三段壁、そこで自殺志願者を引き留めるための「いのちの電話」を繋ぎ、救った人たちに共同生活を営む場を提供するとともに、それを支えるための食堂を運営している牧師の活動を描いているのだが、衝撃的だったのは、取材が終わって3年後に明らかにされた事実である。それにより、自殺を考える人も苦しいだろうが、それを救い励ます人が抱え込むものも、それに劣らぬ苦悩があることが明らかになる。
どうしてローマ字かというと、これがカクテルの名前だから。考案したバーテンダーと、今は亡きその妻のたどってきた人生を描く。酒を飲まない私でも、説明を聴けばこれがなぜ画期的かは分かるし、定説のちょっとした誤りを微調整する部分も面白い。また、娘さんが少しだけお父さんとお母さんに対して批判的なのも見て取れる。そこを必ずしも強調しているわけではないが、最後に仲直りする場面は効果的。名物カクテルの歴史に注目する当初の案からズレていったようだが、それで正解だ。
童謡生誕百年記念企画。北原白秋と盟友の作曲家山田耕筰の交友をユーモラスに語る。その話者は戦後まで生きた山田である。一方、彼らが生きた時代の息苦しさというのも当然あり、そこにもっとこだわってくれたら星も増えたはずだ。二人の最後の語らいの場が映画美術的には極上だが、物語としては曖昧。白秋が戦時体制になじめなかったのは説得的力あり。しかし耕筰の立場はどうだったのか。ごまかされた気がする。むしろ戦時協力者であるしかなかった耕筰という視点もあったのでは。
光を主題にした四つの現代短歌にインスパイアされた脚本。だから四話構成。挿話は各々独立するが少しだけ人物とかダブらせてある。内容は略。ダンダンよくなる法華の太鼓、初めは何をしたいか不分明だったが終わりの盛り上がり感が凄い。光とは人の思いのこと。通じたり通じなかったりする、だが、短歌の意味と脚本上の物語はあくまで不即不離。それが面白い。特に最後の、行方不明だった夫がふらっと戻ってきたのを迎える妻の話が上手い。思いがけない歌の効能という側面も見逃せない。
ちょっとネタバレ。どうやらこれは一度出来上がった作品に後から付け足して完成させたもの。なぜそうなったかは是非見て確認して下さい。自殺志願者を引き留める活動をしている牧師の生活にカメラは密着する。もちろん成果はあるものの、むしろ挫折や徒労の方が色濃い。監督の意図的選択というより主人公牧師のキャラがそうなのだ。やっぱり求道者的であり、そういう意味では楽天的な奥さんと良いコントラストを成す。自殺志願者の方々の個性もそれぞれおかしい。頑固な人もいるしね。
父親がそろそろ自由に動けなくなり始めた頃、もはやこれまで、退屈な残り時間を過ごすことにしたと観念した顔が忘れられない。本作の92歳現役バーテンダーを見るにつけ、仕事を続けているせいか、漲る気力に驚かされる。自転車での走行は危なっかしいが、店に立つ姿は若々しい。幸福そうな一家だが、唯一父のカクテルを飲んだことがないという娘との関係性に目が行くが、大した理由があるわけではない。主人の身体の一部となったかのような味わいの店は確かに行ってみたくなる。
この時代の偉人伝映画で困るのは、主人公の実情は立派とばかりは言えないところで、白秋が隣家の人妻とデキて姦通罪で投獄されたり、山田耕筰と共に戦争へも積極的に協力している事実をどう描くかという点に興味が行くが、口当たり良く処理されているのを上手いと思いつつも、やはり食い足りない。潤沢な予算とも思えないが、京都の撮影所とロケを活用し、奥行きのある空間を作り出した時代の再現は一見の価値あり。女優陣が際立ち、妻の貫地谷、与謝野晶子の羽田美智子が出色。
詩や短歌を原作にすると、言葉を映画にする気負いが鬱陶しく感じることがあり、本作にも同様の危惧を抱いたが、穏やかな映像の連なりにすっかり魅了される。キャメラは常に適切な位置に配置され、余計な夾雑物は画面から周到に排除し、ヒロインたちと風景の距離が美しい均衡を保つ世界がそこに現れる。バイト先のカウンター、自販機の光と墨汁のように広がる濡れた夜道、薄暗い学校の廊下など、辺りに漂う湿気も含めて、映画的な光景を映し続けることで、最少の言葉を光らせる。
他人の命への言葉が軽くなった。死ねとか、死んだら負けとか言う奴がいる。本作の牧師は説教臭く自殺志願者を思い止まらせるわけでもない。便利な言葉が思いつかないので、悔しがりながら言葉を探す。これは聖職者というより一人の人間が相手と関係を持ち、心配したり、腹を立てたりする記録だ。優しさは甘えとか、愛があるから厳しくしてるなんて言わない。相手を人として見ているから吐ける言葉が溢れている。人と人が擦れ合う瞬間にドラマが生まれることを思い出させてくれる。