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子どもを愛さない親はいない。本作は自閉症、ダウン症、低身長症、同性愛者、殺人犯といった、他人とは異なる特徴をもった子どもとその親に取材している。彼らは一般的には障がい者やマイノリティという言葉で括られがちだが、それを個性として受け入れている親子の姿が印象的だ。低身長症のご夫婦が流産を経験したあと、念願だった子どもに恵まれるシーンは胸を打つ。自分たちと同じ特徴をもっていたらどうするかと悩んだ末、親になることを選ぶその勇気に心を動かされるからだ。
ブルゴーニュ地方の葡萄畑における四季をとらえた映像が美しい。その風景のなかで、家族経営のワイン農家を継ぐ兄、姉、弟の人間模様がじっくりと描かれる。兄が10年ぶりに帰郷して3人が一緒に畑を歩く場面、父が亡くなったあと弁護士に会って話しあう場面では、演出家はフレームの中心に3人を平等に並べる。次第に跡つぎが真ん中の妹に決まってくると、畑で働く彼女を中心に置き、他の兄弟より大きめのサイズでとらえる。映像設計が見事に物語を補佐する、職人技も味わい深い。
アメリカ人の知人を見ていると、すぐに骨董や古美術など古いものに心がときめいて、散財しがちだ。歴史の浅い国の人たちの性か。本作でパリに移住したブルジョワの夫婦も、富裕さは格段上だが、巨匠の絵画や年代物のインテリアに囲まれてご満悦そうだ。だが、米欧の金持ちが集まる晩餐会のシーンでは、ドロドロした奸計や不倫への誘惑、貴族への憧れや移民への蔑視が錯綜して、ヨーロッパの美術を自己のステータスとしてしか使わない、彼らの浅薄さを笑うための装置になっている。
エルサレムを歩くと、キッパを被る人、黒い帽子や黒いスーツを着た正統派の男性が目立つが、むろん世俗派の人たちの方が多い。同性愛の恋人だった男が亡くなり、その残された妻子のために、ベルリンからきた男がケーキ職人としてひと肌脱ぐ。だが、そこにユダヤ教の食事既定であるコーシェルが立ちはだかる。肉と乳製品を一緒に食べない掟のために、台所の洗い場や調理具、お皿までわけるとは驚き。そんな宗教的慣習を超えて、世俗的な食のおいしさが人の心を変えていく愛の物語だ。
映画に登場する6組のとりどりの親子に共通するのは、自分たちとは違う子を持つ親と、親と違いのある子たち。主題の「違い」を受け容れるを私的に白状すれば、言うほど簡単ではない。それだけに映画の中で殺人罪で終身刑の判決が下った息子の母親が言う「それでも子どもを愛することは止められない」が胸に刺さる。登場した親子の勇気を讃えつつ、同時に自分の内なる「違い」を受け容れる度量を自問する。そして省庁の障害者雇用水増し問題が発覚した日本でパラリンピックですか!?
都会の、必ずしもスマートでない人を温かなまなざしで描くクラピッシュが初めて田舎を舞台にしていると聞き興味津々。登場人物の年齢がこれまでより上がったが、彼らがままならない人生を生きているのは相変わらずで、従来の作風は健在。兄妹三人が、兄妹ゆえに胸の内に抱え込んでいる問題をお互いが口にできない。その機微を飾らずに描く素直なドラマに熟達した職人技をみる。ほとんどを葡萄畑で自然撮影したそうだが、風景込みでワイン作りの過程を取り込んだエピソードも楽しい。
手違いに端を発したドタバタ喜劇だが、登場人物が出揃うと、あとはお定まりのパターンで展開し、話が見えてしまう。メイドをはじめ、主人夫妻など達者な役者を揃えているだけに、この不発は残念。ストーリーよりもむしろ、夫妻の邸宅になった贋造博物館などのビジュアルが目を楽しませてくれる。この富豪のアメリカ人夫妻は、憧れのパリに越してきたという設定なので、衣裳からインテリア、晩餐会の食器など、金ピカのゴージャスさがいかにもの雰囲気を作っていた点は評価できる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレムは、数カ月前、米大使館がテルアビブから移転したことでも話題になった。奇しくも同じ男性を愛した夫婦の、3人の恋愛を描いたこの映画、舞台のエルサレムという場所のもつ複雑さを反映する。国籍、宗教と戒律、セクシュアリティ。人を愛し、自由に暮らすというごく普通のことがこんなにも大変だったのだと実感。話の組み立て、運びがうまい。セリフで説明しすぎずに、主人公の心情をじっくり見せながら展開するのが好ましい。
いくつかの異なるマイノリティとその親が登場するが、彼らの幼少時代の姿だけでなく、大人になってからをとらえているのが面白い。障がいを抱えた子どもに比べて、彼らのその後の人生を知る機会は、まだまだ少ないと言える。そうした存在にフォーカスを合わせることは重要だ。ただし、マイノリティであることは特権ではない。マイノリティとして生きる「幸せ」は、他者から認めてもらうだけでなく、自らがマジョリティを認める覚悟なしには手に入らない。理想は常に危険性と裏表なのだ。
パリからバルセロナ、NYへと自作の舞台を旅してきたクラピッシュがフランスに帰還。しかも田舎というのが新鮮だ。だがヒロインのアナ・ジラルドは「猫が行方不明」のギャランス・クラヴェルにどことなく風貌が似ており、弟役のフランソワ・シヴィルもクラピッシュ組の常連であったロマン・デュリスの雰囲気を彷彿とさせる。主人公のジャンはかつてデュリスが演じた「グザヴィエ」の延長上と思われクラピッシュ印は健在。今後このキャラが果たして人生に落ち着くのかも気になるところ。
日本に比べて欧米では階級社会を意識する局面がはるかに多いであろうことは想像に難くない。それが歴史でもある。ただ、その事実を露骨に示されるとやはり複雑だ。21世紀にもなって……という見解は劇中でメイドに惚れた紳士も口にしているが、だからといって理想論と現実は違う。コメディだからこそ余計に苦い。このドラマを他人事と思うなかれ、女子のスクールカーストに当てはめれば日本でもそのまま成立する。あなたは私の親友よ(ただし私より前に出ない限りは)というやつだ。
ケーキ職人のトーマスと、後に恋人となるオーレンが出会うシーンで、カメラがじわじわとトーマスに寄っていくカットがある。このときはトーマスに惹かれるオーレンの目線のようにも見えるが、トーマスへのズームアップはその後たびたび登場し、それは恋人を失ったトーマスの心情に分け入り、その内面の混乱と変化に迫ろうとしているかのようだ。人は思いもよらない事態に直面したとき、自分でも思いがけない行動に出ることがある。その心のさざ波を静かに見守るサスペンスが楽しい。