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来日時の清潔な笑顔が素敵だった、本作の主演女優ジャンヌ・バリバール。作中で演じたバルバラに憑かれて、次第に映画のなかと現実との境界線が曖昧になってゆく女優ブリジットのはかない姿は、他人の人生を背負う俳優の危うさを色っぽく、斬新に魅せるが、例えば伝説の再現に徹底した伝記ドラマ「ボヘミアン・ラプソディ」と比べると、歌姫バルバラひいては彼女の歌の魅力に迫るという観点からは、蛇足に映ってしまう。監督、脚本、監督役(!)で出演したアマルリックの存在も然り。
MAKIよりもMIKAの物語に俄然興味がわく。ヒロイン・マキをはじめ、日本からニューヨークにやって来た、うら若きお嬢さんたちに優しい声で近づいては、躊躇なく金儲けの道具にする、したたかなクラブのオーナーを妖艶に演じるのは原田美枝子! 「愛を乞うひと」(98)での、娘が折檻を受けたことを忘れてしまうほど美しい母よりも、断然ミカが恐ろしいのは、彼女の動機がよくわからないから。でもきっと深い事情があるのだろうと思わずにはいられぬほどに蠱惑的な女である。
〝ギターの神様〟の波瀾万丈な人生を、リリ・フィニー・ザナック監督がテンポよく構成している。ポイントとなる3つの絶望(少年時代の複雑な家庭環境、親友の妻への大失恋、息子の事故死)から、クラプトンを救ったのは、いつもギターだったというシンプルな展開からの、名曲が似合う大団円に大満足。中でもブルース・ギターの世界へと分け入ってゆく少年時代のくだりは、クラプトン本人の素直な回想コメントも含めて見応えあり。深まる季節に楽曲を聴き直したくなる、贅沢な135分。
本作の監督を務めたのは、消化器専門博士のアンドリュー・ウェイクフィールド氏。いわく「私自身がメディアになり、伝える側になろうと決めました」。アメリカ疾病対策センターや大手製薬会社からの圧力がかかったテレビではなく、映画で伝えたかったのは、新三種混合ワクチンと自閉症との関連性にまつわる「不快な真実」だ。構成など多少もたつく部分は否めぬが、テーマに迫る熱量はマイケル・ムーア監督にも匹敵する。女医の言質を取った簡潔なラストシーンでは本領発揮、か!?
映画なるものの美しき矛盾――いにしえに曰く「ローカルに留まり、普遍を得る」「形式への厳格さがドキュメンタリーに劣らぬ自由を謳歌する」――に、本作は次の教えを追加する。「不躾さが時に最大の表敬となる」。伝記を解体する。人生を、歌を、芸術を解体する。アマルリックは貪欲にバルバラの伝説を、女優バリバールの存在を解体し、自身をも解体する。恭しい表敬は要らない。彼は耳を澄ませて故バルバラに訊ね続ける。こんな偏屈な愛の表明を貴女は笑ってくれますねと。
「CUT」「ライク・サムワン・イン・ラブ」等の製作を通じて培われたイラン=日本間の映画交流から新たに生まれ出たという点では慶事たるべき本作なのに、残念ながら出来がひどすぎる。他人にすがるばかりで自発性を欠くヒロインにまったく魅力がなく、NYロケもスタイル先行で映画としての力が弱い。若い主人公カップルはエキゾチックな美男美女なれど、スタイリッシュな演出も美貌のキャストもすべて上滑りしている。あげくには名優・原田美枝子まで調子がおかしい。
浮き沈み激しいクラプトンの半生を映画にする際、著名な監督ではなく、近くに寄り添った友人のザナックに委ねたのは正解だ。憂いや制御できない感情を最大限すくい取っている。本作の出来ばえには、誰よりクラプトン自身が救われる思いだろう。フッテージと関係者証言をモンタージュするのがこの手のドキュメンタリーの常套だが、本作が興味深いのは、証言をおおむねボイスオフで使用し、顔は軒並みカットしていること。この手法に、関係者に寄せた監督の敬意がにじみ出る。
混合ワクチンの予防接種が小児の自閉症の原因になっているという問題提起は看過すべきではないが、医療の門外漢たる筆者がそれ以上の知見をここで披露できるものでもない。ただ筆者が言えること、それは医学上の是非ではなく、本作が映画として瑕疵を抱えていることだ。製作側の主張が延々と反復されるばかりで、反論提示も議論の深まりも不十分。医師免許剝奪への憤りはわかるが、問題の根源として槍玉に挙がる機関についてもっと奥へと切り込んだ取材が欲しかった。
バルバラの作曲家・歌手としての魅力が描かれる――というより、その人間性を模索する映画で。ピアノを弾く彼女。そこからパンすると撮影クルーが映り、女優が素に戻るという、虚実皮膜のタッチ。最初はこの趣向が面白く、キャメラの見事さもあって、ちと酔わされる。だけどバルバラとの格闘がしだいに混迷。その描写もひとりよがりの感となって。芸術家、そこにあこがれ、裏表さらけだした監督・自演のこの男優。そのナルシズムが少し表に出すぎたような気も。野心作。けど息苦しい。
ニューヨークの日本人高級クラブ。そこで働く女たちをイラン女性が描く。さていかなる映画になるか、興味津津。米国が舞台なのに、出てくるのは同胞ばかり。かの国の人間との絡みはほとんどない。この閉鎖性がいかにも日本人という皮肉はあれど、その描写はどうも薄い。どこか枠からはみ出さぬ筆づかい。この監督、少し遠慮しすぎでは。もっと女たちの内面に入ってほしい、そんなじれったさがあって。翻訳調の台詞。役者たちの演技も堅い。さすが原田美枝子だけは女優の存在感と貫禄が。
若きディランやジミ・ヘンがぼそっとコメントしたり、ビートルズとの演奏場面があったり、その秘蔵カットだけでも貴重。クラプトンのブルースへのこだわり、現在までのギター・プレイの変遷が、数々のヒット曲とともに綴られて。しかもそこに、クラプトンその人の波乱の人生も編み込まれていく。不倫、子どもの死、薬物中毒とマイナス面もさらけ出す。それを自身の語りを中心につないだところが効果的。申し分のない作品だけど、もうひとつ突っ込んだ本音を聞きたかったという欲も。
はしか、おたふく風邪、風疹の3種に効くというMMRワクチン。その注射を受けた(主に)乳幼児が次々と自閉症になって。家族が記録した子どもたちの事例が痛々しい。薬品会社とマスコミはその事実を隠ぺいしているというが、真相は藪の中だ。が、かつて日本でもMMRワクチンが作られ、副反応として髄膜炎が発生、製造中止となった事実。なおも自閉症の子どもが増加しているデータ。もろもろ考えるとますます迷宮に。作品の良し悪しを超えて、映画はこういう役割も担わされるんだと。