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ゴダールもタランティーノも博覧強記のオタクだったが、世代のちがいを感じることもしばしば。が、ついに同時代の映画・音楽・雑誌・サブカルチャーに耽溺して育った監督が登場した。全体的にはチャンドラーの探偵ものをパロディ化したトマス・ピンチョンの『LAヴァイス』をさらにパロッたようなテイストだが、模倣は創作の神さま。90年代にティーンエイジャーだった人ならほくそ笑むような、TVゲームや悪魔崇拝的なバンド、カルト的な陰謀論への愛着がたっぷり詰まっている。
ファンタジーであるし、繊細な心の動きを描いたラブストーリーだと理解しているが、些細なディテールが気になり、物語に入りこめないところがあった。野暮を承知でいえば、透明人間の赤ん坊が生まれたとして、オムツくらいつけるのでは? 彼女とデートするとき、透明な青年は裸で会っていたのだろうか? ウェルズのように透明人間がどうして見えないのか、色素と光の屈折で解説せよとまではいわないが、「このような設定だ」と簡単な説明があれば、もう少しお話に没入できたのかも。
主演のベル・パウリーの丸顔と背格好が、アメリカ留学時代に一度だけデートしたイギリス女子に似ていて驚いた。本作のベルはロンドン育ちの屈託した少女役で、独特のクィーンズ・イングリッシュのアクセントがNYでは浮いている。と思っていたら、エル・ファニング主演の「メアリーの総て」で、ベルがバイロン卿と火遊びして妊娠する義妹を演じていた。両者とも、痛い女の子を演じられる彼女の魅力があってこそ成り立つ映画。ベルが親しみやすい女優のトップに躍りでる日も近い?
R・ギアがイスラエルの副大臣に靴を買っただけで親友になれることが解せないし、首相と仲良くなって急にフィクサーになる件もリアリティがない。脚本段階で人物の掘り下げとプロットの詰めが甘かったのかと疑ったが、佐藤唯行教授の解説によれば、NYとイスラエルを結ぶユダヤ人の同族ネットワークでは、共通の知人さえ捏造できれば著名人にも手が届くし、イスラエルへの貢献度で在米ユダヤ人社会での地位も決まるとのことで、これはこれでリアルな物語らしい。少し賢くなれた。
失踪した美女を探すオタク青年のシンプルな話を徹底的に作り込み、飾り立てて見せる才気はなかなかのもの。都会の迷路を彷徨い探索する主人公から安部公房の『燃えつきた地図』が浮かぶが、こちらはハリウッド特有の模造宝石のきらびやかさを放つ。ニルヴァーナ等の音楽シーンのスターたち、ヒッチコック映画のポスター、映画ファンにはお馴染みのロケーション等々。画面を隙間なく埋め尽くすそれらから多くの作品や人物が思い浮かび、謎解きと一緒に楽しめる反面、過食症気味にも。
姿が見えない男の子と目が見えない女の子のラブストーリーは、設定からしてユニーク。さらにスクリーンにその男の子エンジェルの姿を見せないというアイディアも意表を突く。カメラはほぼ全篇が彼の視点になっていて、互いを感じ合うことによって恋が成就。コミュ力が幅を利かす今の世の中にこんな関係があってもいい。いずれにせよ物語は、現実と妄想の狭間でドラマを紡ぐことに長け、奇抜とカルトの境界の、微妙な感性に多くのファンをもつ製作のJ・V・ドルマルの影響大とみた。
もとより凡才以下の身、18歳でハーバード大を飛び級で卒業したIQ185の天才の悩みなど想像もできないが、コミュニケーション能力に問題のある辛さは理解できる。要は高知能=万能女子ではないということだ。セラピスト(演じているネイサン・レインがなぎら健壱に似ている!?)が提示した幸せになるためのリストが果たしてどれほどの効き目があるか疑問だが、やたらコミュニケーションの必要性が論じられる現代である。リストに従い克服するヒロインは嫌味がなく感じが良い。
フィクサーと聞けば、政界や財界を裏側で牛耳る黒幕をイメージするが、画面に登場したギアを見た瞬間、あれれ? くたびれたキャメル色のコートにカバンを斜めがけにして、小股でひょこひょこ歩きをする姿はさえないオヤジではないか!? だがこれはユダヤ社会の人脈意識に、嘘を積み重ね、投資家の食事会からつまみ出され、相手に胡散臭さを見抜かれてもめげない彼の、格好悪さを絡めたコメディ。主題よりも、むしろ話のポイントになる人物に配役された達者な俳優たちが見もの。
都市伝説的な好奇心から悪夢的な迷路に足を踏み入れ、見当はずれな出口に出てしまう。デイヴィッド・リンチほど突き抜けておらずフィリップ・マーロウにしては美学がないが、中途半端の極めぶりが力技で決まった。家賃を滞納しまくっているくせに1㎜も働く気配のないアンドリュー・ガーフィールドのダメダメ具合が板につきすぎて説得力がある。既に指摘されているようにダーク版「ラ・ラ・ランド」の様相は濃厚だが、そこがゴズリングとガーフィールドの差だと思うと妙に生々しい。
「かごの中の瞳」に続いて盲目のヒロインものだがこれはもうほとんど実験映画。イメージフォーラム系の自主映画を志すなら一度は夢想する一本なのでは。美少女の被写体と彼女を見つめるPOVショットで構成されるカメラワーク、耽美的な映像、エロティシズムと背徳の匂いから展開する超現実。主体が透明人間なのは斬新だが、主観ショットである限りむしろそれは問題にならない。少女の目が見えていないときはファンタジーだった世界が、視覚を得た途端にホラーに転じるのが面白い。
コミュ障のこじらせ女子は結局イケメンに気に入られなければ幸せになれないのか。学力と実力が比例しないのも、ありのままの自分で生きるにはそれなりの覚悟が必要なのも承知の上だけれど、自分の能力を生かせる場所や相手を探すほうがよっぽど現代的なのではないか。ただし、主演のベル・パウリーのキャスティングは勝ち。ファニーフェイスなのにプリンセス感があってこの手のヒロインにぴったりなだけに、前時代的な価値観に基づいたドラマに説得力を持たせてしまっているのが皮肉。
リチャード・ギアの演じる詐欺師まがいのフィクサーがいい。こういうキャラクターはたいてい口八丁手八丁で世渡り上手なのだけど、彼は決して器用なタイプではなく、見ていて危なっかしいのだが、そんな人間がわざわざそういうやり方で何がしかの人物になろうとしていること、またその目的や理由にこれといった必然性が見られないところに、得体の知れない業の深さとやるせなさを感じる。コメディに寄り過ぎず一生懸命なのにどこか空虚さを漂わせているのがギアの真骨頂。