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ゴッホは、アルルの太陽やひまわりの光り輝く黄色を「薄い金色のレモン」と称え、くりかえしひまわりを描いたという。はるか中国で20年も土産物用に「ひまわり」の複製画を描き続けた主人公が、ファン・ゴッホ美術館で本物の「ひまわり」を観た時の表情が印象的だ。絵画の前でひとり立ち尽くした彼は、泣きそうな目をして「色が違うな」とひとりごちる。旅の間じゅう職人と芸術家の違いを寝ずに考え、やがてある結論に達した主人公の、生気に満ちた目が幸せそうで、嬉しくなった。
父に促され、少女テルマが凍った湖の上を恐るおそる歩く冒頭シーンから不穏さが張りつめる。大学生に成長しても、厳格な両親の前でテルマは小さな女の子扱いだが、子供の成長とは未知数だ。アンニャに惹かれ、親の目の届かぬところで人生の楽しさを知るテルマの黒目の輝きが、神にも、善人である親にも太刀打ちできぬパワーを象徴する。それは特殊能力などではなく、健やかな成長にすぎないのでは? と捉えれば、ラストシーンでアンニャと手をつなぐテルマの薄い微笑に最も戦慄した。
アメリカ人のおばさんにとって、アメリカにおける民主主義と基本的人権との違いは明快だが、だからと言って母国語がベンガル語のおばさんの意見を否定したりはしない。167の言語が飛び交う町で暮らすには宗教、食事、音楽等が象徴する、それぞれの文化を尊重する寛容さが必要なのだ(これぞ自由の国!)。年齢も出身もさまざまな人たちのおしゃべりを聞くうちに心がまあるくなっていく。一方で主体性の重要さもそっと説く。住民の知らぬところで町が変わる恐怖は他人事ではない。
腕相撲と侮るなかれ! 鍛え上げた上腕筋肉は、車を倒す強烈なパワーを持つ。単純な格闘技ものと見くびるなかれ!! シェークハンドをテーマに、家族を超えた人情ドラマが描かれるのだ。それらを可能にするのは、主人公を演じた、韓国のスター俳優マ・ドンソクだ。時に大いにボケ、時にはアニキ的な包容力で弱い人たちをがっちり守る。主人公を取り巻く、一見冴えない登場人物たちを憎めないキャラクターに魅せるのは、ドンソクのスター性によるところが大きい。どでかい人間讃歌だ。
深圳市内の複製画制作の集積地でロケされ、一見すると子ども服製造の労働実態を描いた王兵「苦い銭」の二匹目の泥鰌狙いとしか思えず、最初は突き放した視線を送った。複製画は贋作と違って合法ビジネスだが所詮まやかしだ。ところがやがて、主人公のゴッホに対する拘泥の尋常でない熱さに胸を打たれる自分がいる。彼らの商売がパチモンだと嗤うのはたやすい。では私たちの日々の経済活動がパチモンでないと言えるのか。カメラは彼らだけでなく、私たち自身にも向けられている。
事故死した女性戦場写真家(I・ユペール)の夫と息子たちが精神的試練に晒される米国映画「母の残像」は秀逸だった。翻ってJ・トリアーのこの新作は、本拠地ノルウェーに戻り、リラックスしてオカルトに取り組む。超能力少女が大学入学と同時に世間に晒されるというのは、さすがにフランス映画「RAW」に似すぎており、「RAW」が出たとき、内心「しまった」と思っただろう。澄み切った実景、主人公の潔癖な美しさは素晴らしいものの、この作家は次のステージに行くべきだ。
およそ観光とはかけ離れた陋巷に分け入るエイリアンの五官を、観客は獲得するだろう。引率者たるワイズマンは何も説明してくれない。駅名や道路標識のわずかな示唆や集会の様子から、私たちはこの地区の生のありようを学ぶ。そうしないと、単なる幽霊になってしまいそうだ。NYは「人種の坩堝」とはよく言われるが、マンハッタンでもハーレムでもなく、クイーンズ地区のこの地味な陋巷が「ここがなくなればNYはNYでなくなる」とまで宣言する。パワー漲る3時間超。
マ・ドンソクの肉体を生かそうという企画物で、腕相撲版「ロッキー」であると同時に「レインマン」のようでもある。コリアン・アメリカンを主人公とするのはマ本人の出自と重ねられているだろう。無垢なエイリアンが共同体的文脈を欠く、その滑稽さを皆で笑いつつ、天賦の才で共同体に適度に揺さぶりをかけてくる居心地のよさ。その点でこれはいわゆる立身出世喜劇の定型である。ただ「韓国映画は面白い」といった議論の多くが、この手の定型への無条件の阿りとはなっていまいか?
有名画家の複製画だらけの街。そこから一人の画工をピックアップしてゴッホの生地に行かせた。この着想がよくて。中国の地方都市から一歩も外に出たことのない中年男。オランダの落ち着いた街の風情に唸る。複製画ビジネスの裏を知って驚く。それよりも本物のゴッホの作品を見た、その時の眼差し。そこに汚濁の水から何か清らかなものが掬いとられた、そんな感動があって。全体、少しきれいにまとめすぎの感も。が、すべての芸術は模倣からはじまる、それがピタリ胸にくる拾い物作。
思春期怪談。ちょっと「キャリー」を思わせる。だけどあのあけすけな血まみれはなくて。ベルイマンのムードも匂う。が、それほどの厳しさはない。それよりもポランスキーの「反撥」を感じさせ。ひやりと乾いた雰囲気。神経症的乙女の振る舞い。残酷な物語。あの感覚が、このデンマークの若手監督に乗り移ってるような。娘の無自覚な超能力。それがいつ発揮されるかのはらはら。その怖さが映画のどきどきにもう一歩ならないところに、どうもこれ、少し頭でこしらえすぎの残念さがあって。
ふらりと見知らぬ街に滞在する。日を追うごとに、いろんな人と知り合いになる。顔なじみが増える。居心地がよくなる。このドキュメンタリーには、そんな肩の力が抜けた、飾らぬよさがあって。多彩な人種がいて、ゲイが自由に闊歩して、個人経営の露店が町角を賑わす。もうアメリカ、その民主主義のいいとこがいっぱいに匂う。だけどここにも開発の波が押し寄せ、映画に写ったこの風景がやがて消滅の予感。だからこそのこの住民たち、街の記録。それがさらりと描かれ、切なさが響く。
ごひいきマ・ドンソク主演。今回はアームレスラー。例によってタフ・ガイぶりを見せる。これにヤモメのお母さんとその子どもたちが絡む。となると彼の愛嬌たっぷりの人の好さがふんだんに発揮され。さらに手八丁口八丁の若者とか悪玉ボスも登場。大詰めで八百長を強要されの展開は、もうもうこの手の映画のお約束通り。気楽に観てられる。だけど、そこから一歩もはみ出さぬ安逸さに脱力気味ともなって。こういうの昔、下町の小屋でおっさんやあんちゃんと楽しんだなと懐かしさも。