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茶道の稽古を、帛紗の畳み方からはじめ、これほど徹底して丁寧に描いた映画は初めてだろう。樹木希林演じる武田先生は、まず形から入ると教えるのだが、それを受ける黒木華や多部未華子の初めはぎごちなく、次第に習熟していく立ち居振る舞い、手の動きが、静謐さのなかにアクションとして映画を息づかせる。静と動。動の極みは雨にうたれながら亡き父に呼びかける黒木華だが、全篇にわたる光の処理の的確さもさることながら、最近の映画では珍しく、音が立っていることに感心した。
序盤のパーティーでの主客入り乱れての大はしゃぎには、借金返済のため夜昼働いていた一男(佐藤健)が、宝くじで3億円当てたぐらいで、こんなに調子づくかと、些かシラケたが、高橋一生の九十九と共に消えた3億円を追って、億万長者の間を地獄巡りさながらに動き回るようになって、面白くなった。目一杯の扮装で一男を翻弄する北村一輝や藤原竜也もさることながら、地味な主婦姿の沢尻エリカが、団地の襖や壁に札束を埋め込んでいるのが、物神としての金の正体をよく現していた。
東京から地元に戻ってフリーライターをしている「私」が、高校時代の友だちと、当時、憧れの的だった男に会いに行くという話を、車が替わるごとに、乗っている人物も時制も替え、それぞれの姿を描く構成は巧みだが、基点にある高校時代が生彩を欠く。過去を懐かしむ話ではないと抑制したのかもしれないが、憧れの的の椎名君(成田凌)も特に輝いていないし、奇跡のように楽しかったというゲーセンでの遊びも、どこがという感じ。最後の椎名の言葉に呆然とする橋本愛の表情は良かったが。
ここに写し出されている人たちに、強く心うたれた。2011年3月11日の震災直後には、東北地方のあの惨状に、1945年の敗戦を重ねる意識があったが、どこかのアホがアンダー・コントロールなどとほざき、やる必要もないオリンピックの旗など振るうちに忘れられた。復興という言葉は聞こえるが、元になど戻りっこないのだ。生き方、働き方を変えるしかないのだ、とオレごときがエラそうに言える柄ではないが、ここに登場する人たちは、それぞれの場で、着実にそれを実践しているのだ。
配役が豪華で話が薄いのは「億男」同様。ただしこちらは茶道の所作自体が映画的で楽しい。その形の意味を問われて樹木先生が絶句するあたり、教育テレビの講座とはだいぶ違うが、そういうのがドラマの良さ。彼女の「なのよねー」という台詞がかつての『ムー一族』とかの感じを残していてやけにおかしかったものの、喜劇ではない。エッセイ映画とでもいうべきか。主人公の父親以外は男の存在をぎりぎりまで消してあり効果的。ただ父親への感謝という部分に関しては舌足らずな印象。
それなりにお金がかかっていることは分かる。キャストもゴージャス。しかし話が薄すぎる。オムニバス的構成はいいが、観客の期待を超えるパートはない。大金を手にしたのに地味に暮らす女性に関してはもっと何か出来た気がしてならないのだが。「ホーリー・モータース」風に移動する車の中でキャラクターを変えてしまう藤原竜也とか、北村一輝の肥満したエンジニアとか、細部に惹かれる箇所はあるが、物語のメインとなる「消えた」高橋一生と「追う」佐藤健が、オチも含めありきたり。
タイトルは意味ありげだが、橋本愛と門脇麦の飢餓感を、かつての同級生成田凌が癒してくれるという物語では全くない。むしろそれぞれが、成田に象徴される「世界」と「出会い損ねる」みたいな感覚だな。癒されるのではなく、飢えはかえって深まる。その感じをさらに強めるのが、ゲーセンにぽつんと座っている渡辺大知の孤独な表情である。フジファブリックの名曲〈茜色の夕日〉が一人一人断片的に歌われ、やがてそれぞれのアカペラが積み重なっていくあたりの盛り上がりが凄いです。
シリーズ前作「ワーカーズ」は見ていないが、森監督は反骨の教育学者大田尭を描いた「かすかな光へ」で知られる人。反体制、等と力むのではなく、しかし権威におもねることなく、賢明な個を信頼する姿勢が納得できる。ワーカーズとは日本労働者協同組合の愛称。本作はその東日本大震災以降の東北地方での取り組みをあくまで実践的に語る。地域住民の様々な喪失感を地道に取材し、そこからの立ち直りの過程を同時に描くことで、被災地の現在からのメッセージとなっているのも貴重だ。
訃報の翌日に観るのはどうかと思ったが、樹木が若々しい声で足早に玄関に現れる初登場ショットに張りのある演技を認めて安堵。80年代を引きずる90年代初頭から始まる異文化ものだけに森田芳光的な匂いがするが、脚本も兼ねた大森監督が適材かと言えば最後まで釈然とせず。風景の中で人物を際立たせる才気にあふれた監督が茶室に蟄居させられるのが窮屈に見えてくる。説明の多いモノローグが効果的とも思えず、古めかしい家族劇へのアイロニカルな視点が欲しかったところ。
〈日本人とお金〉という普遍性を持つテーマは良いが、3億の宝くじに当たって右往左往では上方落語の『高津の富』を藤山寛美が松竹新喜劇で『大当たり 高津の富くじ』にアレンジしたのと大差なく、説教臭さまで似てくる。こうなると芝居で引っ張るしかないが、原作者兼プロデューサーもその点は承知しているのか主役以外の男優に怪演してくれそうな連中を並べ(殊に北村一輝は久々にやらかしてくれた)、女優も沢尻・黒木・池田という実力派を用意してくれたので専ら芝居を愉しむ。
同じ原作者でも映画のノベライズみたいな「アズミハルコは行方不明」よりも本作は脚色しがいがあると思っていた。山戸結希あたりが適任と思ったが、廣木隆一ならば職人技が期待できる。ところが何もない話をロングショットの長回しで延々撮っているだけなので、閉塞した空気感も東京への憧憬も台詞で空虚に響くのみでは〈この映画は退屈、どうにかして〉という気分に。椎名君を巡って時制を往復させる作劇も退屈さに拍車をかけ、彼の魅力が説明されるほどに感じられないのも辛い。
今年は地震と水害による甚大な被害が各地にもたらされたが、その後の話は頓と聞こえなくなる。本作では東日本大震災後を通して、普遍的な日本の地方が抱える問題を浮上させる。協同労働という可能性を提示し、各地の事業所が紹介されるわけだが、製作母体の関係もあって広報的な作りになるのはやむを得ない。被災地以外でも有効な在り方だと思わせるが、だからこそ金額を含めた具体を知りたくなる。震災時の映像に頼らず、体験者が回想して語る言葉に重点を置く作りは好ましい。