パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
ベースとなった舞台『US』との違いは不明だが、著書『秘密は何もない』で、ブルックが演劇との違いとして語った「俳優がカメラと同じ世界に存在するような、ある種の日常的リアリズムを押しつけてくる」映画の「社会的文脈」が存分に発揮されている。様々な人たちと果敢にかかわっていく、饒舌な若き主人公たちのダイナミックな物語は〝もしこの映画が日の目を見ていたら、人間の歴史は変わったのではないか?〟という想像力を満足させる。ラストカットのアクティブな沈黙に痺れた。
「ディーバ」とは「ファビュラスな女性」のことだとあるドラァグクイーンは胸を張る。70歳を過ぎても、背中も曲がっておらず、よく歌い踊り、賑やかに喋る彼女たち曰く、年を取るとは「若さを積み重ねる」ことだと。首や手の皺を見られることを恐れず、花のいっぱいついたカラフルなドレスで着飾る幸福をたのしむ強かさがいい。同時代を生き抜いた8人のディーバたちだが、人生はいろいろ。中でも死んだ男との思い出の曲を口ずさむフジカ・ディ・ハリディの美しい歌声にうっとりした。
「スター・トレック」オタクの主人公が、数百キロ先のハリウッドへオリジナル脚本を届けに行くロードムービーのゆるさ、「宇宙人ポール」を彷彿とさせるロケーションの懐かしさなど大好物! 映画会社での一悶着で、到着までの苦労ではなく、物語を紡ぎ出す苦労を訴えた主人公の表情が澄んでいてきれいだった(本懐を遂げた後の会心の笑みも)。エンディングに流れるラベンダー・ダイアモンドの『オープン・ユア・ハート』がナイス。主人公の人生の幕開けを象徴したポップなナンバーだ。
ソビボル絶滅収容所に運ばれたユダヤ人たちは、優雅なクラシック曲で歓迎される。以後収容所内でのナチス親衛隊による蛮行のBGMには、弦楽器が奏でる朗々とした調べを。対して、規則的な金属製のリズムの響きがユダヤ人収容者の恐怖を表現する。下品な対比にうんざりしていたら、物語の転換点となる下劣な宴で、ヴァイオリン奏者の涙に気づく。鞭で打たれて走り回り、戯れに銃で撃たれて死にゆく同胞の無惨な姿を前にした時、弦の音色は哀しみと怒りに、ドラマティックに変調する。
本誌8月上旬号で筆者が★1つとした「グッバイ・ゴダール」は、68年五月革命さなかにゴダールたちがカンヌ映画祭を中止に追いこんだ経緯を描いていた。本作はその年のカンヌ上映作だったのに理由もなく取り下げられたとのこと。その後は映画祭自体も中止になったのだが。この取り下げ事件といい、公開時の妨害といい、フィルム紛失といい(2011年発見)、どうやら本作は「非上映」という呪いを身に纏う運命にあって、今、上映という椿事に作品がはにかんでいるように見える。
リオのドラァグクイーンの活動拠点となったヒヴァウ劇場の香しき佇まい。夜の路上、彼女たちがヒヴァウに向かう歩きを見るだけで、ここが特別な空間であることがわかる。彼女たちの全盛期は60年代、ブラジルの独裁政権下だ。美の追究によって、醜悪な世界と闘ったのだ。この世は真夏の夜の夢。白々とした朝と共に夢の終わりが来ることを誰よりも意識して生きた人々。美しき夜が消失する一歩手前の閃光をとらえた本作の監督が、劇場創設者の孫娘だという点も感動的な事実だ。
自閉症のD・ファニングが書いてハリウッドのパラマウント社に届けようと悪戦苦闘する原稿は、「スター・トレック」の新作コンペ応募らしいが、部分的に抜粋もされる彼女の労作はシナリオと言えるのだろうか。映画の専門家が一人として登場しないから、主人公の才能の有無は正直なところ観客には判然としない。だがこの妄想の連鎖こそが美しいのだ。それはシナリオというより私小説であり散文詩であり、その息吹と共にD・ファニングという女優の最も美しい季節が刻まれている。
「サウルの息子」の緊張感には瞠目させられたが、本作はいかがなものか。今夏に死去したC・ランズマン監督も描いたソビボル収容所を舞台とするが、故ランズマンがもし本作を見たら何と言うのだろうか。ナチスの蛮行とユダヤ人の苦境を感動型のスペクタクル巨篇にパッケージ化してしまっている。監督&主演を務めたロシアのスター、K・ハベンスキーは高倉健ばりの力演だ。だが「実話」の名のもと、ラストの噴飯ものの大スローモーションによって喪失したものも大きいのでは。
P・ブルック版「ベトナムから遠く離れて」。いやもう当時は、ベトナム戦争に対してどう抗議するかという議論が、あちこちで巻き起こっていた。そんなあの時代の雰囲気が、役者による主張、再現ドラマ、戦場や僧侶の焼身自殺などの記録映像、識者のコメントなどで、コラージュ的に構成されていて。そのスタイルは今となっては懐かしい。描かれている中身は、ちと西欧インテリの苦悩という印象もするけれど。だけど世界中の人々があの戦争に真摯に向かい合ってたんだなあと感慨も深く。
ドラァグクィーンを題材の映画は数々あれど、これだけ高齢の方々が総出演というドキュメントは珍しい。さすがの貫祿というか、経歴を語る言葉にドラマもあれば重みもある。女装する理由も様々で、ひと口にゲイというけど、そこには多様性があることも分かる。軍事独裁政権下のブラジルで、彼女らがどう生きたか、出演の劇場はなぜ盛況だったのか、もう一つ掘り下げてほしかったという欲も。ただ、見ているうちにゲイとか関係なくなって。老後を迎えた人間の様々な生き方だけが残った。
自閉症の女性の初めての旅。目的は期日までに自作の「スター・トレック」脚本をパラマウントに届けること。映画ファンならそそる設定だ。この旅を経て彼女は少し逞しくなる。姉とも和解する。申し分ない結末だ。だけどもうひとつ響かない。この映画、どうも少しドラマチックに面白く作りすぎの感がして。撮影所でまくしたてる彼女の主張はこの映画の脚本家のものでは? 淡々と旅の模様をスケッチする。彼女自身は変わらない。それを見て変わるのは私たちの意識で。それだけでいいのでは。
ナチスのユダヤ人捕虜収容所もの。珍しいのは主人公がソ連の軍人というところ。彼の指揮で反乱を起こすという史実が基だが、これまでにない趣向で眼を引く。その経緯を、日数のカウントダウンで盛り上げていって。捕虜の人間模様はもう一歩の物足りなさ。ナチス軍人の描写はちと悪どい。いざ本番となって、将校を一人ずつ暗殺――の場面は手に汗握る。が、修羅場となってからの演出は荒っぽく、最後に男が恋人を抱えて収容所を出る画面など感傷的すぎ。これ、ロシアの国威発揚映画?