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両親を病気で亡くした少女フリダが、カタルーニャの田舎で叔父夫婦と暮らしはじめる姿を、被写界深度の浅い手持ちカメラで淡々と追う。自伝的な物語だというが、養母に反発したり従妹にちょっとした意地悪をしたり、突発的に家出までするフリダの姿を、距離を保って見つめるようなカメラアイで全篇撮っている。それでいて、少女の気持ちが痛いほど伝わってくるから不思議だ。個人的には、急に新しい娘を迎え入れることになった大人たちの戸惑いのほうに感情移入しながら観ました。
ワシントン州のインディアン保留地にはさまれた町に住んだことがある。ダウンタウンで酒に溺れるネイティブの姿を見かけるたびに、彼らの失意を思って心が痛んだ。ひとりの少女の死から、ワイオミング州にある保留地における人種差別や女性への暴力、銃社会の矛盾がひも解かれる。ネイティブの女性と結婚し、混血の子をもうけた中年ハンターを主人公にすることで、この物語は西部開拓時代におけるインディアンの虐殺と同化という、負の歴史を寓意的に表現しているのではないか。
ドキュメンタリー監督にとって最大のジレンマは、過去のできごとを自分のカメラで撮影できないことだ。本作の監督はTVドキュメンタリー畑の人らしい。ベルリンに潜伏して生き延びたユダヤ人へのインタビュー部分と、劇映画のパートを組み合わせた大胆な構成にしている。そうすれば、過去の事象を微細なディテールにいたるまで映像で表現できるからだ。とはいえ、TVの再現ドラマを見慣れていることもあって、特に斬新な手法にも感じられなかったのは観る側が麻痺しているのか。
精神分析学をかじった者であれば、ハマってしまうガジェットに満ちている。スレンダーで中性的な魅力を発するクロエの原因不明の腹痛を、精神分析医が意識下に抑圧されたストレスとして治療するのが最初の見どころ。その結果、医師と患者のあいだに転移が起き、彼女は分析医の恋人となる。ところが、その分析医にそっくりの外見を持つ、傲慢で挑発的なもう一人の分析医が現れる。古典文学の味わいをたたえながら、強迫症状、転移、分身といったモティーフで見せ切った手腕はお見事。
子どもを描いた映画の成否は、感情移入ができるかにほぼかかっている。これが長篇デビューという監督は、この点を実によく心得ているようだ。それも6歳の少女が孤児になった理由などの説明はせず、かつ孤独や悲しみの心情を感傷に訴えることもしない。自分の居場所を懸命に探し求めている少女と微妙に距離を保ちながら、その表情を捉える手法で、見る者の想像力に訴える。その甲斐あってこちらはずっと少女の心情に伴走。彼女が号泣した瞬間、感情移入は最高潮に。成功を確信した。
脚本家として、政治や法律から置き去りにされた人びとを書き、高い評価を受けているT・シェリダン。監督としても今回、ネイティブ・アメリカンの問題を主題に、得意分野で勝負に出たとみる。舞台の保留地は画面に衝撃的な素顔を晒す。法よりも自然が支配する土地で、人間関係が強いる緊張は、主題の垣根を越えるまでに凄まじい。こんな場所に知識の乏しいFBIの新米女性捜査官を単身送り込むとはいかにもドラマチックとも感じるが、ともあれ強固な骨格のクライム&サスペンスだ。
映画から知らなかったことを教わる場合が少なくない。ここ数年続々と公開されるナチス・ヒトラーを扱った作品からはとりわけ多くを教わる。この映画が描く、ユダヤ人が戦時下のベルリンに潜伏して生き延びた事実も、この例に。当事者が語る極限下での生存は、存在すること自体が許されなかった事実と併せ、今更ながら戦慄する。語りと、再現ドラマで構成して解りやすいが、語りだけで通した方が、むしろ生存の本質に迫れたのではないかと、後日考えた。「ゲッベルスと私」のように。
物語のキーワードが双子であることに加え、寄生性双生児という伝奇めいた話も登場するので、DNAの二重螺旋の鎖の相補関係を連想させる邦題はまず◎。双子の精神科医に惹かれる独身女性という話の起点は、ミステリアス&トリッキーな心理の迷宮へ。何が現実でどこからが妄想? あれ? タバコを吸っていたのは双子のどっちだった? 等々、話が進むにつれて、謎は深くなるばかり。女性の本質を描いてきたオゾンだが、今作はエレメントに凝りすぎて本質が見えにくいのが惜しい。
独立問題で話題のスペイン・カタルーニャ地方。その中でも中心地のバルセロナと田舎ではまた生活が違う。両親を失ったばかりのフリダは子供ならではの順応力を見せる一方、自分ではどうすることもできない環境の変化に戸惑いを隠せない。しかしそれを言葉や態度で訴えることはできない。意思とは別に溢れ出てくるものを体現したフリダ役のライアとそれを引き出した共演者、演出が素晴らしい。誰も答えはわからないし、正解もない。きっとこの先もラストシーンは繰り返されるのだろう。
雪深い山をジェレミー・レナーが猛然とスノーモービルで駆け抜ける。頭よりも肉体でものを考えているような、ある種の野蛮さをまとっているレナーの佇まいや持ち味が、言葉や法的な術を持たず真実に迫る役にはまっている。その土地のタブーを一面の雪が白く覆い隠すロケーションも象徴的。現地の気候を知らずに軽装でやって来た女性捜査官が極寒の洗礼を受ける冒頭のエピソードが後半効いてくる。編集の妙も含め、随所にメタファーがちりばめられているが、故にいささか理屈っぽい。
第二次大戦下のベルリン。そこで潜伏生活を送るユダヤ人の心情からとらえられた街並みの映像が美しい。暗く、閉塞的だが、どこか艶っぽく現実感を欠いた世界。そこがソ連兵に攻め込まれることは彼らにとって救いであると同時に痛みを伴う。自分たちの町でありながら憧れの場所を舞台としたスリリングなサスペンス映画におけるキーアイテムは身分証だ。潜伏中の少年がその偽造に生きるモチベーションを見出すエピソードをはじめ、命を脅かすそれが別の誰かを助けるお守りにもなるのだ。
フランソワ・オゾンと性は切っても切れないテーマだ。それは甘い夢を見せるものではなく、自己と他者のバトルであり、そういうものとしての性行為への飽くなき探究心には目を見張る。オゾンの濡れ場はバイオレンスシーンに近く、行為者が快楽に耽るような演出にも乏しい。本作でも「17歳」で瑞々しい肢体を披露したマリーヌ・ヴァクトがハードな要求に応えているが、自分と他人の交錯は「上海から来た女」「燃えよドラゴン」に連なる鏡の描写に至り、激しい生存競争を繰り広げるのだ。