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同じ非人間系のキャラ同士のバトルでも、佐藤監督の前作「いぬやしき」は、唐突に変身するキャラも、パワフルな映像も、そのアクションもしっかり楽しめたが、今回は、ただ眺めているだけだった。死神パワーとか悪霊軍団とか、ダークな世界の不毛なバトルが延々と続くだけで、早く終わらないかとそればっかり。原作コミックはアニメ化され、ゲームにもなっているそうで、脚本がもう少し親切ならば関心が持てたのだろうが、〝序〟抜きの〝破急〟だけでは何が何やら、あゝ空しい。
人間の負の部分をぶっきら棒に俎上に乗せる小島監督は、第一線で活躍するCMディレクターだそうで、そうか、CMの場合はスポンサーの意向に沿ってキレイごと、自分で自由に撮る映画は辛辣で露悪的、この違いがいささかあからさますぎて、恥ずかしい。こういうことができるのも〝成功者〟の余裕か。と思いつつ、安易な救いなど無視して主人公を突き放す展開はそれなりに小気味良く、どこか沈んだ映像も不安を誘う。韓国の犯罪実話の映画化をチラッと連想したり……。
こう見えても自分、ヴァギナ付いてます、と語るアゴ髭の漫画家・新井祥。あえて髭を生やしているということは、世間的には〝男性〟寄り?でも新井祥は自分は自分というスタンスで生きようとする。すでに一家を成しているらしいこの漫画家を私は今回初めて知ったのだが、サバサバした柔軟さで自分とその周辺の人々をカメラに晒す姿は人として魅力的で、このドキュメンタリー、それに尽きる。同居している茶髪の助手との関係も、友情以上、異母兄弟ふうで、人間は性別より相性?
ささやかなすれ違い。ささやかな喪失感。過ぎ去った時間。過ぎ去った人。舞台となる中国の3都市が、新海誠作品を手掛けてきたスタッフの丁寧な背景画で、それぞれの表情を持っているのが素晴らしい。街の表情に呼応した3話の短篇アニメも、新海監督の味と香りが充満していて、キャラの造型も新海タッチ。要するに3人の監督たちは、脚本を含め、あえて新海世界にドップリ浸かっているワケで、そういう意味では、新海作品はかなり模倣しやすいってこと? 愛すべき小品アニメ集だが。
まだ弱いあるいはまた弱い。原作漫画の奇想の面白さはVFXに担われていてそれはMCUに追いつき追い越せかもしれないが同じ土俵でというならまだ及ばない。「GANTZ」からこちら佐藤信介監督の長篇劇映画作品すべてを同時代的に主にこの欄のためと対象作品でないにしても劇場で観ているが本作が最も芝居がだめだったと思う。最もトータルによかったのは「アイアムアヒーロー」と「いぬやしき」、腹立たしかったのは原作のヤバさを殺いだ「GANTZ」。その圏域内に収まってしまった。
福岡には何度か行ったがあの甘い響きの訛りをつかう愛憎いずれも濃そうな人々と土地はまったく気に入った。それと同じ空気を全画面に漂わせて展開する或る女性のサンドバッグ人生。語りのなかの省略やカットとシーンの小さく鋭い飛躍のあるつなぎ方に主人公女性(女優良し)が生きる苛烈さが出ていた。非情に描くというつくり手の意思を感じたし、その苦しさや悪意は逆説的に主人公らの良きものに逆接した。とても気に入っている。同じ星三つだが「BLEACH」の五万倍は見甲斐がある。
性的なアイデンティティが何ら不安のない一般的な規範内にある私には驚くことようなことや実感として理解できないことが語られる。そこが面白かったし学ばされた。先ごろ衆院議員杉田水脈によるLGBT差別発言が話題になったときに本作を思い出さざるを得なかった。本作の主人公新井祥氏が何に対してあれほど突っ張り、戦っているのか。異なるものを理解せずそれを脅威だと認識し迫害する偏狭さとだ。新井氏の言う〝人生ショー〟の成功を祈る。切実な発信であるドキュメンタリー。
ビーフンとモデル人生とカセットテープが主題の三つの短篇。一話目の「陽だまりの朝食」は北京で働く青年が故郷の湖南省での日々と祖母との思い出などをビーフンを介して回想する。二話目「小さなファッションショー」はモデルの姉と服飾専門学校生の妹の姉妹愛が描かれる。三話目「上海恋」は交換カセットテープで育まれた幼馴染の男女の想いとそのすれ違いが再開発される上海の石庫門という地を背景に語られる。全篇声優が演技過剰かなと思った。中国って今こうかと面白く見た。
あの世とこの世のハブを担う杉咲花の〝眼〟は、常に何かを物語っている。それは怒りや哀しみといった感情だけではない。言葉と裏腹な内面や恋慕、それらを〝眼〟で語っているのだ。それゆえ、相手を「貴様」と呼ぶことが〝愛〟であると観客にも悟らせるのである。オープンセットによる市街戦は、破壊することを前提にしつつ細部までこだわり、アナログ的な職人技がVFX以上に作品をより魅力的にしている。闘う男が強いのではなく、闘わない女が強いと描いている点も一興。
均等に並んだハンガーから洗濯物を取り込む主人公の姿。そのルーティンは刺激のない毎日を暗喩させているように見える。同時に、雪だるま式に積み重なる悲劇が、逆の意味で刺激ある毎日を生んでいるという皮肉。高望みすること無く、ただ「地方の片隅で質素に暮らす」ことさえままならない厳しい現実を本作は描いている。偽物(贋作)を作る夫婦にとって、過酷な社会というリアルだけが本物であるという更なる皮肉。撮影現場で拾った電気ノイズをあえて残す〝不穏さ〟の演出も秀逸。
破れたトタン屋根の古ぼけたアパート。カメラが部屋の中に入ると、そこはリノベーションされたオシャレな空間になっている。外観と屋内との印象が異なることを示したこのオープニング映像は、地理的な情報を提示しているだけではない。取材対象となるふたりの外見と内面に抱えるものとが異なることをメタファーにしながら、本作の主題を宣言してみせているのだ。エッセイ漫画を挿入することで観客に情報を提示する手法は、ふたりの職業に適いながら深い理解を促す効果を生んでいる。
新海誠の影響は、写実的でリアルな実景やモノローグによる説明などによって否応無く感じさせるが、本作には「衣・食・住」それぞれを3つの短篇のテーマとする面白さがある。特に1本目の『陽だまりの朝食』では、〈雨〉だけでなく〈汁〉などの〈水分〉に対する音へのこだわりを感じさせる。そして、作画によって提示される〈食〉に対しては、決して「おいしい」という言葉を使わないというこだわりを評価できる。モノローグによる説明によって物語が進行するだけに尚更なのである。