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地政学的な見地から、日本列島が朝鮮半島や中国など東アジアの玄関口を塞ぐように位置しているという指摘には目から鱗。第二次世界大戦以前の黒船の時代まで遡り、日本が国家主義に傾倒する理由に言及する視点も斬新だ。資源がないから強い国にこだわるという見解は、東日本大震災後の日本にとって深刻。渦中では見えにくい問題点を的確に掬い上げていると思う。ところでパリ在住の監督は、取材した日本の政治家をどうチョイスしたのか? オファーからの経緯も含め気になる人選だ。
「ハッピーエンド」の衝撃から、今回はどんな仕掛けが? と構えていたのだが、タイトル通りで拍子抜け。というより、チェ・ミンシクだからこそ成立した物語だ。そういう意味では、話が転調する時のカメラワークなど、クラシックな技法で展開する実にスタンダードなドラマと言える(タイパートのスケール感にはびっくりしたが!)。マイクルーザーでピアジェを贈った恋人とカップラーメンをすする、中年オヤジの複雑怪奇な胸の内を淡々と演じるミンシクの演技力。予測不能の恐ろしさだ。
歩くそばから崩れ落ちそうな砂地の山。村を追われた一家が路頭に迷う雪の中。兄を殺された妹が転がるように下山する姿。圧巻のロケーションで蠢く、ちっぽけな人間を引き画で捉える。手も饒舌だ。塀に埋められた手、炎の中でパンをこねる手、裁きの名のもと、人に刃をつきつける手、哀しみに顔を覆う両手、そして祈りを捧げるのもまた、人の手である。まるで幻を追うようなデジャヴ的展開で、映画は「人の美しき本性が滅びることはない」という冒頭の言葉へと帰着する。美しい映画だ。
「バンクシーはクソ野郎だ」と断言するタクシードライバーのワリドは、全力を出したい時は、悪いことを思い浮かべて力を出すという、少年漫画の登場人物のように素直なボディビルダーの顔も持つ。ストリートアートは誰のものか? というテーマに、様々な立場から正論が吐かれる中、パレスチナの壁に描かれた「ロバと兵士」と、海を渡り、ヨーロッパの画廊に飾られたそれとの、あからさまな落差がポイントか。イギー・ポップの低音ボイスが、いろいろな声をひとつにまとめあげている。
現政権における国家主義の復活、戦前回帰傾向は論をまたない。日本人ドキュメンタリストがそれに批判的作品をフランス資本で作るのは、現在ならではの現象だ。なぜなら日本国内既存メディアの多くが政権監視の任務を放棄し、翼賛化が著しいため。それでも本作を全面的に支持しにくいのは、その教条的な説明主義が未来の運命を好転させる力を有しているか疑問だからだ。真に批判精神に富んだ記録映画とは、対象だけでなく自らの手法にも批判の眼が向けられていなければならない。
チェ・ミンシクという俳優は見ているだけで楽しい。彼が苦悶したり、追いつめられたり、傲慢なふるまいで周囲に顰蹙を買ったりするだけで絵になってしまう。本作はそこに目をつけ、彼はオーソン・ウェルズのように悲喜劇的な破滅者としていたぶられる。だが婚約者は殺されるためだけ、娘も疑われるためだけにいるようだし、昨今ありがちな結末ドッキリ主義がここでも頭をもたげ、世界を小さく閉じてしまう。むしろ、彼の軌道修正され続ける欲望、そのせわしなさこそを楽しみたい。
ジョージア山岳地帯のキリスト教共同体とムスリムのチェチェン人の抗争が背景のようだが、そのあたりは一見して分かりやすくはない。内部対立を可視化させたくないソビエト連邦時代ゆえか。その代わりに本作は、ドライヤーやムルナウ、いやグリフィスにまで遡行する映画の野蛮な画面独裁によって見る者を圧倒する。軒下の暗がりからヌッと悪魔的人物が陽の下に顔を晒す際の、客人の死を悼むムスリム女性が黒服で走り抜ける際のゾクゾクする物質性。布の、石壁の、雪の官能性。
覆面画家バンクシーをめぐり、ペイントされた壁の所有者やオークション関係者、美術評論家がいろいろと持論を聞かせてくれるが、ヨルダン川西岸地区の壁という政治的要素が本質のほとんどすべてではないか。あとは〝ストリートアートは芸術か?〟というジャンル論の蒸し返しだ。壁から削り取られ、高額で売買された〝作品〟をカメラがとらえても、そこにあるのはホルマリン漬けのグロテスクだ。ならば本作はそのグロテスクへの自己省察たりえているか。そこを問いたい。
この監督の前作は「天皇と軍隊」。昭和天皇の原爆被災地での発言にドキリとさせられた。今作でも平成天皇の退位、その真意にふれて、わが意を得たりの気分だ。フランス在住の強みで、これが描けた――というより日本のマスコミがダラシないんだろう。作品そのものは憲法改正に向かう安倍政権体制を解析。こちらとしては自明のことが多いけど、外国人向けにひじょうに分かりやすく描写。改めて考えさせられたところも。日本は今、天皇の上に米国を置いているという歴史学者の指摘とか。
大富豪で権力者の若き婚約者が殺害されて、彼の娘が容疑者に。だけど彼女は事件の夜、泥酔して記憶が一切ない。さて、その真相は? てなミステリーで、女性弁護士が探偵役。当然、裁判のやりとりがカギとなるが、あまり論理的展開ではない。トリックには穴があるし、弁護士がさほど頭を巡らさずとも、向こうから真相のヒントが飛びこんできたりと、終始、受け身なのが物足りない。結局、チェ・ミンシクの父物スター映画の趣で、その観点からすれば見応えがある。ちと泣きが濃いけど。
67年の作。初期のパゾリーニとかホドロフスキーのタッチを思わせて。ぽんと材料を放り出し、塩をまぶしただけの味わい。荒々しい。民族の対立、頑迷な慣習、憎悪、殺し合い――人間、このどうしようもなさに作り手はため息をつく。だけど個々の心を絞りに絞れば、底に何か美しい滓が残るのではないか。それが人間の〝芯〟というものでは。そんな希望がうかがえて。するりとこちらの身中に入ってこない映画。が、捨てがたい魅力があるのは、人間を信頼したい、その祈りが胸を打つから。
ベツレヘムの分離壁に描かれたバンクシーの壁画をめぐる騒動記。自分たちをロバと見なされた地元パレスチナ人の怒りから飛び火して、ディーラー、収集家、キュレーター、弁護士など美術に携わる人々が百家争鳴。その発言の数々は、その立場からは当然という内容でちと常識的。論争になっていかないのが物足りない。各人のコメントもしだいに堂々巡りとなって。バンクシー自身の反論がないんで、どこか芯のないドキュメントの感が。地元タクシーの運ちゃんとの対決、見たかったなあ。