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常識的なジャーナリスト・ジェイコブズが偉大なモダニズム建築家モーゼスに一発逆転を食らわせる50年代のドラマには、如才ない権力者との戦い方など、現代でも役立つアイデアがある。机上の空論で「秩序」を掲げるのではなく、多様な人々が集う都市の「混沌」に詰まっている知恵を見出す方法を提案した、ジェイコブズの斬新な観察眼や柔軟性が、記者、母として、長い時間をかけてニューヨークで育まれた胆力である点を丁寧に描けていたら「人生フルーツ」的味わいが出たのではないか。
社会の仕組みや歴史の枠を越えて、政治、宗教、経済などの様々な問題解決に挑む、若き日のマルクスの大胆不敵な様が痛快だ。未熟だが変化の激しい季節に焦点を絞った点が功を奏した。冷静な革命家の強烈な魅力はここにある。出色は資本家エンゲルスとの友情。激しい批判で自らの理論を鍛え上げる一方、精神的疲労に苛まれたマルクスが、エンゲルスに見せる笑顔。厳めしいトーンが基調の作中、深遠な思想家が「よいもの」を所有することを示す海辺のシーンは凪のようで、印象的だった。
今もなお深刻な被害を受けている子供の眼差しで、シリア内戦を見つめたドキュメンタリー。20歳のディロヴァンが「この街のジャーナリストとしてラジオ局をやっている、あなたにとっての戦争とは?」と逆質問されるシーンに、ヒロインの素直さが表れている。ナレーションで未来の我が子に語りかける「戦争に勝者などいません。どちらも敗者です」という言葉こそ、彼女の本音だろう。しかし若さには、壊された生活を取り戻し、新しい家族を作り、その先の平和を信じる力強さがあるのだ。
『ユダヤ人問題によせて』等で「類的存在」を目指し、リンカーンとも交流のあったマルクスの映画(右頁)を撮ったペック監督作品と理解して観れば、監督の本作のモチベーションがより明快になる。「駅馬車」から「エレファント」まで複数の映画から場面引用する荒技を、そして誰も見たことのない自由な映画を編み出した監督の「英雄」級のガッツに感服する。映画に限らず、様々な素材のパッチワークは刺激が強いが、サミュエル・L・ジャクソンのナレーションが心を落ち着かせてくれる。
冒頭クレジットで本作がロックフェラー財団の助成を受けたことを知る。「そうなんだな」と思いながら作品を見ていくと最後の方で、強引な都市再開発のドンだったロバート・モーゼスに引導を渡すNY州知事としてネルソン・ロックフェラーの名が出るに及び、合点がいった。市民活動家へのアシストは一族の名誉欲を満足させるものだからだ。この事情はさておき、本作を見たら主人公の著書を読んでみたくならずにいられまい。後述の「私はあなたの~」同様、これは現在の問題である。
中米ハイチのベテラン監督R・ペックがマルクスとエンゲルスの青年期を撮っているわけだが、喧嘩あり恋ありセックスあり追っかけあり。なかなかの痛快青春巨篇とあいなった。『資本論』『共産党宣言』の著者コンビをよくぞこんなに小気味よく取り扱ったものだ。ブルジョワ階級の搾取的支配に対し、労働者階級がどれだけ堅固な闘争ポーズを取れるのか。映画はその陣営内選手権の様相を呈する。プルードン、ヴァイトリングらの先達を倒していく2人の元祖パンクな勇姿が絶好調である。
シリアのクルド人街に響く「おはよう」のラジオ音声が、どれだけ街の人の朝を救ってきたことか。ニュースばかりでなく、詩人や女性兵士といった多彩なインタビューの人選も一つ一つ興味深い。IS(イスラム国)への抵抗という社会的意義はもちろんだが、とりわけ印象的なのは、ラジオ局を運営する女子学生たちの良きアマチュアリズムである。彼女たちの毎日の放送は、地域への愛と連帯であり、批評でもある。文化や価値観の多様性の確保でもあり、未来の希望と設計でもある。
中米ハイチのベテラン監督R・ペックがJ・ボールドウィンの生前の出演素材やテクストを中心に、公民権運動から現在に至る米国黒人史を90分で語りきる。その手つきの鮮やかさはDJによるサンプラーのそれであり、作品のあり方自体がムーヴメントの歩みを現代的に体現する。メジャーからは「ブラックパンサー」が誕生する一方、中米のベテラン監督はボールドウィンの知性溢れる言動に照明を当てる。トランプ政権下、黒人映画が再びいっきにダイナミックな躍動を見せ始めた。
「人生フルーツ」の老建築家が発言していたように、効率優先の集合住宅は、人間にそぐわないのかも。この記録映画を観ていると、さすが米国だと思う。高層住宅や高速道路の建設に対して、住民は徹底的に抗議し、戦い、勝利を獲得している。都市論からはじまって、活動家ジェインの主張、彼女の周囲の人々のコメント、そして運動の経緯と、その構成は手際よく、分かりやすい。ただ少し立ち止まって、人の温もりのある街、その住民たちの生活ぶりを具体的に見たかったという欲も。
思想家にして革命家の2人が題材。小難しい理屈を振り回す映画だったらかなわんなと半分斜めに構えて観ていたが、両者が売り出すまでの青春譚だったので結構面白かった。人を人とも思わぬ資本家とか権力者だけが敵ではなく、理論をもて遊んでいるだけの啓蒙者もやっつけるところが興味を惹く。19世紀中盤の欧州の雰囲気とか時代の流れがよく分かり、演出も快調。ラストの演説など、経済格差とか非正規雇用がはびこる現代にも通じ、巻末に流れるあの人の歌声と共に、ちと胸が熱くなった。
ISの占領下で生きる。戦闘は日常だ。そんな状況下でも、人はただ怯える日々を送っているわけではない。自分が生きるため、人々に何かを訴え、時には愉しませようと若い女性が立ちあがる。その手段はラジオ。兵器ではない。そこが胸を打つ。おびただしい死に囲まれながらも、彼女は希望を語り続ける。こういうドキュメントを観ると良いも悪いもない。ただ見つめるだけだ。監督が彼女に託した「未来のわが子へ」のメッセージ。そう、映画もまた現実を刺激しながら生きるのだろう。
「マルクス――」と同じ監督の作品。革命とか人種差別を題材にするのはハイチ出身ゆえか。60年代の公民権運動の経緯がJ・ボールドウィンの発言を軸にして綴られていく。その言葉は重く、感動的。ただ、その発言はじっくり文章で読みたいとも思う。記録映像の選択とか編集に工夫が凝らされているのは分かる。時代の流れも具体的に理解できる。が、既知のことをなぞっている印象もして。この映画、やや教科書的味気なさを感じる。今そこにある黒人迫害の現状こそ描いてほしく。