パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
オレが悪役で、ジジイがヒーローかよ、と憮然顔の佐藤健。その通り、荒唐無稽な設定だが、全国のおやじたちがくすぐられるに違いない正義のスーパーおやじの登場だ。前半はドラマで引っ張り、後半はCGのド派手な破壊アクションを連打、そのぶっ壊しぶりは「シン・ゴジラ」を連想させるほど。しかも都庁をメインにした新宿周辺が舞台だけに、尻がムズムズするような爽快感もある。木梨憲武の起用も大成功で、いかにものショボイおやじの奇跡の変身は、そのシワまでもカッコいい。
「ラプラスの魔女」の三池監督が猫っ被りの演出なら、この映画の廣木監督はさしずめ頬っ被り。スネたり、甘えたりの少女漫画キャラにキワドい橋を渡らせ、あげくにアッサリご都合主義的オチを用意。ま、原作漫画がそうなのだろうが、そうか、プロの監督は頬っ被りも技なのか。吉沢亮のキャラも金髪姿も手垢だらけのタイプだし。二家族が共同生活をすることになる居住空間がモデルハウスのように生活感が希薄なのは、ひょっとしたら原作漫画への皮肉?ともかく私には手が負えん。
慇懃無礼。猫っ被り。オヤオヤ三池監督、いったいどうしちゃったの。作品のあまりのシラジラしさ、よそよそしさについ好奇心が生じ、東野圭吾の原作まで買って読んだりも。で、猫っ被りのワケを3割方、理解したのだが、いくら原作者が描く映画人が素っ頓狂で、その犯罪が異常でも、ここまで口を拭って演出するとは……。特殊な能力を持つ若い2人の過去や現在にしても映画を観ただけでは独り合点もいいところ。味も塩っ気もない事件とキャラクターだけの映画の空しさよ。
時に太々しく、時に卑しくズル賢く、しかも瞬時に愛嬌と暴力を使い分ける刑事・役所広司の凄さ、素晴らしさ。役所に絡む俳優たちが煽られるようにしてテンションの高い演技をしているのも緊張感を加速させる。当然、映像も殺気と重量感があり、平成版「仁義なき戦い」、役所広司と白石監督のコンビ以外には考えられないパワーがある。とはいえ冗漫なシーンもいくつかあるのだが、暴力場面にブレーキをかけない白石演出の凄さはやっぱり格別で、悲壮、かつ痛快、シビレるほど面白い。
映画「GANTZ」で原作にある新宿の銃乱射をやらなかったことへの文句を五万回ほど言ってるうちにやってきた「いぬやしき」。これはよかった。原作漫画のポテンシャル、「アイアンマン」+「太陽を盗んだ男」みたいなものがちゃんと出てた。メインキャラ二人のガジェット的には「アイアンマン」。佐藤健が熱演した獅子神の気分的には「太陽を盗んだ男」。個人が世界に対峙しうる圧倒的な武力を持つ姿にかの名台詞〝俺は9番〟の感覚がかぶった。木梨憲武の主演もはまってた。
親世代の自由さによって子の世代が苦労するという話にも見えて、いま実写映画化されて観られるのは面白いんじゃないかと思った。両親×2の、親四人のキャスティングがすごい。たしかにこれの子だったらなかなか普通に語り合いづらい存在感だ。好きなのにタブーゆえに愛想づかしの素振りなど古典的な運びが違和感ない。そう、古典的な感じ。いい意味で。愛情というもののなかにある暗さや重さ、反社会性が出ていてこれもまた凡百のキラキラ青春恋愛映画とは一線を画する一本だと。
試写観て、ほんとにこんな原作?と思いあわてて原作読んだ。ほんとにそういう原作だった。スジやキャラや台詞もだいたいそのまま。理工系作家東野圭吾らしい科学を延長した先の超科学的な理屈のミステリーという渋めの原作の面白さを映画が外してる気がした。映画的でかっこいいなと思ったのは広瀬すずが予測した光の反射を目潰しに使って脱走する場面。もっとああいうことや「マイノリティ・リポート」の予知能力を使う逃亡みたいなことを創出するなりすればよかったのにと思った。
いい映画だ! 東映実録路線の血肉に、「NYPD15分署」やさらにそのルーツであるO・ウェルズ「黒い罠」のような善悪混沌警察映画の骨格も窺え、充実。惚れぼれする。驚くべきは原作者柚月裕子氏がわりと近年に「仁義なき戦い」を観てインスパイアされてこの原作を書いたことでこれは中上健次に関して手をこまねいた男たちをジョージ朝倉が思いがけないルートで抜きさった漫画「溺れるナイフ」にも似る。だが本作製作者男性陣はその遅れを挽回した。男女とも、全人類必見の快作。
凄腕であることを見せるのではなく、しょぼくれ具合を見せる映画冒頭。木梨憲武演じる犬屋敷と、やがて復讐の鬼と化すことで悪の魅力を放つ佐藤健との対比を生み出す由縁になっている。新宿歌舞伎町や都庁などで実際にロケを敢行した映像やドローンの恩恵を受けた空中戦など、VFXだけに頼らない演出も本作の魅力。自主映画時代から「何かに巻き込まれてゆく人」の姿を描いてきた佐藤信介監督にとって「何かに巻き込まれてゆく人」を描いた奥浩哉の漫画は相性が良くて当然なのだ。
廣木隆一監督作品の刻印ともいえる長回しの移動撮影が本作でも多用されている。このワンカットは「周囲の状況を見せてから人物へと寄ってゆく」という法則に従うことで、複雑な人間関係を判り易くさせるために有名俳優を両親役にキャスティングしたことと同じ効果を生み出している。また、マジックアワーでの告白場面が〝限られた時間〟のメタファーになり、役者の感情を途切れさせないだけでなく、観客の感情移入をも途切れさせない。複雑な内面を感じさせる吉沢亮の演技が出色。
本作では、ガラス窓、ガラス戸などガラス越しの映像が散見される。櫻井翔がガラスの向こう側やこちら側にいることで、対人関係のあり方を示唆してみせている。例えば、広瀬すずを匿う部屋が障子に囲まれているという対比は、それを際立たせている。〝ラプラスの悪魔〟は現状からの未来予測が可能であることを意味するが、この映画の中で向こう側が〝見える〟あるいは〝見えない〟こともまた、観客にとっての先行き予測が可能か否かを視覚的に表現してみせているようにも見えるのだ。
映画冒頭、ベテラン刑事・役所広司から度胸試しを強いられる新人刑事・松坂桃李。彼はコーヒーを片手に、牛乳を飲みながらパチンコ台に鎮座する暴力団構成員・勝矢にわざとぶつかってゆく。その刹那、コーヒーと牛乳でびしょ濡れになった勝矢は激怒するが、混ざり合ったものが〝コーヒー牛乳〟になるというユーモア。しかし重要なのは、「牛乳」=「白」と「コーヒー」=「黒」を混ぜることで「灰色」となる点。奇しくもそれは、本作の描く〝灰色の正義〟の伏線となっているのである。