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まず、バッティングセンターが映ったのに惹かれた。ただ、最後を別にして、そこ本来の機能が「アウトレイジ ビヨンド」のように活かされているわけではないけれど。主人公たちが通う高校の建物の大仰な構えに、こんな学校あるのかと思ったが、卒業した土屋太鳳が階段を降りる時には活きていた。だが、なによりも良いのは、それまでの菅田将暉の曲線的な動きと、表情を殺した土屋の直線的な動きがぶつかり弾けるところだ。菅田演じる春の父子・兄弟関係の話に格別な驚きはないが。
いいねぇ、寺島しのぶの仏頂面!職場で、仕事は一通りこなすが、周りから浮いている四十路の事務員という存在を見事に体現している。忽那汐里演じるちゃっかり娘の姪の企みで行く羽目になった怪しい英会話教室で、アメリカ人の教師から、いきなりハグされ、ルーシーと名付けられたことから、仏頂面の下に隠していた欲望を解放していく。先輩老嬢の退職祝いで盛り上がるパーティを一言で壊した彼女は、不仲な姉と共に姪が行ったアメリカへ向かうが……新人・平栁敦子監督に拍手!
恋愛の成否を遺伝子で診断するラブドックという設定はともかく、パティシエという仕事を持ちながら、地に足のつかぬ恋愛に走っては失敗を重ねる吉田羊演じる飛鳥と、大久保佳代子扮する独りで子育てする親友・千種という組み合わせが物語を支えている。自己中の恋愛に走って千種を裏切った際の千種の言葉は、親友なるものの危うさを見せてリアル。と、話は悪くないが、フラットな空間構成のなかでのアップの繰り返しは、映画というよりは、スマホで見る動画に近い印象を受ける。
冒頭の満開の櫻と菜の花のなかに黒いスーツ姿で立つ朝倉あき演じるヒロインのモノローグに共感できるかどうかが、この映画に対する評価を分けるだろう。うん、わかるよ、その気持ちと肯けば、以後の、知人・友人の働きかけに距離を取る彼女の態度を素直に受け入れられるだろうが、残念ながら、当方には、彼女の言葉以上の想いは届かなかった。だから、ところどころで、で、どうしたいの? といいたくなってしまう。まあ、教え子と銭湯に入っているところなんかは良かったが。
特殊効果をギャグにしているのは面白い。しかし原作物というのが信じられないくらい支離滅裂な設定で、コメディ風味はヤケでやってる感じ。それはまあ良しとして、途中で主人公がいなくなるってどうなんだろう。どこに行ったか観客は知ってるものの、それが展開されないので気持ちが落ち着かない。スーパーマン菅田よりもお兄さん役の古川の陰りの方が魅力的である。御ひいきの俳優陣が勢ぞろいなので楽しめるのは事実だが、葛藤がどこにもない物語では、評価のしようがないのだ。
金髪のかつらで寺島がルーシーになっちゃう、という初期設定、つかみは悪くないものの、この陰惨な日本観察記録は評価できない。わざわざ描かれるくらいだから日本の会社組織はかくも下劣で、日本人女性はかくも度し難く軽はずみなのだろうが、だから何なんだ。監督はとても底の浅い絶望や希望を、米国旅行を餌にもてあそんでいる。ただしダメンズ君を演ずるジョシュは意外と良い。よく考えたら彼は米国に戻らず日本でちゃらんぽらんに暮らしていた方が幸せだったはずではないか。
これは拾い物。どう転がるか読めそうで読めない展開がいい。ラストの橋も上々である。始まりが映画の現在でそこから過去二つ恋のしくじりをさかのぼる話法が上手いものの、モノローグの多用と妄想ギャグには感心しない。主人公は妄想をむしろ拒絶するタイプだから。吉田と大久保、アラフォー二人の女の友情とその破綻という物語を前面に押し出す手際が真摯で、ただそうなると前半が長すぎないかな。三人目の恋人野村のエピソードをもっと見たかった。広末の年齢ギャグは面白かったが。
クライマックスに使われる逆ズーム、カメラを引きつつクロースアップする技法、が効果的。このテクニックは最初の方でもわざとらしくなく用いられて、それとなくエンディングを予感させていた。染物職人の作業部屋や仕事の細部が人物のキャラクターを引き立てる役割を果たしているのも上手い。問題は、恋人に死なれた主人公が投げやりに生きているようにしか見えないところ。彼女の喪失感の真情はラストに語られるのだが、そこまでが長い。テレビじゃなくラジオ派というのはいいね。
「君の膵臓をたべたい」でキラキラ青春映画を逆手に取った月川翔だけに期待させたが、今回は定型をそのまま見せているのみ。土屋の母とのくだりが顕著だが、設定が次々と提示されて自動的に処理されるだけで、このジャンルの終焉を予感させるほど。アンサンブルを取る気がない土屋が独走し、一方の菅田はどういうわけかとんでもない怪力を持ち、それが作劇に何の足しにならないので役を持て余し気味に見える。突出した才を見せていた浜辺がこの程度の役とは無駄遣いもいいところ。
外国人監督が撮る日本と同じく、外から見た日本と日本人を描くことで、電車の遅延や雑居ビルといったありふれた光景が異国のものとして新鮮に映る。それだけに発端部で描かれた〈日本人と英会話〉がおざなりになったのが惜しい。役所も出てくるだけに社交ダンスの英会話学校版になりかねないが。寺島と南が渡米してから言語がほとんど問題にならないのでは、ドラマになる要素が素通りしてしまうのでつまらない。出演者たちが日本映画に出る時よりも伸び伸びと演じているのは良い。
2時間弱のラブコメという段階で、ルビッチ、ワイルダーと言わないまでも、凝った構成と演出がなければ持たないと思わせるが、設定は良いにしても軽快な演出とは程遠く、冗長。吉田羊が非常識で猪突猛進型のエキセントリックなキャラというわけでもないので、コメディエンヌとしては弾けず、男社会の歯車の中で虚勢を張るだけにしか見えない。奇想的演出が施されているが、映画の流れを堰き止めている。何人かの女優と女芸人を主人公にしたオムニバス形式にした方が良かったのでは。
3年前に死んだ恋人からの手紙、国立、桜、文学趣味と、岩井俊二的なアイテムが並ぶので警戒しそうになるが、むしろ行定勲の初期作に近い。狭いアパートの生活、街を吹き抜ける風、屋上で眺める花火など心地良さがあふれている。だが、個々の描写の帰結を求めると曖昧でスケッチ以上のものは感じず。横移動の歩行場面に挿入歌を重ねて大きく鳴り響かせる演出も大山鳴動して鼠一匹的。オリジナルにこだわるより原作ものや詩を基にした映画化などの方が才を発揮する監督ではないか。