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ヒップホップ史にその名を刻む夭折のラッパーが、ブラックパンサーの息子であり、シェイクスピアをそらんじる演劇少年だったとなれば、熱くて面白くてとんがった映画に絶対なりそうなのに、構成も撮り方もびっくりするくらい凡庸なうえ、トゥパックの生涯の何に重点を置いて描こうとしたのかわからない、「映画らしきもの」のイメージをなぞるだけで精一杯、みたいな映画になっている。主演男優よりも、聡明で情熱的な闘士であるトゥパックの母親を演じた女優の方が強い印象を残す。
よく見るとずっと二つの場所で並行して話が進んでいて、これは観客の興味をつなごうとしてのことだろうけれど、律儀なカットバックは、逆に単調さに荷担してしまってはいないか。前作ではエグさがぎりぎりブラックユーモアにとどまっていたが、今回のは好き嫌いが分かれそう。「オリエント急行殺人事件」並みにオールスター映画の華やかさあり。でも楽しそうに演じているJ・ムーアには、むしろオリ急のハバード夫人の役をやってほしかった気も。エルトン・ジョンの怪演も見どころ。
あのむごたらしいユーゴ紛争が娯楽映画の背景になる日が来たのかという複雑な感慨はさておき、E・セラの勇壮な音楽は、戦争冒険活劇の気分をがぜん盛り立てる。でも冒頭の戦車アクションのド派手さに、ストーリーからしてこの先これを超える見せ場はないはずだと心配になるが、水中にただようパラシュートの橙色、水に触れて散る画布など、審美的な画面の魅力が観る者の興味をつなぐ。もはや彼自身で一ジャンルであるとさえ言えるJ・K・シモンズが、映画全体をかっさらうオモロさ。
運動の連続だけで成り立っている驚くべき映画。めまぐるしくて何が起きているかわからなくなる箇所もあるし、こんな単純な話なのになぜ脚本に穴があるのかと首をかしげたりもするけれど、そんなことがどうでもよくなるくらい、躍動感あふれる見事な運動と、色彩豊かな背景美術(動植物の質感の素晴らしさ!)に、目を奪われているうちにたちまち時間が過ぎる。キャラクターデザインも親しみやすいが、これは日本のアニメの影響が強いからかもしれない。長身で二枚目の悟空が新鮮。
ヒップ・ホップの世界を描く映画にふさわしく歌と身振りで終始ハイ・テンション。映像と編集も快調で、一気に見せる。二五歳にして銃弾に倒れた2パックの母アフェニがブラック・パンサー党員であったことから、天才ラッパーの波乱万丈の生涯が始まるので、調査の行き届いた伝記的映画がアメリカの黒人の歴史にもなっている。2パックを取り巻く芸能界の表と裏も描かれているので、馴染みの固有名詞とともに彼のことを少しでも知りたいと思うファンにはたまらないシーンの連続である。
前作では貧しい階級の出身であるエグジーが貴族的スパイになろうと努力していたが、今や立派に成長。そんな彼に襲いかかるのは世界の麻薬市場を仕切る美しいサイコパス、ポピー(ジュリアン・ムーア好演)。彼女が住むカンボジアの50年代米国を再現したセットがみごと。「麻薬に手を出した者は全員殺す」という論理で米国大統領まで味方に引き込み、天高くそびえる巨大な収容所を造らせる。荒々しい物語と丁寧にできた美術小道具、エルトン・ジョンの特別出演などでポップ感満載。
またもやナチスの隠匿した大金塊を奪還するネタだが、舞台は95年、ボスニア戦争の最中で、アメリカのネイビーシールズが活躍する物語になっている。リュック・ベッソンが製作にかみ、ジェームス・キャメロンと共に働いたスティーヴン・クォーレ監督の職人的な腕は確かで、水没した都市の水中撮影などはさすが。畳みかけるようなサスペンスの構成とネイビーシールズのチームワーク、その技術の見せ方も巧妙だ。彼らの上官にJ・K・シモンズを配役して渋い笑いと涙をとったのも、秀逸。
孫悟空が五百年の長い眠りから覚めたばかりの物語で、ご存じの三蔵法師との道中記ではない。悟空はいかにして、われわれの愛する存在になったかという話なのだが、遠近感があり、大小のメリハリのついた絵のディテールもよく、カンフーアクションも派手なので、見入ってしまう。猪八戒などの表情や動きは児童にも受けるコミックさだが、敵役の「混沌」と配下の女妖怪は、いささか大人向けのあやしさ。悟空とともに活躍するリュウアー少年が長じて三蔵法師になる次回作がたのしみ。
母親との愛憎、黒人を束ねる指導者を目指すも世間からはギャングスタ・ラッパー扱いという理想と現実、そうした立ち位置やホームタウンを含めた流浪者としての哀しみ、そして抗争。どれかひとつに的を絞って物語を組み立てればいいものを、そのすべてを均一濃度で盛り込んだために人生をざっと追うだけの伝記ドラマになってしまった。「ストレイト・アウタ・コンプトン」同様にドクター・ドレーが勤勉な紳士として描かれているのが印象的で、2パックより彼に興味を覚えてしまった。
Leeのストームライダーを意識したデニム・ジャケットやウエスタンヨークを入れたダウンジャケットなど、キングスマン同様に抜かりなきステイツマンの衣裳のディティールには燃えた。けっこう重要なキャラをあっけなく死なせたり、ちっとも活躍させなかったりする点は、予定されている3作目への伏線になるのだろうとは思いつつも、行き当たりばったり感満点でなんだかワクワクしない。人体破損描写の悪趣味度も前作よりパワー・ダウン、エルトン・ジョンの使い方もあざとすぎ。
早い話が、特殊部隊版「戦略大作戦」or「スリー・キングス」。装備、技術、経験、度胸すべてが半端ではないネイビー・シールズがトレジャー・ハンティングに向いているというアイデアは、バカバカしくも妙に納得してしまう。後半は水中での右往左往がメインになってしまうのでドンパチはほとんどナシ。そのぶん、アバンタイトルでは戦車を使ったチェイスを繰り出してくれ、興奮と派手な見せ場の帳尻を合わせている。人情味満点なオチも◎で、L・ベッソン脚本作はハズレが少ないと痛感。
とにかくアクションが異常に速く、なにが起きているのか、なにが映っているのか判断できないこと多し。ドタバタする場面もやりとりがしつこいうえに、各キャラのちょっとした表情をいちいち拾うので観ていて疲れる。孫悟空の体型や顔つきがえらくシュッとしており、頭にはめている輪〝緊箍児〟がブレスレット型になって腕にはめられているなど、なにかと当世風になっているのは面白い。しかし、悟空にくっついて結構な高さから落ちたり、吹っ飛ぶ主人公の少年は脳挫傷で死ぬと思う。