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最近とにかく全世界的に多い、これまた実話を基にした作品(そういう映画ばかり日本公開されているという可能性もあるが)。主人公サリヤを演じるコスティア・ウルマンの美形ぶりに目を見張る。視覚障害を隠したまま一流ホテルマンを目指す彼の奮闘ぶりが、安易な派手さに流れない堅実なタッチで描かれていくのだが、ある意味、最初から展開も結末も見えているわけなのに、思いのほか波瀾万丈で、最後まで興味が持続した。あくまでも個人の物語で、障がい者を擁する社会の話ではない。
難民のアフリカ青年を受け入れることにしたドイツ人家族を中心とする、真顔のコメディ。シリアスな題材を変に誤摩化すことなく、だが生真面目なだけでもなく、むしろ生真面目さが複雑な笑いを生むように描いている。淡々とした地味な作品なのに、本国で大ヒットしたのも首肯ける。難民青年ディアロに扮するエリック・カボンゴはミュージシャンでもあるそうだが、いつもちょっと困ったような表情が魅力的。しかしこの邦題はどうなんだろうなあ。かなり考えた結果なのはわかるけど。
冒頭、ジャン= ピエール・レオーの顔に少なからぬ衝撃を受け、それはすぐさま感動に変わった。主人公ジャンを虚構の人物としてのみ受け取るのは不可能だし、諏訪監督もそれも込みで、というか、それをこそ撮っている。だからこそ、レオーをこの映画で初めて見たとしたら、と自分に暗示を掛ける。それでもやはり、私は観終わった後、しばらく口が利けなくなるくらい、したたかに打ちのめされていただろう。テーマとしては、やはりフランスで撮られた「ダゲレオタイプの女」と繋がる。
かなり変な映画だ。予備知識なしで観始めたら、どういうジャンルの作品なのか、段々わからなくなっていった。あからさまにミステリアスな展開だが、語りのタッチがニューロティックとファンタジックの二重になっていて、シリアスな心理劇のようだと思ったら、急に「怪物はささやく」みたいになったりもする。サラ・ガドンが出てるからということもあるが、クローネンバーグ的な雰囲気も。原作のせいもあるのだろうが、どうも混乱してるように見える。だが、この混乱は嫌いではない。
弱視によるハンデの具体性が曖昧。主人公目線のビジョン映像では、通常の距離感だとほぼ何も見えない状態に描かれているが、これでは日常生活もままならないのではと思われる中で、彼がホテルのスタッフとして修業していることがどれほどスペシャルなことなのかどうにもイメージしづらいため、題材が生かされていないように感じる。それなら仲間との連携プレーで不可能を可能にする側面をもっとクローズアップしても良かったのでは。同僚で親友のマックスがとにかくいい奴。
まさに今のドイツが直面する難民問題と家族のドラマをユーモラスに紡ぎ上げたウェルメイドな一本。キャリアを引退した妻、老いを受け入れられない夫、シングルファーザーの息子とその息子(孫)、三十路でニートの娘、と一つの家族を構成するメンバーによって、それぞれの世代と立場が抱える現代的なトピックをさりげなく取り上げているのもスマート。たびたび繰り返される「(ドイツは)自由の国」というワードから、生き方を選べることの幸せと難しさを考える。孫の作ったMVがクール。
子供たちの被写体になったジャン=ピエール・レオーが、彼らの作った映像を一緒に見て、シンプルで美しい、映画づくりを純粋に楽しんでいる、と言う。レオーの口からその言葉を聞いて、自分が言われたかのように泣けた。少なくともそうありたいと願っている。だけどそれがなんと難しいことか。盗撮を試みる子供撮影隊の中で、録音用マイクの風防のふわふわが隠れきれずに見えている描写は、あざといと思いつつやっぱり可愛い。ラストにレオーが見せる「死」の芝居に鳥肌が立つ。
アジャにしては出血少なめ。その代わりにファンタジー色を強めにしていることで、ジャンルをまたぐ作りになっているが、それが吉と出ているか否かは微妙。オチがしっかりしているだけに、そこにたどり着くための表現として、物語と手法が弱く感じる。論理的に破綻している気もするが、自分の理解力不足なのかどうかもよくわからない。ただ、サラ・ガドンはとにかく綺麗。ゆえに人間はいかにビジュアル的な要素に左右されている生き物なのか、肌で痛感させる説得力が半端じゃない。
5パーセントの視力というと全盲に近いのだろうが、成人してから未だ日の浅い主人公の、座頭市もかくやと思わせる動きには驚かされる。抜群の運動神経と記憶力の持ち主なのだろう。奇跡と言われる所以か。彼を支える家族、友人、同僚の愛情や善意が古き良き時代を彷彿させ、巧まざる現代社会への批判となっている。ホテル業界やスリランカ系家族の生活の裏話も面白く、一捻りしたハッピーエンドも余韻を残して終わり悪くない。新しいタイプのサクセス・ストーリーだ。
ヴァーホーヴェン監督は、この映画は難民映画ではないと言っている。たしかに、裕福な医師一家のミッドライフ・クライシスがテーマではあるが、一家に突如入ってきたアフリカ難民青年のトリックスター的な存在なしでは成立しないコメディなのだから、ユニークな難民映画であることは間違いない。喜劇的誇張には好き嫌いがあるだろうが、西欧先進国で難民の置かれている状況が巧みに組み込まれた斬新な切り口だ。その昔アメリカ映画で活躍していたセンタ・バーガーが懐かしい。
ジャン=ピエール・レオーというと「大人は判ってくれない」のラストシーンのクロースアップのイメージが重なってしまうのは宿命かもしれない。以後数々の作品に出演し、常に俳優としてより映画の一部であるような存在感を示し続けてきたこの特異な俳優の晩年を代表する記念碑的な映画だ。撮影中の老優と彼を慕い追い回す映画小僧たち。ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに捧げられた見事なオマージュを日本人の監督が作ったのは嬉しい。死の影がただよう映画だが、明るく楽しい。
ミステリーとファンタジーの融合を狙ったのだろうが、その意図は裏目に出たようだ。ミステリーの論理を積み重ねた緊迫感もファンタジーの奔放なイマジネーションも共に希薄だ。以下ややネタバレになるが、ファム・ファタール(?)が魅力に欠けるのでミステリアスな雰囲気が伝わってこない。台詞の説明が多く映像的な面白さが少ないのも残念だ。あの海藻男は一体なんだったのだろう? 九回も死の危機に瀕し今も昏睡状態の少年をめぐるストーリーなので後味がよくない。