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20年以上前、カルカッタの劇場で映画を観たとき、お祭り感覚に近いインド人の映画愛を肌身に感じた。本作もさぞや熱狂的に鑑賞されたのだろうと想像すれば、映画ファンとしては羨ましい限りだ。主人公バーフバリを筆頭に、男も女も老いも若きも、スーパーマン級にべらぼうに強い登場人物たちが、王座をめぐって繰り広げる死闘。そのスケールの大きさには(作中の)インド人でもびっくりするんだ! と新鮮に感じつつ、さすがはバーフバリ、最も驚くべきシーンではクールなのだった。
口癖は「糞(メルド)!」、自我の外側に在る世界を探求した野心的な芸術家・ジャコメッティにそっくりな怪優ジェフリーの、クセのある軽みと「Jazz à gogo」をはじめフレンチポップスの意外なマリアージュ。アトリエの暗闇から一線を飛び越えれば、プールに浮かび上がるシャガールの七色の絵や、赤いオープンカーで駆け抜けるパリの青空など、世界は新しい色に溢れている。ジャコメッティの自由な魅力に感化された、しかつめロード(アーミー)の勇敢なラスト・ユーモアも効いている。
ドリスの鼻歌、ショー後にパートナーのパトリックと交わすキス、森の中での丁寧な暮らしぶりなど(愛犬ハリーのお利口ぶりも含めて)孤高のファッションデザイナーの日常はドリス・ヴァン・ノッテンの世界観を損なわぬ美しさに彩られている。エレガントなドキュメンタリーの中で、インド刺繍に魅せられたドリスが、現地に工房を作り、インドの職人の雇用安定にも乗り出しているという、敏腕経営者の一面は興味深く、ハリーのサービスショットを少し減らしてでも、掘り下げてほしかった。
窮地に追い込まれる中、渋味と苦味を増し、冴えてゆく主人公のシャオチーが、10年後のジャニーズWEST・重岡大毅に見えて、ざわついた。実際に演じた台湾俳優のカイザー・チャンとは、目で語るチャームが似ているのかも。割れた鏡に映る複数の目など、古典的な手法だが、観客に恐怖を印象づけるのは、駒鳥をはじめ、作品世界を取り巻くひとつひとつのモチーフにしっかりしたストーリーがあるから。ラストの寓話の真意については理解まで至らず、残念(詳しい方、ご教示ください)。
ヒンディー語映画(ボリウッド)の有力な対抗馬の一つテルグ語映画が、本2部作によって映画大国インドの筆頭に躍り出たらしい。在野育ちの青年の出世劇は、テルグ語映画の意欲そのものを表しているだろう。じつは主人公、宮廷の権力闘争に無頓着で、争いの発端は妻の権勢欲にある。歴史は女で作られる(笑)。だから単純な勧善懲悪ではない。2人の王子のどちらがより欲望に忠実に生きられるか。闘争に敗れた側の保護者が即位式にシレッと列席しているのも面白い。
米国人が2日間の約束でジャコメッティのモデルを務めるが、終わらない。結局18日間に及んで彼は疲弊していくのだが、矢内原伊作のような筋金入りモデルがもっと長期の滞在を涼しい顔でこなしたことをすでに知る私たちは驚かない。そもそもジャコメッティの作業は終わるものではないのだ、消えるまで。米国人の肖像画をグレー絵の具で消去してしまう印象的なシーン。でも全部は消さない。描いたという痕跡だけ留める。私にはこの映画が「終わる」こと自体、ユーモアだと思えた。
本作で起こっているすべて、どんなに小さな仕草、振る舞いに至るまで感動的だ。映画として優れているからか、それともただ単に私自身がヴァン・ノッテンの服(特に女性服)を好きなだけだからか? 「マノロ・ブラニク」のようにセレブの社交性に寄った作りよりも、アルティザンの手作業にカメラを向けたものの方がいい。無駄をなくし、より良いものを求め、選び直したり手を止めたりする、そんな時間を共有することこそアートドキュメンタリーの魅力であり、本作にはそれがある。
誰かが何かをたくらんでいなければ、こんな不吉な符合はあり得まい。そう主人公は不審に思い、目撃してしまった事件をたぐり寄せるつもりだろうが、逆に観客には彼が目を閉じていくように思える。決定的瞬間の目撃が重層化していく一方、そもそもこれは目を逸らすこと、脇見運転によって現実を歪曲してしまうことについての映画ではないか。事の発端、物語の推進力はつねに登場人物たちの脇見と注意散漫と共にある。主題を裏の主題が裏切る、という皮肉な構図の作品だ。
お正月気分にぴったし! 前篇と同様、痛快丸かじりの物語展開。雰囲気が昂揚すると歌曲が入るその呼吸、演技の型が歌舞伎を彷彿させて。そう、まさに音楽劇のセンスでお話が綴られていくのだ。だからすこぶる歯切れよく、キメの画面には「いよっ!」と声をかけたくなる嬉しさ。今回は嫁姑の女の闘いも絡み、波乱に拍車をかける。終盤、残り時間15分。これで正邪の決着がつくのかしらとハラハラしたけど、疾風怒濤! あれよあれよの超快速テンポで、こちらは口あんぐり。いやあ愉快愉快。
あのジャコメッティからモデルに請われた作家がいて、気軽に了承したものの延々と拘束される。1日目、2日目、と続くカウントが日記風の面白味を醸し出し、ジャコメッティその人の素顔、性癖をじわじわと見る者に沁み込ませていく。監督のトゥッチと主演のラッシュ、両人が息を合わせてこの才人を楽しみながら描き演じている風情で、さらりとした味わいの良さがある。だけどアトリエに乱立した彼の彫刻、その残骸。これが芸術家の凄惨を匂わせて。この厳しさがもう少し映画にあればと。
シンプルだけど華があって。鮮やかな色彩を使っていても、柔らかさと落ち着きを感じさせる。ドリスの感覚はカッコいい。特にマリリン・モンローを題材にした服の創作。素材選び、男性モデルに服を着せてデザインを決めていく、そのプロセスが面白く。ドリス自身の普段着の素朴なコットン生地、ショー終幕のあっさりしたお辞儀、そこに飾らぬ個性が匂う。インタビューに記録映像を絡ませ、私生活のスケッチを盛り込んだ構成。その手法に新味はないが、ドリスにマッチした簡潔さで。
どうも最近、謎が解けても釈然としないミステリー映画が多くて。しかも後味が悪いっていうヤツ。これもそんなイヤミス系で。深夜の交通事故。その目撃者、被害者、加害者が絡んだ物語展開だが、ちと要素が多すぎの印象。謎のための謎というか、見る者をギョッと驚かすための仕掛けに熱が入って、推理劇に不可欠な論理的な思考をないがしろにしている感が。ゆえに後から考えると、首をひねりたくなる設定だらけで。刺激ばっかという、最近流行りの映画の悪いとこだけを踏襲したようで。