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「ライフ」を観たあとだと、乗組員があまりに不合理な行動ばかりするのでびっくりするがそれはさておき、「エイリアン」の前日譚というよりは「プロメテウス」の続篇で、リドリーはますます宗教的なものに接近。実際「コヴェナント」という言葉には「神との契約」の意があるし、デヴィッドは修道僧や原始キリスト教の隠遁者のイメージで登場するのだった。でも正直言って、人智を超えたものが突然襲ってくるから面白いのに、随分つまらない方向性で話を閉じようとしているなあと思う。
基になった実際の出来事を知らない人は、この映画を、犠牲者遺族と事故責任者それぞれが大事故のトラウマを乗り越えようとする物語として観はじめるはずで(だからこそえんえん続く陰鬱な状況にもひたすら耐えようとするはずで)、それゆえ、突然の展開には何だか裏切られたような気分になるだろう。かたや実際の出来事を知る人は、「再現ドラマ」を見せられているだけのように感じるだろう。キャスティング自体がひどいブラックジョークのようにも思えてくる。硬質な画面は魅力的。
最初のうち東森スコットさんがひとりで映画を支えようとしているかのようで気の毒に思えたが、コン・ゲームの風味が匂い出してからがぜん映画が弾みはじめ、力量が不安定に見えていた演者たちも魅力を発揮。カーチェイスの聖地(とわたしが勝手に思っている)南仏の風景がとびきり魅力的で、ロケ地の特徴は人間同士のチェイスシーンでも活用される。カット割りが極端に細かいのに観ている者が混乱しないつなぎになっており、場面転換にも工夫が見られ、ちょっとした拾い物的な面白さ。
国家権力が無辜の市民に銃を向け、もはや帰るべき家も祖国も失われている地獄。問題意識はすごく理解できるし、語りもさすがに巧みだが、人物の反応や動き出しが微妙に遅く感じられてストレスがたまる上、イマジネーションの広がりも、動きの魅力も乏しい。カットつなぎもダイナミックさが不足気味なので、視覚的に単調に感じてしまう。だが何よりもまず、「新感染」で見られた空間演出の冴えがまるで見当たらないことに驚く。実写映画でこそ開花する才能だったということか?
清潔で広い部屋で父と息子が静かに言葉を交わす。父に言われてクローン人間の息子はピアノを弾くのだが、それだけでもう次にやってくる恐怖の時間を感じさせる。宇宙船に乗って地球人が居住できる惑星を目ざしていた一行が目的地とは違う場所に寄ったばかりに無気味なエイリアンに襲われるというシンプルな物語だが、リドリー・スコットは映像、サウンド、造形のすべてに力を発揮。ノスタルジックで無気味な惑星と、そこに巣食う「ネオモーフ」という生物が急速に育っていく動きが凄い。
シュワルツェネッガーがアクションより演技派に徹している。ユーバーリンゲンの空中衝突事故の実話に基づき、その事故のあとの物語だが、管制官が一人になってしまう状況を作った会社側の責任を問うよりも、家族を失った主人公が航空管制官のスクート・マクネイリーに憎悪の矛先を向ける構図になっているので、いくら事実はそうだとしても、映画的には感情移入しにくい。殺された管制官の息子がさらに復讐をはかる物語に展開するので、観客としてはその青年のほうをもっと見たくなる。
高額な芸術作品のクラシックカーを盗むということから始まる二人の脚本家のアイデアがいい。トヨタ博物館でクラシックの名車を見物したことがあるけれど、この作品でギャングが所有する本物とレプリカの入り混じったコレクション映像には驚嘆。スコット・イーストウッドとフレディ・ソープの異母兄弟がその車を盗む新しいヒーローで、スコットは「ワイルド・スピード」シリーズの前作ではマッチョな男たちの陰で、かすんでいたが、こんどは風変りな恋人アナ・デ・アルマスと組み、快調。
「新感染 ファイナル・エクスプレス」の前日譚で、またも人を嚙むゾンビの群れが大増殖。アニメのほうが人間の表情に多様性があり、主人公ヘスンの哀切の表情には何ともやりきれないものがある。ソウル駅は今度も呪われた場所で、ホームレスや彼らを差別する市民、警察、軍隊がそれぞれの立場から、駅を取り巻き、パニック状態をつくる。ヨン・サンホ監督には怨みの思想があり、「国家は何もしてくれなかった」というセリフや、富豪用のマンションを荒らす場面で、怒りと不満を爆発。
前作「プロメテウス」よりも宗教的要素を増した内容に。もはや主人公はアンドロイドのデヴィッドと言ってもよく、リドリー・スコットは彼に感情移入して人類の起源を探ると共に、そこから生まれる畏怖、それに対しての傲慢を描いていくことに注力してしまっている。そのままで終わってしまうのはさすがにマズイと思ったのか、終盤には成体型エイリアン=ゼノモーフとの戦いを用意して本来のSFホラーへ。だが、無理矢理な感じでシフトしていくのでなんだかバランスの悪い内容に。
コメディはハマるシュワだが、「マギー」もそうだったようにシリアスに徹した作品はどうもマッチしない。なにかしら活劇的要素がないと、あの肉体に違和感が生じてしまうのだ。結果、物語に集中できぬまま終了。逆にスタローンはコメディがダメだったが、「コップランド」では体重増量を図ることで違和感を消してシリアス系もいけることを示した。肉体派として活躍したスターの〝アフターマス〟についてあれこれと考えさせられたわけだが、演技派移行を目指すシュワの頑張りは認めたい。
この手の作品の最高峰として「ワイルド・スピード」シリーズが君臨しており、スケール面でかなうわけがない。じゃあ、クラシック・カーをガンガン登場させてやるというアイデアはグッド。だが、あまりに貴重すぎて猛スピードでぶっ飛ばすこともクラッシュもできず、「くれぐれも傷つけないように運転を」なんて台詞をS・イーストウッドに言わせているあたりにも苦労が偲ばれる。かといってケイパー・ムービーとしての醍醐味は薄く、あくまでレア車観賞ムービーとして楽しんだ。
ソウル駅周辺という開放された空間が舞台で、同じことをやっても仕方ないと「新感染~」は列車内に絞ったのだなと脳内で独りごちた。両作ともに父と娘の関係がテーマのひとつになっているが、〝泣き〟に寄せた「新感染~」とは真逆の殺伐さを極めたうえにヒネリを加えたものとなっている。また、ホームレスら社会的弱者がゾンビ同様に排除の対象になってしまうのを筆頭に、なにかと体制や社会へのレイジ・アゲインストが込められている点も◎。正直、「新感染~」より上出来!