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クストリッツァの映画って非常にざっくりとしているというか、物語の構成や場面演出の細かい点を気にし出すとかなり大味な感じもあったりするのだが、それを補って余りある図抜けた魅力に溢れている。というか、その極めて個性的なおおらかさと、彼の映画のチャームは深く固く結びついている。ファンタジックでさえある寓話的戦場の向こう側に、あまりにも酷薄な「現実の戦場」が透けて見える。一転して愛し合う男女の逃避行となってからが実に素晴らしい。本人主演最高。音楽も最高。
アイデア勝負のブラック・ヒューマン・コメディ。なんとなく日本のCM出身オフビート系監督が思いつきそうな題材である。一種のゾンビ映画であり、ネクロフィリア(屍体愛好症)的というか、更には女装ネタも入っていたりして、描写は悪趣味スレスレ、いや悪趣味そのものなのだが、不思議な爽やかさがある。映画が進むにつれ、これは要するに「孤独」にかんする寓話なのだということがわかってくる。ミュージカル仕立てなのも趣向としては面白いが、個人的にはあまり好みではない。
邦題でミソを付けてしまったが、これは愛すべき秀作。資料によると史実から幾つか変更点があるのだが、能力の高い黒人女性たちがNASAの宇宙計画に貢献していたということ自体知らなかったので、とても感銘を受けた。主演三名いずれも大変に好演している。クセ者上司のケヴィン・コスナーもすごく良い。東西に施設が離れて建っているラングレー研究所を「非白人用トイレ」に行くためにタラジ・P・ヘンソンが何度も行き来する様子が映画的。そしてファレルの音楽が最高。
ズルいよ!と言いたくなるほど、犬好き(私です)にはたまらない作品。だってわんこが何かしてるだけでウルウル来ちゃうんですよ。愛する飼い主に再会するまで転生を繰り返す犬というストーリーはあざといし、展開もご都合主義の連続なのだけれど、それが何か?と思ってしまう。犬種がどんどん変わっていくのも良い。ただベイリー(犬の名前)の心中を逐一語るナレーションは戴けない。犬は人間語では考えてない。擬人化するしかないのはわかるけど。でも、その瑕疵を補って余りある。
寓話を寓話の形のまま撮りきれるのがクストリッツァの作家性であり力量である。強烈なメタファーをその豪腕で実写にスライドさせることによって、表現そのものが比喩ではなく現実になってしまうのだ。中でも動物を用いた演出はほとんど専売特許であり、人間でさえ剝き出しの動物のように見えてくるほど(そしてそれは真理である)。地雷原に走り込み、爆発に飛ばされて宙を舞う羊の群れは、映画史に残る名シーンになると思う。ミレナを演じたスロボダのパワフルで情熱的な演技がいい。
スイス・アーミー・マンとは生き返った死体、要はゾンビである。その意味では新手のゾンビ映画ともいえよう。ゾンビといえば、先ごろ逝去したロメロの功績で、集団でうろつくフォーマットが古典。近年では俊足ゾンビやお手伝いゾンビなど幅広いバリエーションを展開する一大ジャンルとなっているが、単独ゾンビは珍しい。しかもかなりの高スペック。ついにゾンビもおひとりさまの時代に突入かと思いきや異種ブロマンスまで高飛びとは。ラドクリフの自分探しの一環としては納得。
これがまったく過去の話とは思えないことが最大の問題である。昨今の女優たちが語る、ギャランティや待遇の男女差をめぐるハリウッドの実状を筆頭に、事態は随所で現在進行形だ。黒人であり、女性であるという二重のハンデを負ったキャサリンは、計算書に自分の名前をタイプすることすら許されない。それが当然だとまかり通っている理不尽さ。私も最近、精魂注いだ自分の原稿が別人の名前で掲載される事件があり、死ぬほど悲しい思いをした。彼女の悔しさが骨身にしみる。
犬はたいてい飼い主よりも先に世を去る。その事実を逆手に取ると、人が長く生きていれば、生まれ変わった犬と再会する可能性もあるかもしれない。その発想は人に優しい。一方で犬側の視点はもう少しドライでシンプルだ。このへんのバランスが絶妙で、一本の映画とは思えないぐらい涙の出し入れが激しい。実際、犬が生まれ変わるたびに違うテイストの映像が見られる。動物を撮るだけでも大変なのに、水中での救助シーンなどかなりのアクションもさらりと見せているのがすごい。
はやぶさ、蛇、熊、羊、アヒル、そして世界を代表する美女モニカ・ベルッチを相手に堂々と主役を務めるクストリッツァの創造にかけるエネルギーにはただただ驚嘆するしかない。想像を絶する映像を積み重ねる撮影の現場を思うと、マジックリアリズムの小説といえど、所詮は机上の産物じゃないかと思ってしまう。壮大なファンタジーであり破天荒な恋の道行きは、まさに映画でしか描けない世界、いや映画でさえなかなか達成できない世界だ。固唾を吞む世界の縮図の戯画化だ。
孤島に漂着している男のもとに流れ着く一個の死体、それを道具のように使って生き延びていくというブラック・コメディのアイディアは秀逸だが、残念ながらその面白さが成功しているとは言い難い。しつこいギャグと下ネタの繰り返しに辟易してくる。タイトル表示では死体のD・ラドクリフがトップになっているが、主役はあくまでポール・ダノの方だろう。だが、死体を相手に、全篇一人芝居で見せ切るには、チャップリン、キートン並みの力量が要求されるので、さすがに荷が重い。
最高の知性を持った3人の黒人女性が先端技術の牙城NASAで黒人に課せられた劣悪な労働条件に敢然と挑み見事な成果をあげていく。そのパワフルで前向きな生き方に感動する。3人の女優がいい。黒人特有のグラマラスな肢体や美貌ではなく、演技力と存在感で勝負しているのは、キャスティングの勝利だ。半世紀以上経った今も、アメリカ政府の中枢部に残る白人至上主義――アメリカの栄光を描いた映画が期せずして今のアメリカの恥部に触れる結果となったのは皮肉なタイミングだ。
イーサン少年と愛犬ベイリーの成長物語と思って見ていると、半ばを過ぎたあたりでベイリーは死んでしまい、何と警察犬に生まれ変わる。それから次々に犬の輪廻転生が始まる。なるほどそういう話だったのかと初めてわかる。何度も生まれ変わった挙句ベイリーは、最後に年老いたイーサンと再会する。長寿化した人間とペットの問題はタイムリーで面白いアイディアなのだが、犬のドラマとしても、人間ドラマとしても中途半端なので、肝心のラストが愛犬家の涙を誘うにいたらない。