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内戦のアフリカ、フランス大統領選挙、精神病院の内実を撮ってきたドキュメンタリストが自分を被写体とする。妻クローディーヌのカメラの前で夫ドゥパルドンは、かつて取材した山岳地帯の農夫たちと同じように訥々と自分史を語り始める。これまでの自作のダイジェストであると同時に、開放的な切り返しショットでもある。一九八六年、「緑の光線」で録音技師だったクローディーヌとのお近づきはテスト撮影という名目。女優とデレデレするロメール監督を彼女が写した8ミリも貴重だ。
少年二人組の放浪を追うドイツ映画だが、かつてのヴェンダースのロードムービーの、映画そのものの終焉さえ視野に入れた焦燥感は皆無である。放浪の間に少年は成長を遂げる。このきわめて正統的なビルドゥングスロマンは、ヴェンダース映画からの退化なのか、それとも現代的な軽やかさなのか。スタッフの中に面白い人物を見つけた。クリエイティブ・コンサルタント&共同脚本のハーク・ボーム。「アメリカの兵隊」以後のファスビンダー映画の重要な常連俳優だ。彼に意図を訊きたい。
なぜ主人公は道を誤り続けるのだろう。本作については、結末よりも発端の謎に興味を惹かれる。ファミリービジネスから道を外れて破滅した亡父に成り代わり復讐を誓って伯父宅に居候する主人公は、すぐに足が付きそうな盗難計画を、なぜ推進するのか。血筋ゆえ彼はすぐに家業の分野で天分の才能を見せる。でも流れに身をまかせず、半端な犯罪計画に拘泥する。才能と愚劣が彼の中で並存する倒錯感。フィルムノワールのジャンル性に留まりつつ、複雑な精神性が隠されている。
ゴダール「万事快調」をドゥミ的に撮り直そうという野心的なミュージカルコメディだ。高級靴ブランドの工場は靴職人たちのストライキで機能不全に陥っている。その破れかぶれな状況は、にがい祭りの様相を呈する。しかし輪の中に入りきれないヒロインの姿はもどかしく、非自覚的にスト破り的な反動に出たのに、工場長からは逆に最も過激な徒だと勘違いされる始末だ。かつて米国でさかんに西部劇の挽歌が作られたが、ここで詠嘆的に表されるのは何の挽歌なのか。熟練労働者だろうか。
写真家のドキュメント映画を観るたびに思う。静止写真を映画で綴ることに何の意味があるんだろう、と。実際の写真集を見つめた方がずっと意義もあり感銘も深いのではないか。作家が「これはどういう状況でこんな気持ちで撮った」という発言内容も、作品そのものの中に写っているのではないか。それをあえて映画で表現しようというのなら、そこに何らかの作り手の〝想い〟とか〝批評〟がなければと思う。この作品の共同監督は写真家の妻。なるほど愛を感じる。だけど、思い出のアルバムで。
結局、14歳の少年の成長を導いたのは、社会からはみ出た者ばかりだった。相棒のアジア系ロシア少年、そのふてぶてしい態度とマスク! もう一人の国籍不明の流浪の少女、その灰かぶり姫的ロマンティシズム。そして、ちらり登場の子だくさん農家のおカミさん。異質なものこそが人のからだと心を刺激するというのは、移民社会を反映か? 映画は原作にほぼ忠実。申し分ない。だけど、はみ出さない物足りなさも。暗闇に消え去った相棒のその先を、もうひと押し描いてほしかったという欲が。
シェークスピアの王族悲劇をノワールで彩ったような映画で。もうもう主役の男優、そこに尽きる。その瞳のアップ。余計なことは一切言わない。感情を抑えたその表情から、チラリ、野心と憎悪を匂わせて。そう、「太陽がいっぱい」の、あのドロンを彷彿。しかしあれほどの怜悧さはなくて、どこか弱さ、優しさを感じさせ、それがこの乾いた物語に一抹の愁いを与えている。脚本・演出はスタイルにこだわり、その想いが強すぎたのか、少し単調になった気も。が、この手の映画は久しぶりで。
万年バイト娘が正社員に採用され、その喜びが歌声になって。この嬉しい出だしで、これは大好物の映画になるぞと心が躍ったのだが。カラフルな鼻歌ミュージカル。踊りの方も、鼻歌感覚で、どこか頼りない。それも愛嬌かと見続けたのだが、しだいに単調に思える。やっぱ決めるとここは決めてほしい。ミュージカルなんだから。で、お話の方もだんだん尻つぼみ。結末はあれでいいの? どうもアイディアとセンスに、作り手の体がついていってない印象で。「パジャマゲーム」を見直すか。
フランスを代表する写真家にして映画作家のレイモン・ドゥパルドン。彼がこれまでに撮ってきた膨大なフィルムを編集し、フランスおよび20世紀の旅へと誘う。戦争、政治、医療、文化、日常、女性。マグナムの報道写真家のイメージを超えて守備範囲が広く、そのいずれもが人間の本質をとらえた深さと愛があって魅了される。時間や天候や気分といったものを繊細に感知する、写真家の言葉にも耳を澄ましたい。「緑の光線」撮影時の、お茶目なロメールをとらえた素材のお宝感がすごい。
ファティ・アキンが、ドイツのベストセラー児童文学を原作に、14歳の眩しいひと夏を描いたロードムービー。中二病全開男子2人が繰り広げる夏物語という点で、ミシェル・ゴンドリーの「グッバイ、サマー」を思い出してしまうが、こちらの方がアナーキーな感じだろうか。基本根暗でダサい主人公、謎めいた友人、そこに途中参加するクレイジーな少女。魂がワイルドなキャラクターたちが、子ども時間をのびのび生きていて楽しい。こういう時間は終わってしまうようで、きっと永遠なのだ。
懐かしくて新しい不思議な映画だ。これぞフランス映画と感じさせる刺激がつまっている。フィルム・ノワールの趣きもそうだが、抑制と計算が徹底された独特な演出のリズムにゾクゾクする。と同時に人の生理や感情がそこから激しく溢れ出す瞬間もあって、血の通ったブレッソンのよう、なんて言ったら怒られるだろうか。35歳の監督アルチュール・アラリ(撮影は兄のトム)は、天才というより、若い世代の頭脳とバランス感覚を持った異色の秀才かも。根が善人ぽいところも嫌いじゃない。
〝正社員になりたい!〟と切に願い、不況の時代に仕事を探す若い女性がやっと就くことができたのは、田舎の靴工場。だがそこは閉鎖寸前で、ベテラン女性職人たちがパリの本社に抗議すべく出向こうとしていた。働く女たちに焦点を当てた新感覚ミュージカルかと思いきや、いつしかセクシーな男性がヒロインの心を奪う物語に。中途半端に社会派の背景を出す必要あったのか? しかも価値観古臭い。それならいっそ、恋に恋するミュージカルとして純粋に楽しませて。音楽はよかったけど。