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不勉強で湊かなえの原作は知らないが、「望郷」といえば往年の名作のアルジェ、カスバ、ペペ・ル・モコ、その連想でさぞや心をえぐる哀切な話と思いきや、拍子抜けするほどささやかな話で、というよりもエピソードを長く延ばしたよう。厳格な祖母が支配していた家を出てささやかな家庭を築いたヒロインと、9年ぶりに故郷に戻った幼馴染みの男の、それぞれの子ども時代の思い込みが描かれるのだが、遊園地や石の地蔵などの使い方も騒ぎ立てる割には他愛なく、舞台も島に見えない。
3人の女性たちの誰一人共感できないのがツライのなんの。聞けばこの作品、主要キャストたちのディスカッションを基に吉田監督が脚本を仕上げたそうだが、世間や社会を閉め出して自分を特別扱いしてくれる仲間や居場所を探そうなんて、演じる3人の女優サン、どんな人生を送ってるんだか。似た者同士の甘ちゃん、甘ったれ。演出も奥歯にものが挟まったように気取っていて、〝俗〟を避けようとしているのが逆に〝俗〟っぽい。ディスカッションで作られた作品の監督の立ち位置ってどこ?
今年だけでも「チア★ダン」「青空エール」「ハルチカ」「トリガール!」ほか、似たパターンの部活映画が次々と登場、むろん部活といっても体育会系と演奏部系では感触が違うのだが、どちらも実に消化がよく、観終ったらそれっきり。この〝なぎなた〟部の話も、部員たちのキャラや、ドラマの流れなど、スポコン映画のルーティン通りなのだが、少女となぎなたの取り合わせが魅力的で、背筋がピンとしたその姿勢もカッコいい。学校の舞台でのなぎなたダンスも嬉しいサービス。
もっとも大きく取り扱われている新宿・大久保の保育園は我が家からホンの数分、夜間も子どもを預かっていることは知っていたが、このドキュであらためて夜間保育園の目的や実情を知り、教わること多々。その一方、夜間に幼児を保育園に預けてまで働かざるを得ない親たちの存在も気になって。幼児を預けっ放しで引き取りに来ない親もいる現実。新潟県の児童療育教室の取材を含め、沖縄や北海道の情報も興味深かったが、無認可の夜間保育の実態にももっと触れてほしかった。
カットも演出も過不足がなく的確(ゆえに役者が皆良く見える)、しかしここぞというところで非日常というか、けれんみのあることをやる。映像のボキャブラリーが豊富であり、そのことがちゃんと感動を呼びもするだろうし、映画に意識的あるいは悪ずれしたような観客も面白がらせる。監督菊地健雄の良さは天才肌というより助監督経験を積むなかで優れた監督たちの出汁を吸収した大根的なものではないか。こういうひとは先が続く。これからも丁寧な良い仕事を続けていってほしい。
ある日シネコンで立て続けに映画を観ていて最後にP・ヴァーホーヴェンの「エル ELLE」を観、感銘を受けた。他の映画も充分面白かったが、それは様々にそして派手にことを起こすというところに頑張り、成功しているだけとも言えた。「エル」では起こりうる物事をシンプルに物語り、その推移を待つように観るだけでもここまでいける!と思わされた。本作も同種の映画、その感じはある。またリアリティの揺らぎも面白い。着地点を見つけられなかった気もするが、良い作品だ。
先ごろ公開の「トリガール!」にしろ本作にしろやはりこの監督はキラキラ恋愛映画を巧妙にかわしているか、あるいはもともと違う企画が来るようになっているのか、いずれにせよ邦画流行の幅を広げている気はする。恋愛以外にやることがある若者は好き。また、競技人口少ないから上に行ける、みたいな打算があるのも面白い。セリーヌは、性欲と同じように恐怖にも童貞がある、と書いたが本作で描かれていたのは、敗北にも処女がある、だろう。そこからが始まりだ。王道の青春映画。
私は幼年期母子家庭で育ち、母親の仕事の都合で見知らぬ土地の託児所で一泊もしばしば。そして現在妻は無認可二十四時間営業保育園の雇われ園長。ゆえに本作で描かれていることは感覚として多少わかる。余程裕福な家庭でなければ結構みんなギリギリよ。夜間保育からネグレクト、児童相談所までは遠くない。それを恐れて子どもを持てないひとも多かろう。(夫、父の)男は何をしてる。国は何をしている。暗黒面はさておき、まずは周知のために有意義な映画。観られてほしい。
「たかが、近くの遊園地に行けないだけの話じゃないか」と思う人もいるだろう。しかし少なくとも、かつて僕の周囲には本作の主人公のような人たちがいた。自転車で回れる範囲の物事が人生のすべて、そんな人たち。それは地方において、何ら特殊なことではないのだ。監督がロケーションにこだわったことで、瀬戸内独特の風土だけでなく、海風が運んで来る〝におい〟のようなものまで感じさせる。人物の内面と同期する射し込む光の明暗という照明が、映像の中で効果的に機能している。
ひとつひとつの音の集積によって音楽が形成されるように、人と人が織りなす〈人間関係〉もまた、ひとつひとつの出来事の集積によってのみ生まれる。後半で描かれる「ファイト・クラブ」の如き〝音ゲリラ〟において、喧騒の中で音が音を潰すのと同じように、〈人間関係〉においても人が人を潰してゆくことを本作は提示する。舞台となるのは倉庫やアパートなど限定された空間ばかりだが、5・1chで音を広げることで映画の世界も広がりをみせる妙。不機嫌を纏う池田良の演技が秀逸。
主要キャストが乃木坂46のメンバーであるためか、〈坂〉はこの映画の中で大きな役割を担っている。寺の石段を登ったり、通学路の階段を下ったり、〈坂〉は、彼女たちの内面と微妙にリンクしている。前半で新入生の洗礼に用いられるのもまた〈坂〉であるのは、そのためだと解せる。本来であれば乃木坂46のメンバーだけで構成することも可能だったはずだが、本作には乃木坂46とは関係ない若手女優たちが多数出演。そのことが単なるアイドル映画にさせなかった所以のように思える。
保育園に子供を預ける側と預かる側、双方を取材することで子育ての様々な実例が描かれる本作。例えば「生後4カ月から子供を預ける」ことと「出産から1カ月後が産休明けになる」ことを並列することで、社会のあり方を問うだけでなく、人が働くことの意味をも問うてゆくのだ。それでも子育てをする人々、子供を生むことを選択する人々。問題が片親であることだけに起因しないのは、本来システムを整備する側であるはずの厚生労働省に勤める女性が、子供を預けに来る姿に象徴される。