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ドキュメンタリーと見紛うばかりの撮影がまずとてもいい。カットは結構ちゃんと割っているのに、独特な瑞々しさがある。しかしこれは単純に「リアル」というものとも違っていて、むしろ「現実」をファンタジックに撮ることで普通とは異なる「リアル」を現出させるということであり、これは監督の師匠であるクストリッツァから学んだことかもしれない。フィリピン、マニラは、こういう風に撮るべきなのだ。ブランカ役の少女の表情も実に「リアル」だが、笑った顔はファンタジックだ。
ジャック・ドワイヨンのお嬢さんが監督した、実話もの。子どもって、いついかなる時でも、どんなにハードな状況にあっても、ちょっとしたことでいきなり遊び出してしまうし、そうなればすぐに愉しくなってしまう、という感じがすごく良い。草っぱらを駆け下りるファニーたちの姿は、紛れもないアンハッピーの内にもハッピーは宿るという真理を教えてくれる。主演の女の子のいかにも賢そうな立ち居振る舞いが素晴らしい。全体として好感を持ったが、ラストは少し作り過ぎではないかと。
多くのひとが感じていることだと思いますが、最近前にも増してナチネタの映画って多いですよね。ハイドリヒ暗殺といえば、まず第一に「死刑執行人もまた死す」。でもあれは暗殺の後日譚なので、近年この史実を扱った傑作といえば、何と言ってもローラン・ビネの小説『HHhH(プラハ、1942年)』。あの作品には「歴史を物語ることは許されるのか?」というテーマがありました。しかしそれを言っては映画は成立しません。英国映画らしい画面の艶とくすみが素晴らしいです。
洋邦問わず普段ほとんどアニメを観ない自分としては、却って「なぜアニメなのか?」ということにこだわってしまう。ヒロインの声を大正義(笑)エル・ファニングが当てているわけだが、これが彼女で実写で撮られていたら、と想像すると事態はより明確となる。もちろんまるっきり違う作品になってしまうだろう。アニメならではのミニマリズム、躍動感、過剰運動性みたいなものの追求は、タッチは全然異なれど、ジャパニメーションとも共通する。クライマックスはかなり盛り上がります。
マニラのスラムで生きるストリートキッズの過酷な現状を描きながらも詩のような美しさを持つミニマムな映画。ブランカを演じたサイデルの、悲しみとたくましさの同居した力強い眼差しが印象に残る。サイデルをはじめ撮影前の時点でプロの俳優ではない子どもたちを監督自らキャスティングし、ワークショップでの演技指導を経て撮影に臨んだという作り方も興味深い。素人ならではの本人から滲み出る生き様と、演技を通してそれを伝えることの間にある可能性がそこにはある。
上半期で一番のダークホース。ナチスドイツものとしてのシナリオ、社会的なメッセージやテーマ性はもちろん、少年少女の青春ドラマ、ロードムービー、役者の演出などどの要素を取ってもパーフェクト。特に年齢差のある男女混合グループの描き方が実に上手く、友情や恋愛といった言葉ではくくれない人間同士のつながりの豊かさが響く。道中で子供たちを襲う数々の危険のスリリングな描写、映像表現の巧みさ、手紙の伏線は震えるほど。年長の少年にかけさせたメガネのチョイスが大正解。
表現としてのリアリズムと虚構性のバランスが絶妙。暗殺の瞬間のアクシデントと人々のリアクションのアナログさが、起きている惨状の凄まじさを引き立てる。自転車を使った逃走、弾痕からの硝煙といったシンボリックなカットを、緊迫感あふれるカット割りと編集で生々しく見せるショーン・エリスの手腕が見事。ナチス兵の冷徹非情さが際立つ拷問から銃撃戦にかけての恐怖ときたら半端じゃない。キリアン・マーフィを筆頭に役者陣がチームプレーで体現するその痛みが無念でならない。
ダンスをCGやアニメで見せたり見たりすることの意味を改めて考える。芸術における身体表現は人間の肉体の限界があってこそ成り立つもので、不可能がなくなってしまえば、逆に頭で想像したことを超えるものは生まれない。実際本作におけるバレエシーンはもはやアクロバットに近いが、アクロバットも人間の身体能力の限界に挑むものであることを考えると話はふり出しに戻る。ドラマとしても題材がバレエでなければならない必然性は薄い。ただし、エル・ファニングの声演は素晴らしい。
ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」でメキシコの貧民街の非行少年たちが盲目の楽士を襲撃する有名なシーンを思い出す方々が多いと思う。この映画はそのような生存のためのむき出しの暴力を描いた映画ではなく、あくまでも、ファンタジー的な世界であるが、長谷井監督の対象に対する深い愛情と透徹した視点が、安易な善意やヒューマニズムの映画にしていないので、すがすがしく気持ちがいい。演技経験のほとんどない少女とギター弾きの自然な演技、歌声が心に残る。
昨今多いナチス映画の一本だが、ほとんど子供たちだけの世界というのが特色だ。ファニーをはじめ子供たちの演技はなかなか良く、緊張の持続で最後まで引っ張るが、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」やルイ・マル「さよなら子供たち」などと比べると、大人の視点で巧みにまとめたという印象は免れ難い。子供の演技は監督の意図に忠実なのだろうが、もっと演技以前の自由な姿を丹念に拾った方が、個々の存在感が強く出ただろう。安心な一時、無邪気にはしゃぐ姿が印象深い。
チェコのレジスタンス同志がハイドリヒ暗殺に異を唱える。「たとえ暗殺が成功したとして、ナチの報復でチェコという国が地球上からなくなってしまう」と。それほど凄まじい報復が展開される。暗殺もの、戦争アクション、サスペンスとしても良くできているし、悲劇的なラブストーリーでもあるが、描き出されるのは大きな歴史の悲劇だ。ナチが市民を人質にとって行なった数々の残虐行為や密告の奨励などはすべて「テロ対策」の名目で行なわれたことを今我々は知らねばなるまい。
バレリーナになりたい孤児院の少女の成功物語、一言で言える単純なストーリーに少女漫画にありそうなお膳立て、期待しないでスクリーンに向かったが、案に相違、全く退屈しないまま見終わった。脚本、作画がいい。主人公をはじめ脇の掃除婦オデット、ヒゲの振付師などのキャラが面白い。バレエをよく知る友人によれば、アニメ的誇張はあるものの、踊りの基本は正確だとのこと。オペラ座の芸術監督が全シーン踊ってみせ演出協力したという。目に見えない部分の苦労が生きている。