パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
中学校の教室を舞台にしたミステリーというよりサイコ・ホラーに近い感触だ。それは、4人の教師による内密の荷物検査を通して暴かれる生徒間のいじめも、教師が抱える秘密も、ミステリー的な解決には向かわないからだ。というより、何かが一つ明らかになると、さらに闇が深まるのである。それを先導するのは、過去の事件がトラウマとなって、いったんは教師を辞めた谷野であろう。彼が初めから怯えた目をしているのと、科白の録りが気になるが、観客を新たな謎に突き放す結末は○。
酒井充子監督の「台湾三部作」最終章は、太平洋に面した台湾南東部の台東縣が舞台。その漁港に、日本語を話す元船長を訪ねるところから映画は始まる。酒井をまず動かすのは、台湾の日本語世代の存在だ。それは51年に及ぶ日本統治という歴史を負った世代だからだ。だが、ここで輝くのは、さしみを食べ、バナナを収穫する元船長をはじめ、日本人が持ち込んだ「突きん棒漁」を今も続ける漁民、山で狩りをするブヌン族の青年など、昔に変わらぬ地に足をつけた台湾の人々の暮らしである。
不治の病を持つ少女と孤独を好む少年の「愛」。それはいい。シナリオが原作にない12年後の現在を加えた、というのも良しとしよう。小栗旬扮する、教師の仕事に馴染めない「僕」が、母校の因縁深い図書の整理をする……までは納得。そこに教え子の図書委員がいるのはいいが、これが何故か、12年前の彼と桜良(浜辺美波)の関係を知っているようで、時に訳知りめいた意見まで口にするのは、なんとも奇妙。彼は、二人の秘められた関係を誰に聞いたのか?原作を読んでいた!?
ミートボールマシンの構造を考えるのは楽しかったのではないか。画面だけではわかりにくいが、寄生システムの図解など見ると、相当エネルギーを注いだのがわかる。それが気弱な借金取り立て屋の中年男に寄生したのはいいが、そこから始まるバイオレンス・スプラッター・アクションがなあ……。一応、血はドバドバ吹き出しているものの、アクションに欠けるのだ。いや、皆さん、重装備で頑張ってはいるものの、そこに動きの変化がないから、同じことの繰り返しに見えて眠くなる。
見終わってふと「教師」に引っ掛けてあるのだと気づいた。物語は略。気が重い中身だが教育現場の告発よりも、妄想(ただし事実と解釈できる)と現在と過去のある事件をシャープな編集で連携する手法に監督は賭けている。イントロ(準備段階)を経て教師集団入室後はリアルタイム演出、これが説得力あり。意図的に女の子(複数)の顔を出さず匿名的な表現に徹した処理も面白い。それぞれの教師ひいては観客がそこに想像力を投影するわけだ。いわゆる「黒い日の丸」効果も抜群である。
相米の「魚影の群れ」に使ったらさぞ迫力が出ただろうと思うようなカジキ漁船がいい。漁法は違うと見えたが、実はこれも日本から伝わった伝統のものだそうだ。見応え大あり。海の上だけでも構成できただろうが、引退した漁師からじわじわと話題が揺れて変化する。三部作最終章となった本作では、大都会台北じゃなく他民族(というかこの人達が本来の台湾人)が多く住む台東に焦点を当てている。森に入る猟のための儀式とかも充実してさすが。ディスコ調「また会う日まで」に思わず微苦笑。
オタク系妄想映画だが、私はオタクだから文句をつける筋合いはない。お姫様ダッコのくだりは羨ましさに身をよじった。おまけに星一つ足す。でもオタク以外の観客の皆さまにこれを勧められる気がしない。様々な書店大賞受賞歴にあっけにとられるものの、話がすかすか。通り魔の件ははしょったのかな。はしょるなら、ない方がいい。やり方はあったはずだが。回想でさらさらと進めたのは正解で、ウェディングドレス姿は現在の北川嬢へのご祝儀なんだろう。収穫は主演浜辺美波に尽きる。
蠱毒ネタは前にもあったね、要するに生物機械のバトル・ロイヤルだ。また機械じゃなくコーリー・ユンとかブルース・リーのそっくりさんが繰り出す「酔拳」アクションも華がある。人間万歳。問題の「ネクロボーグ」ファイター陣はそれぞれの人間時代の性癖が武器になっていて芸が細かいものの、それがどうした、という感じも。むしろ中年独身男の純情と彼に応える美女がいい。特におっぱいがいい。小人のエンジェルのパフォーマンスが異様な迫力で、これをもっと活かせなかったかな。
『14歳の国』が原案という予備知識のみで観始めたので誰がどんな規模で作った映画かも知らなかったが、見事に教室ホラーへと換骨奪胎されている。教師たちが無断で持ち物検査を行うという設定はそのままに〈演劇↔映画〉双方の表現を巧みに併用しつつ、別ジャンルへと移行させる。教室から別の空間・時間へと飛躍させる表現、缶ビールを床に落として溢れる液体と、人体の落下を重ね合わせるモンタージュなど、物体把握能力の突出ぶりが際立つ。90年代なら傑作に思えただろう。
無知と偏見が終始垂れ流されるネットを眺めた後に観ると、この静かで一見限定された情報しか提示されない本作の画面に映るモノが実は多くの情報を持ち、饒舌に語りかけてくるのを実感する。焼けた顔に深く刻まれた皺が魅力的な彼らの日本語に字幕を付けないのも良い。観客は耳をすまし、不鮮明な言葉を聞き取ろうとすることで相手の立場を慮り、対話の準備が整う。日本統治時代の名残を無邪気に取り出して肯定的に捉えたり、過剰なまでに否定的に描こうともしない視点が好ましい。
変わり映えしない難病催涙映画と思いきやジャンル批評的構造を持っている。主人公は本題に「カリバニズムかよ」とツッコミ、ヒロインは「死期が迫るヒロインを外に連れ出す奴は殺したも同然」と言ってのける。主人公が穏健な性格の図書委員で不必要に若さを強調せず、バカじゃないのも珍しい。「ディストラクション・ベイビーズ」で新人賞に推せないのを悔やんだ北村は好演だが純朴すぎる役はやや不似合い。浜辺美波の落ち着き払った雰囲気は宮﨑あおいに匹敵する大器の予感あり。
小松左京の『物体O』を思わせる設定だが、西村喜廣×佐藤佐吉が暴走すれば、ここまで行き着くのだと驚かせる。巨大なフラスコで街が外界と遮断される瞬間に断面部分で起きる数々の人体切断は、その鮮血の飛沫と共にもう一度観たくなる。すっかり若手監督から社会への怒りが消えた昨今、中小企業の経営者でもある監督(西村映像代表取締役)が自身の表現で現代の労働と貧困への怒りを描くと説教臭くなるどころか、持ち前の造形技術と容赦ない残虐描写にいっそう磨きがかかるようだ。