パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
幾つになってもどこか少女の面影を残すダイアン・レイン扮する映画プロデューサーの妻が、ひょんなことから夫のビジネスパートナーのフランス男の車でカンヌからパリまで二人旅をすることになる。どう見ても下心丸出しのアルノー・ヴィアール演じるジャックに呆れたり警戒したりしつつも次第にほだされてゆくアンに「ダマされちゃ駄目だ!」と心の中で叫んでました。が、ジャックが悪い奴でないことも最初から見え見えなのだった……エレノア監督の夫は内心どう思ったんだろうね?
インドではこんな静かな映画も撮られているのだね。歌や芝居が出てくるのはボリウッドと同じなのに。非常に秀逸な設定の法廷劇。歌詞の扇動的な内容が下水清掃人に自死を唆したという理不尽な容疑で民衆派の老歌手が逮捕される。引き絵の多いカメラワークと淡々とした演技でじっくりと裁判の行方を描いていくのだが、その過程で現代インドが抱える種々の問題が浮かび上がってくる。真面目で知的な社会派の作品だが、面白い。法廷で話されるインド訛りの英語が耳に付いて離れません。
ハンス・ファラダの小説『ベルリンに一人死す』の映画化ということで期待して観た。感動した。実話映画についてよく文句を書いてますが、これは沢山の人に知られるベき実話。監督ヴァンサン・ペレーズは正攻法のスタイルで原作に取り組んでいる。だがもちろんこの映画の核心は、クヴァンゲル夫妻を演じたエマ・トンプソンとブレンダン・グリーソンだ。「夜に生きる」でも好演していたグリーソンの不機嫌そうな真顔が素晴らしい。しかしやっぱり出来ればドイツ語で喋ってほしかった気も。
ニッポンでは絶対成立しない映画。精神に病いを抱えた女性たちの療養施設が舞台のヒューマンコメディなんて。しかも最初はあんまり可笑しくはない。むしろやっぱり痛々しさの方が前面に出ている。しかし後半、躁病と鬱病の凸凹コンビが逃避行に出てから、映画はいきなり走り出す。さながら病者版テルマ&ルイーズの趣き。映像的なケレン味が多少気になるが、とにかく二人の主演女優の「顔」が素晴らしい。日本ではほとんど知られていないイタリアの大胆な精神医療政策のおおらかさに感動。
女性誌のバカンス特集のような味わい。いくつになっても迷い、悩みながら生きる女性の前に、今の彼女をそこから連れ出してくれる男性が現れる。自分にとって理想的な王子様の出現を必然として描き、その恩恵を甘んじて受けるヒロイン像は、コッポラ監督夫人の産物ゆえの説得力。インスタ映えしそうな景色や食卓には事欠かず、フランスにはしゃぐアメリカ人を無邪気に演じてみせたレインのキュートさに免じて、仏バンドPhoenixのベタな使い方も恥ずかしがらずに楽しみたい。
原告と被告が競う裁判において弁護士は役者であり、裁判官や陪審員という観客を説得するために緻密なシナリオを作り上げて自作自演する。法廷=ステージであり、ドラマとの親和性は高い。しかし本作で描かれているのはいわば観客のいない法廷だ。誰に見せることも意識されていない、勝敗の外にある裁判そのものの姿がそこにはある。そこでは誰が正義で誰がそうでないかがまるでわからなくなる。それは真理なのだろう。撮影時二十代だったとは思えない監督の達観した眼差しに驚く。
市井の小市民による命がけの抵抗。そのために選ばれた手段は直筆のメッセージ。筆跡を偽りながら一枚一枚書き上げ、自らの足で街角に運ぶ。そうした地道な行動の積み重ねがしかし情報カットとしてしか撮られていない。身の危険を冒しても綴らずにはいられなかった直筆の文字にはそれだけの思いが込められているはずだからこそ、葉書を書き置いてくるカットはもっと丁寧に撮られるべきだったのでは。その中でダニエル・ブリュールだけが異次元の熱量を放っている。
言葉と人間性は切っても切り離せない。フランス語の台詞を話しているヴァレリア・ブルーニ・テデスキはアンニュイでファジーな印象が強かったけれど、イタリア語全開の本作では、精神の不安定さが過剰にエネルギッシュで攻撃的な形で発露する。彼女の演技力や役作りを除いても、巻き舌の早口でひっきりなしにまくしたてる喋り方や発声がベアトリーチェという人格を作り上げている部分は大きい。その証拠に、終盤での言葉を発さないテデスキは、とても穏やかで儚く見えるのだ。
フランシス・フォードの妻、ソフィーの母であるエレノア・コッポラの初劇映画。齢八十を越えるというのに、あくまで人生を楽しもうというヒロインを描く若々しさ瑞々しさは素晴らしい。美しい人妻が夫公認で、独身でセクシーでグルメな中年男とカンヌからパリまでドライブ旅行をする。美味しいワイン、食事。夫公認とは言えそこはフランス男、口説かないなどと言う失礼はしない。女性なら夢見るアヴァンチュール、女性ならではの企画と言えようか?技術的にも完成度は高い。
プロテストソングを歌う老歌手が自殺を扇動したかどで裁判にかけられる。原題はCOURT、法廷劇であるが緊迫した弁論や劇的逆転などは全くなく、淡々と事実を追う描写はボリウッド映画とは対極で、リアリズムの極致だ。引き画を中心とした映像が、権力の恣意のままに蹂躙される個人の姿を訴える。インドの複雑な社会制度を背景としているが、極右政権の下で、秘密保護法や共謀罪法案が次々と成立している我が国にとって他人事とは言えない。時宜を得た公開だ。
同じように反ナチのビラを撒き斬首刑になった白バラ抵抗運動のショル兄妹(映画「白バラの祈り」)が大学生の活動家だったのと違い、主人公は一介の工場労働者で妻はナチの婦人部のメンバーでさえある。政治的思想的な動機で始まったものでなく、支援者や組織を持たない単独犯であることが多くのレジスタンスの物語と違うところで興味深い。逮捕から処刑に至る終幕は、素っ気ないほどの簡潔な描写だがそれがかえって夫婦愛を静かに訴え余韻を残す。二人の名演が印象的。
イタリアの精神診療施設で出会った貴族と自称する口八丁手八丁の女詐欺師と子供を手放し抗鬱剤を飲み続けている全身入れ墨の若い人妻の逃避行。「カッコーの巣の上で」や「テルマ&ルイーズ」が頭に浮かぶ。「狂人喜劇」と言っていいかもしれない。ただし、多くの「狂人喜劇」と一味違うところは、狂人と正常人の対比ではなく、二人の女性のドラマに絞り込んでいるところだろう。収容施設も悪にはなっていない。陰と陽、鬱と躁を熱演する二人の女優の対照の妙が楽しい。