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末期ガンのスペイン俳優の終活を辿る悲喜こもごもの始末記で、オーソドックスな作りの中に人間讃歌が滲み、またその滲み具合に気品が漂う。愛犬の里親探しやら、昔寝た女優の夫への謝罪やら、ありきたりなシーンの積み重ねなのに、シーンに込めたユーモアの甘味も、涙を誘う塩っ気も絶妙である。セスク・ゲイ監督は名シェフなのだろう。カタルーニャ出身の彼にとって、マドリードはあまり気乗りのしないアウェーの地だったかもしれないが、心をこめて街を魅力的に切り抜いている。
連続殺人鬼カップルの地獄行だが、男は小悪党のジゴロに過ぎない。彼が金持ち未亡人に狙いを定めて誘惑作戦を始めるたびに、嫉妬に狂ったヒロインが台無しにしてしまうという連続に、ただただ苦笑を禁じ得ない。愛と狂気によって解放されてしまったヒロインは、いわば増村保造映画の若尾文子をホラー的に解釈したもの。愛する男のためだったら我が子も棄てるし、殺人も犯すし、死体をバラバラにもする。これもまた生の謳歌だろう。ただし、増村=若尾の到達点にはまったく叶わない。
ディストピアを扱った近年の諸作のパッチワークのよう。「アイ・アム・レジェンド」「ハプニング」といった、有名都市の廃墟を漫ろ歩いて〝こんなになってしまった〟と嘆く興味。そして日本の「アイアムアヒーロー」の有村架純を思わせる、ゾンビ化しない保菌者のヒロイン。〝人類は地球にとってのガン細胞だ〟という認識と共に文明を相対化した「マトリックス」以降の終末史観が本作の根底に流れる。それらを総合しつつ、単なるパニックではない楽天主義へと本作は向かう。そこがいい。
前々号で私が絶讃した「ザ・ダンサー」のロイ・フラーもそうだが、舞踊家は精神的に孤独な存在に見える。本作のポルーニンは規範や権威を順守できない天才で、母国ウクライナからロンドン、モスクワと転々とするのは彼の宿命だ。バルサ一筋のメッシほど強靱な天才ではない。日本の武原はん、朝鮮の黄真伊のように、権威を超越して歴史に名を刻む舞踊家は存在した。でもYouTube動画が映画のクライマックスであるうちは、まだまだと断言する。後の精進こそしつこく追うべきだった。
久しぶりの〝男〟の映画で。それもアクションとかノワールとかヤクザじゃなくて、難病ものというのが意外。余命いくばくもない男がいて、それを知らされた友人が駆けつける。その二人の淡々のやりとり。泣かない喚かない口に出さない。だけど互いの想いが、視線や言葉の端々でひしひしと伝わって。男の飼っている老犬がよきアクセントになり、さらに男の息子、別れた妻が絡む。その一つ一つがさらりとしてるのにジンときたりニヤリとしたり。〝男〟という生きもの、その繊細さの映画。
同じ題材の「ハネムーン・キラーズ」「ロンリーハーツ」と較べると、これが一番トンガっているようで。とにかくテンションの高い映画で、血にまみれた狂恋ぶりを、幻想場面もまじえてこれでもかと描写する。見ていて長谷部安春監督の「暴行切り裂きジャック」を連想。あちらはスタイリッシュなタッチが功を奏し映画的快感があったが、こちらは演出が濃いわりには意外に印象に残らない。人間描写が類型の域に留まっているせいか。どうも鬼面人を驚かすの類の映画だという気も。はたして。
軍隊に監視された子どもたちが、窓のない教室で授業を受ける。この謎めいた導入部から惹きつけられる。パンデミックものでゾンビの要素があってと題材そのものは食傷気味。だけど味付けと調理の腕前でまだまだ新鮮な味覚を感じさせ。知的好奇心いっぱいという主役の少女のキャラクターが後半になるにつれ活きて、これがただの恐怖SFではないことがかぎとれる。大仰にいえば〝人間は動物ではないはず〟という祈りが込められている。傑作というほどではないが、拾い物的面白さに溢れて。
セルゲイはなぜ英国ロイヤルバレエ団から脱退したのか? 監督は家族や関係者にインタビューする。が、いくら聞いても見えてこない。バレエ界のしきたりが原因? ウクライナ出身ということが影を落としている? いや、家族が重荷じゃないのか。息子のためにひたすら献身し続ける母と父。その愛情の束縛。振り払えないしがらみ。セルゲイのおびただしい刺青は、そんな彼の痛みの刻印に見えて。てなことを想像するのも、肝心要を迂回したようなドキュメントなので。踊りは眼福だけど。
深刻な病を宣告され、これ以上治療をすることを止めた初老の役者。そこへ古い友人が現れ、考えを改めるように説得しながらも、彼の身辺整理の数日間に寄り添う。尊厳死に近いテーマが横たわるが、映画全体がマドリードの街の喧騒に包まれていて、彼らの交わす死についての会話が、観念的でなく、日常風景の中に溶け込んだ味わいで描かれる。生活感のディテールがとても面白い。それにしても大人な映画。死に向き合うことは、悲しく恐ろしくもあるが、人間を深めるのかもしれない。
筋金入りの結婚詐欺師の男と、それを承知で彼と恋に落ちた女。兄妹と偽り詐欺を繰り返すが、女は嫉妬を抑えきれず暴走する。類は友を呼ぶの典型例。変態は変態を呼ぶのだ。業を分かち、癒し合ってるようで、この男に魅入られた女たちは地獄へまっしぐら。男の生い立ちに理由があるのだが、詐欺対象がことごとく熟女以上というのが、いやらしい。しかも生々しい描写はホラーの域(監督、ちゃっかり自分の奥さんだけは綺麗に撮って)。そして意外と教訓的な後味が残る話であった。
蔓延した奇病により、生きた肉のみ食らうハングリーズが増殖する世界。人類がハングリーズの子どもたちを隔離し、研究する中、その被験者である天才少女が人類への抵抗を始める。原作がイギリス小説らしいシニシズム溢れる近未来SFで、物語も映画のクールなタッチも魅力があり、なかなかの拾い物。中性的な少女、彼女が唯一憧憬する人間の女教師、グレン・クローズ扮する科学者といったキャラたちの造形も興味深い。終わり方が衝撃的で、戦慄と共に、ファンタジーの極致を見た。
セルゲイ・ポルーニンという人は、きっと〝ナチュラル・ボーン・ダンサー〟で、どんなふうに育っていても、どこかでバレエに出会い、才能を伸ばしていたと思う。ウクライナでの家族との子ども時代、英国ロイヤルバレエ学校に渡っての少年時代、脚光を浴びるが精神的なバランスを崩していく青年期から再生までを追うこのドキュメンタリーは、ダンサーとしての顔以上に、一人の若者の人間としての壮絶な模索をとらえているように感じた。もがき、踊る、その生き様が鮮烈な印象を残す。