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フランス女性も相手の男の身長って気になるんだね。といってもこの映画のアレクサンドルは身長136センチ、ちょっと極端な設定なのだが(ジャン・デュジャルダンは本当は180センチ以上あるので映像技術を駆使して彼を〝縮めて〟いる)。ウィットの効いた会話メインのロマンチック・ラブコメで、もっとも自分の苦手とするタイプの映画なのだが、訥々としたノリが存外に楽しめた。ヴィルジニー・エフィラの地味な美人ぶりにも好感を持った。でも、まあ、これってごく当然の話だよね。
実話もの。そもそも極めてドラマチックな題材を、監督のクリスチャン・デュゲイと、脚本も執筆した主演のギョーム・カネがすこぶるドラマチックに映像化している。外光を活かした凝ったカメラワークは美しいが、個人的な好みとしてはもう少し渋めに撮って欲しかった気も。原題は「Jappeloup(ジャップルー)」で馬の名前なのだが、そのままは無理だとしても、この邦題はいかがなものか。映画の特徴を全く伝えてない。苦肉の策なんでしょうが。しかし馬という生き物はとても映画的だ。
上映時間162分が全然長く感じない。だが考えてみると何故長く感じなかったのか不思議に思えてくる。だって基本、ヘンな父親が娘の邪魔をしてるだけなんだから。ドイツ的なユーモアと言っていいのかどうかわからないが、これって笑うところだよねといちいち脳内で納得してからやっと笑える感じに慣れてくると、ラストに爆笑と感涙が待ち構えている。父親役のペーター・シモニシェックはもちろん素晴らしい。だが映画の鍵を握ってるのは娘を演じたザンドラ・ヒュラーだ。傑作だと思います。
歴史劇としてはあくまでも淡々としたノンフィクションタッチを保っており、各場面は俳優の演技の繊細さと密度にフォーカスしている。もちろんスペクタクル的要素もあるのだが、全体的に静謐な仕上がり。これは明らかに監督ホ・ジノの資質によるものだろう。ケレン味を排してじっくりと腰を据えて撮っている。その意味で「お嬢さん」と比較して観ると面白いと思う。盛り上がりに欠け過ぎと思う人もいそうだが。日本語はこちらの方がちゃんとしています。舞台劇のような雰囲気が良い。
男女の身長差が最大の見どころ、それが一目でわかる残酷さは映像メディアの腕の見せどころでもあろうに、男性の低身長が実感で伝わってこない。座って床に足がつかない、椅子に隠れて体が見えないなどシチュエイションとしては撮っているが、具体的な身体性として撮れていない。演じるデュジャルダンの実寸を縮めるためにCGから遠近法まであらゆる工夫がなされていても、自然に見えることがプラスに機能していない。なぜならこの場合彼は絶対的に不自然に見えなければならないからだ。
ドラマは出来事の羅列ではない。しかしこれではそうなっていると言わざるを得ない。その結果、主人公のデュランには一貫性がなく行き当たりばったりで生きているようにしか見えず、無論それが人間性としてものを言うわけでもない。何より肝心の馬との距離を縮める瞬間がまったく撮れていないのはいかがなものか。そしてラストにそれまで出てきた人たちをあそこまで平等に写す必要があったのか。すべてに光を当てることは要点から目をくらましてしまうことにもなるのではないか。
トニ・エルドマンという人物をどうとらえるかで見方は大きく変わる。初老で巨体の男性が普段からそこそこ手の込んだ(素人にしては)仮装と芝居で他人を驚かせていたらいたずらでは済まされない。奇行レベルだ。それに対してヒロインである娘は極めて常識的な現代の働く女性であり抱える悩みも切実。とはいえ女性の痛々しさ=リアルではない。そう見える瞬間がなくはないのだが、ザンドラの好演は支持したい。個人的には笑えなかった。が、新しく珍しい体験ができることは確か。
自らの意志は無きに等しく、ひたすら国と国との都合によって翻弄され続ける人生を送った女性のドラマは、これからは史実を基にした時代劇でなければ成立しづらいかもしれない。たとえば「お嬢さん」のように自力で行動を起こして反旗を翻すことなど叶わなかった人物である。帰国への強い志を貫くことが同時に彼女の人格を崩壊させていくジレンマ。作品の良心となり得るパク・ヘイルのぶれない存在感、その効果をより引き立てたユン・ジェムンのヒールぶりも好アシスト。
男女の身長差をテーマにこんな楽しいコメディが出来るとは驚きだ。ロバート・レッドフォードを大きく見せるために、セットを小さめに作ったという話を聞いたことがあるが、それほど短身でないジャン・デュジャルダンを小男に写すため、様々なテクニックが駆使されている。ヒロインは「身長差は皆が心に持っている偏見のメタファーだ」と言うが、そんな理屈はなくもがな、大いに笑える。もっとも世の中、高学歴高収入イケメンでない禿チビデブが絶対多数と思うけど……。
脚本主演のギョーム・カネは幼児からの騎乗経験者だし、監督のC・クリスチャンはカナダ代表の馬術選手だったというだけに、馬に関する描写は見事。ハイスピード、移動カメラを駆使した疾走飛越シーンは美しい。試行錯誤をくり返した主人公が家族愛に支えられ金メダルに挑むというスポーツものの常道ストーリーだ。馬好きにとっては面白いが、一般観客にとっては競技自体が単純だし、オリンピックの結果は最初から分かっているので、クライマックスは盛り上がりに欠ける。
悪戯好きで怪しげな変装で娘の行く先々へ出没する変な父親、似た映画が思い浮かばないユニークな映画だが、根底は仕事一途の娘を案じる父親の気持という小津映画にも似た世界である。情緒に訴えず、笑わせよう泣かせようというクリシェを使わないで、想像もつかない展開と笑いで二時間四十二分持たせる脚本演出は見事で、気がつけば厄介者の困った親爺にいつしか感情移入している。ジャック・ニコルソンがリメイクをするそうだ。適役だとは思うが、果たして本作を越えられるか。
アクションとロマンスを盛り込んだかなり荒っぽいメロドラマ的な作りだが、歴史に翻弄された女性の悲劇には迫力がある。日帝の威光を笠に悪逆非道を行うユン・ジェムンの絵に描いたような悪党ぶりをはじめ大衆受けを狙った通俗的、教条主義的な側面は否めないが、講談話を聞いているような面白味はある。現実の徳恵翁主の生涯も映画のように波瀾万丈ではないが極めて悲劇的だ。歴史の捏造という批判が多いようだが日本の植民地支配が招いた悲劇であることは事実である。