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主人公のビデオアーティストが撮ったとされる映像が、所々に出てくるが、これが、ちょっと面白い。それと、回想シーンでの、高校時代のヒロインに扮する駒井蓮の無言の演技が印象に残る。で、肝腎の、23年ぶりに偶然再会した二人の話は、どうかといえば、希薄というしかない。別に、ドラマティックな展開が欲しい、というわけじゃない。そうではなく、作り手が、風景も含め、それらしいイメージを重ねることに安住しているので、映画として心に風を吹かせるだけの力を持ち得ないのだ。
水谷豊が杖を突きながら歩く姿は決まっているし、彼にラストショウを打ち上げさせようとする岸部一徳や六平直政の佇まいも心得たもの。それより出番の少ない夏木萌の事務員が意外に(失礼!)印象に残るが、やはり、なんといっても、最後のタップダンスの競演が圧巻。当然ながら、中心の五人はもとより、全員がタップ・ダンサーだからだろうが、構成の工夫と多人数で見せるところが日本的というべきか。フレッド・アステアのような天才は望むべくもないから、これはこれで良いのだが。
「何日君再来」という歌は、1937年以来、作曲家も作詞者も最初に歌った女優も時代に翻弄され続けてきたのだが、それに較べると、この物語の夫婦が辿った道は、生活の苦労はあるものの、はるかに平坦だったといえる。少なくとも、そこには政治の介入はない。だから、物語としては奥行きに乏しいが、真面目で生きるに不器用な夫と、貧乏暮らしでもどこか楽天的な妻との愛情物語としては、それなりによく出来ている。これには、向井理と尾野真千子の好演によるところが大きい。
最初、ヒロインが現代の都会で暮らすシーンのテンポが、ややかったるく感じられたのだが、彼女が橋を渡り、1960年の森に迷い込み、ダムの調査に来て川に落ちた日本人の青年とともに、少年の導きで村で暮らすようになってから、その緩やかなリズムに自然に引き込まれていった。つまり、それは「流れるように生きる」ラオスの暮らしのリズムなのだ。そこから、内乱がありながらも、農作業をし、薪を集め、祭をやるラオスの村の暮らしが、なんとも心地よく感じられるようになった。
うさんくさい奴もピュアな人物も同じ熱量で演じられる眞島秀和。私はこの俳優の大ファンで今回も好演を堪能した次第。本作の役柄は後者だが、見ているとこのピュアネス自体うさんくさく思える、というやっかいな企画でもある。断ち切られた初恋だからそこからもう一度再開したい、という男の思惑はムシが良すぎないかな。とはいえアジア人種の観光業者から圧倒的に支持されている北海道のロケーションが素晴らしく、有名な青い湖もてらいなく物語に取り込み、最上の効果を挙げた。
評価はドラマ部分に対して。クライマックス、30分近く続くショー場面は至上の五つ星としたい。そこまで耐えて劇場で見てね。それにしても各ダンサーの挿話全て、物語として破綻している。クレジットされた脚本家が本当に書いたのか疑問である。踊りは古典から和テイスト、フラメンコ、ストリップ風、と切れ目なく続き圧巻。こういう感じで一時間見せても良かった。島田歌穂の使い方ももったいないし、そのかつての相棒(?)ももっとやりようがあっただろう。正直口惜しい出来上がり。
今世紀初頭巻き起こった自分史ブーム。私も友人の母親の作文を手伝ったことがあり、こういうの劇映画にしたら面白いと思った。まさか向井理が企画・出演で祖母の話をやっちゃうとは。しかも堂々の大作、これも相当偉いね。改めて書いておくが、これが良いのは祖父の「うまくいかなかった人生」を寄り添った妻の目からそのまま自然体で描いたところにある。当然だが、妻にとって夫の人生は失敗だったわけじゃない。逆説的だがこれはそういう意味ではある「素晴らしき哉、人生」なのだ。
タイムスリップ物として色々惜しい映画。主人公のカップルが美しいだけにもう少し演じがいある物語を作りたかった。女と男で時間への感覚が違うのだが、それが説得的に描かれていない。川面に映える日光が竜の姿に見える秀逸なショットもあり、期待はふくらんだが、雰囲気重視の弊害が見られる。ダムが出来れば村が沈むというのは結局デマだったのか、それとも沈んであの程度か、それすら分からない。内戦の件ももやもや、というかうやむや。龍神祭の視覚効果が良かったのは救いだ。
中島貞夫がATGで撮った時に何故いつものやくざ映画なのかと言われたそうだが、同じことをATG的な自由さを標榜する松竹ブロードキャスティングにも言いたくなる。「冬のソナタ」の監督を呼んでくるのはいいが、ウエットになりすぎていないのは好感が持てるとはいえ、古典的な焼けぼっくいに火がつく話が雰囲気重視で流れているだけでは演出に見るべきものがなければ退屈する。今の山田洋次に北海道で低予算映画を撮ってくれと言った方が遥かに過激な映画を撮ってくれそうだが。
水谷が監督主演という保険があるので、若手ダンサーを実力重視で揃えているだけあってダンスシーンは圧巻。かつて水谷が市川崑へ企画を持ち込んだ時は、自閉した主人公がタップを踊る時だけは輝いているという話だったと記憶するが、その設定はJUN役に継承されているようだ。自身で演じるつもりだっただけに不機嫌な指導者役がハマっている。水谷の静と踊りの動だけで充分持つ話だけに、相棒・岸部の病状や各ダンサーの家庭環境まで手を広げたせいで大味になるのが惜しまれる。
映画に拘泥するタイプに思っていなかった向井が企画したことに驚くが、大陸からの引き揚げ場面も含めて戦前から戦後にかけての一家を描く壮大な話を、限定された空間を活用して巧みに捌く深川の技倆が際立つ。もっとも『ファミリーヒストリー』的なダイジェスト感が強く、生も死も通過点的な扱いなので、向井の死までか、それ以降にドラマの重点を置くべきだったのでは。朝ドラと同じく尾野の晩年は別の女優が演じているが、彼女なら老けメイクで演じきれそうに今度も思うのだが。
隣国が舞台の「バンコクナイツ」の興奮が醒めやらぬだけに同じ川をめぐる映画でも品行方正すぎると思えるが、タイムリープまで出してくるところはキラキラ青春映画の〈ご都合主義にはSFもどきを〉に通じる。未来から来たヒロインは1960年に日本人が指導するダム建設計画の結果を知ってるくせに多くを語らないので設定が活きず。前半のヒロインは仏頂面なので魅力を感じないが、後半の生き生きとした表情は良い。ダム建設と地元住民の陰と陽をもう少し提示してほしかったが。