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「ローガン」に続き、追われる娘を守って父親が戦う話。そしてこれまた「ローガン」に続き、意外なことだが、米国の現状に関する考察でもある。メキシコ人移民労働者への共感が表明されるほか、米国はカウンターカルチャーも抵抗運動もすべて商品として呑みこむ国だと冷笑的に語る「説教師」という人物は、まるで彼自身がその米国を体現しているかのようだ。メル・ギブソンと対等に渡り合うE・モリアーティに感嘆。クライマックスが西部劇の傑作群を思わせる演出であることにも感動。
同じ監督によるブライアン・ウィルソンについての映画もそうだったが、本人(今回の場合はディラン)が自ら主張してくるのではなく、多くの人々の証言と、ふんだんな演奏映像で構成される。証言者が音楽関係者ばかりであることが重要。「知られざるディランの素顔を暴く!」的な作品ではなく、音楽シーンのなかで彼がどう見られていたか、どのような足跡をシーンに残したかが浮き彫りになる。社会のシステム全体を見とおす優れた知性の持ち主が、真の詩人へと変貌を遂げるまでの軌跡。
まさに『闇の奥』、というよりも「地獄の黙示録」的な導入部(ただしカーツ大佐はとっとと登場する)のあと、何が謎なのかもわからないがとにかく謎めいている展開がもやもやと続き、もしや途方もなく深遠な哲学的主題を扱っている映画なのではと思わされるけれど、やがて明かされる陰惨な真相は、それほど意外でもなければ深くもない。米国とメキシコの国境や、福音主義と白人至上主義との結びつきが、米国でものを創る人々の想像力をいかにかきたてているかがわかるのも興味深い点。
女教師も床屋も酒場も登場するうえ滅び行く者たちへの挽歌でもあるのだから、何とこれまた西部劇。もっとテンポよく進めればいいのにと、同じ監督の「レクイエム」でも思ったので、これは相性の問題かもしれないが、クライマックスの大アクションで、そんな不満はいちおう消える。自警団団長夫人も勇敢に戦うのがうれしい。ここまで憎たらしい悪役を見るのはいつ以来かと思わされるルイス・クーの天晴れなヒールぶり。善玉顔で美声のウー・ジンを敵方に配したのが効果的で泣かされる。
世の中からはみ出したメル・ギブソンとモリアーティの父と娘が駆け巡る現代アメリカの地獄絵図のような背景が映画ならではの手法で的確に描かれている。トレーラー・パーク、モーテル、メキシコの麻薬組織、ヘルス・エンジェルスの成れの果てみたいなバイク軍団など、それぞれの場所に巣食う者にそれぞれ実存的な哀しみがあり、アクション化して爆発する。過去にどんな絆があろうと、裏切るものは裏切るという哲学のある物語で、大型バイクにまたがり、荒野を疾走するギブソンがいい。
ディランの音楽は街の雑踏のなかから聴こえてくるときが一番いいと言ったのは中山康樹であるが、その点ではこのドキュメンタリー全体のざわざわした感じは、彼にぴったり。ディランが歌っているのに、同時代を生きたという人たちががしゃべりまくる話が長すぎると思うファンもいるはずだが、それがないといかに映画好きのディランでも、この貴重なドキュメント作品は成立しない。ウディ・ガスリーやスーズ、ジョーン・バエズ、グリニッチ・ヴィレッジの映像がこのディラン伝説に貢献。
全体が謎めいた重苦しい空気感の西部劇。脚本家のマット・クックが「地獄の黙示録」と同じく、コンラッドの『闇の奥』にヒントを得ているからで、テキサス・レンジャー役のリアム・ヘムズワースよりも悪の力によってリオ・グランデ川沿いの町を支配するウディ・ハレルソンに目がいってしまう。彼もまた頭を剃り、ブランドを意識した演技。妖しい呪術によって町の住民たちを操作していく。ヘムズワースのメキシコ人の妻アリシー・ブラガまでもがひきこまれていくのが見ていて怖い。
「おじいちゃんはデブゴン」を見て、「ドラゴン・ガール」のカマルディン監督(ブルネイ)とサモ・ハンの復活を語り合ったばかりだが、こんどはベニー・チャン監督と組み、アクション監督に徹しているので、映画の動きは出だしから派手。クライマックスのエディ・ポンとウー・ジンとの決闘など、舞台の巨大な壺の山が崩れてこないかとはらはらした。ラウ・チンワンの長鎖の演技は見どころだが、ルイス・クーの陰影たっぷりの悪役ぶりもヒネリが効き、見せ場たっぷり。香港的伝統の活劇。
ブルータルな性分を、役柄や演技にシンクロさせるようになったメルギブ。世間では干されたなんだの言われていたが「復讐捜査線」以降はハズレ作皆無であり、新たな黄金期に突入していただけである。というわけで、本作でも水を得た魚のごとくワルどもを蹴散らしまくる。また、かつての蛮行を悔いてみせるなどシンミリする場面でも本人とダブらせているのが◎。J=F・リシェ監督のソリッドな演出も快調で、ソードオフ散弾銃が登場する「マッドマックス」オマージュ場面は鳥肌モノ。
活動歴半世紀超というディランのような御仁になると、音楽性の変わる〝期〟が複数存在するように。個人的な話になるが、そうなると聴く側にも苦手期が生じてフォーク期がそれにあたる。同時期だけは曲にグッときても背景を知ろうとせず、評伝を開いても斜め読みだった自分にとって、こうしたドキュメントだとすんなり勉強はできる。とはいえ研究されまくっている彼ゆえに、こんな自分でも知っている話が多いのは確か。そろそろ、RTR期に焦点を当てたものが出てきてもいいと思う。
「地獄の黙示録」か『闇の奥』、またはカルト教団〝人民寺院〟を下敷きにしたウエスタンといった感じ。なんだか静謐で深遠なトーンで貫かれているが、主人公と狂信的リーダーとの因縁、潜入捜査、メキシコ人迫害といった要素を放り込んで飽きないようにはなっている。剃り落とした両眉の代わりに刺青を施すなど、狂信者に扮したW・ハレルソンはやりすぎの気もするがなにかと持っていくのは確か。余計なBGMなど一切入れない、ライフルによる狙撃戦が展開するクライマックスに激燃え。
功夫片版「リオ・ブラボー」としかいいようのないプロットなうえに、流れる音楽はことごとくマカロニにおけるエンニオ・モリコーネ調。だからといってアクションもドンパチ多めというわけではなく、誰も彼もがビュンビュンと跳び回り、三節棍、トンファー、鎖仕込みの鞭などの武器が入り乱れるバリバリのカンフー・バトルがベルトコンベアとなっている。無双ぶりを見せつけるラウ・チンワンもさることながら、底なしのゲス悪党を喜々として演じるルイス・クーには圧倒の一言のみ!