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見る前に想像していた通りの映画だったのに驚いた。いや、お話ではありませんよ。だいたい、この映画、基本的な設定があるだけで、物語らしい物語があるわけではないから、それは問題ではない。想像していた通りなのは、仲代達矢の一人芝居だ。老いたる俳優が、自身の老いに老いたるリア王を重ねて繰り出すセリフの数々。ホント、気持ちよさそう。ちょっとくどいけどね。それに較べると阿部寛が携帯を耳に当てながらの一人芝居=長広舌は、まだまだ修業が足りないというしかない。
飾られる花が美しいので、★ひとつおまけしたが、お話に従えば、野村萬斎と佐藤浩市と市川猿之助の演技合戦を見るのが本筋か。池坊専好を明るいキャラに設定したためか、萬斎が表情に変化をつけすぎるのが、ちょっと気になったが、声も表情も抑え気味の利休=浩市と向き合うと、バランスが取れるし、同じことは、利休と、天下人となった秀吉=猿之助の怒りを含んだ顔や声との間にもいえる。その意味で、事件も含め三者の要は陰の利休にあったことになるが、三國=利休とどっち?
綾野剛と村上虹郎との対決が軸なのだが、一方に綾野と父親の小林薫の父子関係が、かなり重く絡む。つまり、父殺しの罪障感をどう克服するかというところに、若い好敵手が現れるという話だが、その辺がいまいちくっきりと描かれておらず、こちらがいろいろ解釈しなければならない。むろん、読みは観客に委ねるという作品は珍しくないが、それが、ここでは読みを促すほど刺激的になっていない。村上虹郎の軽やかさは、魅力的だったが、前田敦子は、どこに行ってしまったのか?
むのたけじは、戦後、週刊新聞『たいまつ』を自力で刊行していた硬骨のジャーナリストとして知っていたが、日本で最初の女性報道写真家である笹本さんについては、ほとんど知らなかったので、その点は、興味深く見た。とくに、彼女が撮った女性たちの写真。たとえば、アリの街のマリアと慕われながら若死にした北原怜子、また、『明治の女たち』という写真集に収められた鈴木真砂女や阿部なをなど。むのたけじは、早稲田の学生とのトークと、肺炎で倒れたあとの顔が印象深い。
『リア王』と言われても「乱」しか思いつかない演劇オンチの私だが、この仲代と原田の父子という配役はその線をついているわけだ。もっともあちらは義理の親子。明らかに俳優仲代に宛てて書かれたと分かる脚本は、老人の生のあり様を「暴発的」狂者というより「けだるい」認知症者として描いており、その感覚がラストに向けてじわじわ裏返されていく作り。極端な少人数で広い空間を占めるコンセプトも効果的だがオチが弱い。黒木華さん他、数名もどこか手持ち無沙汰な感じ。惜しい。
茶室における、明るい方を背にした千利休の暗い表情を捉えた横顔撮影の見事さにシビれる。この作品はある日織田信長の下にいやいや集結する羽目になった人々の、それから数年後の変転を描く群像劇。そこに「お花」の池坊家がどう関わったか。ちょっと頭が悪いので自分はリーダーの器じゃない、と思い込んでいる主人公専好の設定が面白い。そこを専武がサポートするわけで、こちらも儲け役である。暴君豊臣秀吉に対する利休と専好それぞれの闘い。美少女絵師森川葵も効いてますよ。
この監督の作品は映像効果があざといとして嫌う人もいる。しかし今回のはその側面、抑え気味。トラウマを抱えた若者二人の剣道による対決がメインである。溺死寸前の体験を持つチャラい若者、これもいいんだが、何と言っても親父を植物人間にしてしまったもう一人の若者綾野剛。彼が凄い。ラストの腹筋の評価も含め、星を足す。悪いのは真剣勝負を強要する親父なのだが、こういう無茶な身内を持つと子供が苦労するという見本。また二人を引き合わせる役目の老人柄本明が珍しく良い。
現役最長老のジャーナリスト二人の今を記録する、というのは悪くないが、それだけ。関係者向けを超えるものではないので星伸びず。ひょっとすると両者の対談が目玉だったのかもしれないが、期待したほどには盛り上がらなかった、ということなのか。映画の出来はともかくとして、年長者が元気なのは良いことだ。一方若い人たちは大したことない。これも不満の理由である。むしろ監督なり、あるいは誰か別な若いジャーナリストを立てるなりして、の現代老人論を展開するべきだったのか。
映画の形も演技の質も変わった今、日本映画が仲代達矢を活かせなくなって久しい。小林監督の仲代三部作は低予算の現代映画でも映画に品位を持たせながら、じっくりと仲代の演技を堪能させてくれる。今回は『リア王』というか原田の存在もあって「乱」の現代版(状況劇場繋がりで小林薫にも根津甚八を連想)を思わせる。元映画スターという設定など今の仲代が重ねられるが、ここでも見事に〈老い〉を演じている。それは確かに見事だが何もしない無防備な仲代を見たいという思いも。
大仰な演技と表情で劇を活性化させようとする萬斎を活かしきれていない。萬屋〈柳生〉錦之助と同じく一人だけ浮いているが、この芝居を受けられるのが猿之助と蔵之介らに限定されるのが問題。せっかくクライマックスが前田邸大広間という舞台仕立てになっているのに萬斎の大芝居が不足。主人公の記憶障害が中途半端な扱いで、これによって起きる笑いも泣きも徹しきれず。世情とは無縁に生きた天真爛漫な男が責任ある立場に立たされる苦痛と権力者からの抑圧だけで充分な話なのだが。
撮影所時代なら三隅研次と雷蔵の「剣」になるところだが熊切と綾野が今撮るとこうなるという意味では興味深い。村上がどうやって独特の構えを習得したかも省略するので、ここまで映像主体に描くならATG的な観念性が欲しくなる。夏の北鎌倉の湿気を含め、近藤龍人の撮影が充実した画面を作り出し、張り詰めた空気感の中で殺気を放つ綾野をもっと見たいと思わせるが、アル中演技は粗野感に意外性がない割に引っ張るので尺を取られすぎ。「剣」が95分で語りきっていたことを思う。
来年からの40代を生きていく自信が全くない筆者など想像の及ばない世界だが、年齢と精神は一致しない。両者とも問いかけられると瞬時に質問の意図を理解して考えを整理して明瞭に話しだす。過去がくっきりとディテールを持って懐古調になることなく今を生きる視点で語られることに感嘆。国家と個の間で生きた2人の言葉は曲がり角に来た今、より強く響く。映画について書く世界も他人事ではない。津村秀夫みたいに国家の手先となって戦争協力するタイプだなと思う人は既にいる。