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アネット・ベニングが良過ぎて彼女ばかり見てしまう。ほんとうに豊かな年の取り方をしていると思う。「人生はビギナーズ」の父親に続いて母親と自分の話で、筋立てとしては如何にもこの監督らしいセラピー映画だが、正直に言うとCM的と呼ぶしかないスタイリッシュな画面作りが好きではない。知的でハイセンスなトリヴィアに彩られた台詞も含め、小洒落たアメリカ文学みたいな作品だ。もう少し地味な絵で仕上げてくれれば支持出来たのに。エル・ファニングは久々に等身大の役です。
原作は日本でもかなり話題になった痛々しくも瑞々しいヤングアダルト小説だが、秀作「永遠のこどもたち」のJ・A・バヨナ監督は、ともすれば鬱々とだけしてしまいかねない作品世界を見事にゴージャスに映像化している。言葉の力のみによって読者のイメージを盛んに掻き立てるのも原作の魅力だが、すべてを見せざるを得ない映画には別のやり方がある。主人公コナー少年を演じるルイス・マクドゥーガルが素晴らしい。可憐な母親フェリシティ・ジョーンズも好演。実は演技を見る映画だ。
ドキュメンタリー・タッチを随所に効果的に挿入するピーター・バーグ監督の演出スタイルには好感が持てる。実際の事件を描いているので展開も結末も予め知っているわけだが、それでも終始面白く見れたのだから、かなりよく出来ていると言ってよいだろう。派手さに偏らない見せ場の連続も渋い。難を言えばドラマとしての大きなうねりのようなものが最後に残ったらもっと良かったのだが。しかしボストン警察の刑事を演じる主演マーク・ウォールバーグの過去を知って思わず失笑した。
私はけっしてワイダの良い観客ではなかったが、遺作となった本作を観ているとやはり感慨深い。実在のポーランドの前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの伝記映画で、この人物のことは知らなかったが、圧政的な社会主義政権に批判的なスタンスを保ちつつ芸術活動を続けることの困難を毅然として受け入れたその生きざまは、ワイダ監督自身が範としたものでもあるだろう。芸術を信じ、その進歩を信じ続けることが、そのまま政治的であるしかなかった時代の、ある闘いの記録。
自分や家族といった自伝的な題材で映画監督としてのキャリアをスタートさせたミルズ。ナイーブでミニマムに見えたその世界観だったが、彼を取り巻く人々や彼自身の身に起こった出来事はADHDや同性愛などいわゆる世間のステレオタイプから外れており、必然的にマイノリティへの考察となる。それは作品を重ねるごとに強度と普遍性を増し、描く対象を女性にフォーカスした本作では、彼女たちに向けた眼差しがジェンダーフリー的な女性観となって力強いメッセージを形作っている。
幼くして厳しい試練にさらされた少年コナーの前に現れる怪物はその圧倒的な巨体とパワーで現実を凌駕する。過酷な現実に対抗するためにはそれをぶち壊すほどの荒々しい力を持った個体が必要だったとも言える。樹木をモチーフにした怪物のビジュアルと描写はダイナミズムにあふれているが、コナーの内的問題に収束されてせっかくの魅力が相殺されているようにも見える。コナーを演じたルイス・マクドゥーガルがEXOのジョンデにそっくりすぎて目が釘付けだった。
ボストン警察の英雄譚というゴリ押しのお題目がすべて。アクションがメインなのに妙にウェットなテイストをかぶせてくるのでマーク・ウォールバーグの筋肉バカ的な単純さのよさが生かされていない。フィンチャー作品でお馴染みのトレント・レズナー&アッティカス・ロスによる音楽はその存在感の強さにもかかわらずほぼ全篇にわたって鳴り続けているため強力なドラッグの効き目も麻痺したような感覚に陥る。フィンチャーのときはあんなにかっこいいのだけれど。
戦争で失った片脚のハンデをあざ笑うかのように豪快に山肌を転げ降りてくる初老の前衛画家。皮肉に満ちてかつユーモラスなこのシーンはやがて笑いの余地もないほど文字通り現実となっていく。圧迫に抵抗しながらも追い詰められていく反骨の画家の姿はこれが遺作となった監督ワイダとも重なる。窓の外に広がった赤い闇を切り裂くことはもはや死を意味するのか。昨今の情勢を生きていて体制により自由が脅かされる恐怖をこれほどまでに切実に感じたことはかつてない。
こんなに科白の面白い映画は滅多にない。キャラクターがしっかり出来ているからだ。笑い通しだった。70年代後半、母親は大恐慌時代の生き残りと思春期の息子に言われているが、当時としては先進的なシングルマザー。彼女を含め三世代を代表する三人の魅力的な年上の女性が息子にほどこす男性教育が映画の主題だ。「アマルコルド」を思わせる。この時代にもかかわらず男性がみなフェミニストでマッチョイズムの男が出てこないのも珍しい。監督は男性だが女性映画の傑作。
ファンタジーとはいえ余りのダークさに驚いた。不治の病の母親と二人暮らしの少年のもとに夜毎訪れる異形の怪物。怪物は少年の敵ではなく、彼の人生の師、彼の分身とも思える。面白く作られているが、作品のテーマは「死」をいかに受け入れるかという観念的、哲学的なもので、主人公の成長を描いた教養小説的側面もある。子供たちに思考停止を強いるようなエンタメが世に溢れている昨今、このような映画は貴重といえる。怪物の語る三つの物語がもう少し面白いといいんだが……。
再現されたテロ現場の惨状は息を呑む。M・ウォールバーグはボストン生まれの一刑事として事件の処理に当たるが、ヒロイックな活躍をするわけではなく、あくまで公僕の一人だ。テロリスト側も巨悪ではなくボストンに住む普通の移民として描かれている。それでいて、緊張感あふれたドキュメンタリー・タッチのサスペンスになっているのは監督ピーター・バーグの手腕だ。真の主役はボストンの街だ。87分署の刑事に託してアイソラという架空の街を描いたエド・マクベインのように。
国家主義、全体主義、端的に言えばスターリン主義への怒りを込めた批判を生涯続けてきたワイダにふさわしい遺作だ。教え子に慕われる人間味豊かな老画家は体制に服従しないため様々な迫害を受け食事にも事欠く。時代の波に抗いながら懸命に父に尽くす幼い娘の愛らしい姿にワイダならではの暗いリリシズムが漂う。あろうことかスターリンの肖像の修整をする父、その眼下を無邪気に赤旗を掲げてインターを歌いながら行進する娘。それを聞く画家の複雑な表情は忘れがたい。