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〝恥ずかしながら、ベルエポックを彩ったロイ・フラーという舞踊家を知らなかった。米国の農村でくすぶる娘が才能に目覚め、NY、次いでパリで大成する。ジャンル研究に関心が薄く、カイエ流の個の主体性にとどまる蒙昧なる筆者が、唯一ジャンルのもとに論じたい対象が「芸道もの」である。このジャンルは時として貴種流離譚の形をとるが、本作もそうだ。ヒロインは美貌に恵まれなかったが、発想力と肉体酷使が武器だ。これほどフィジカルな芸道ものは「赤い靴」以来ではないか。
アルゼンチンの大学生が信仰に目覚め、イエズス会に入信する。最初、日本行きを志願するのは、イエズス会の創立メンバー、フランシスコ・ザビエルに思いを馳せたロマン主義的な憧憬ゆえだっただろう。だが国内で役職に就いた彼を待っていたのは苛烈な政治闘争の日々だ。カトリック左派として軍事独裁政権と真っ向対立する主人公が、人生ゲームの最後に法王に推挙されるのは、これら政治的アクションの帰結である。つまり、ローマ教皇庁がきわめて政治的な組織であるということだ。
ろうあの両親を長女がカメラで記録する。そこでは2つの事柄が並存し、ぶつかっている。聴覚/非聴覚。外の世界を見たいという遠心力/両親と弟にとって良き娘、姉でありたいという求心力。両親の手話と身振りの賑やかさ/作者のモノローグの静謐さ。「イ」の父姓/「キル」の母姓。落ち着き払った本作の語り口の背後に、深い葛藤が見え隠れする。単なるホームムービーは居間の余興にすればいい。本作が一般観客を呼び、国境まで越えるのは、葛藤の痕跡ゆえである。
問題という問題が重層的にからみ合うさまがスリル満点である。首都テヘランの住宅問題を手始めに、家宅侵入、暴行事件、被害者の名誉問題へと、映画は禍々しく唸りを上げ、主人公夫婦に襲いかかる。それでも俳優夫婦はA・ミラーの戯曲『セールスマンの死』公演の期間中で、芝居を続けなければならない。しかしイランは米国演劇を十全に上演するには覚束ぬ環境である。だから容疑者の身元を特定したラストの一幕こそ、かえって公演以上に演劇的なとげとげしい光を放っているのだ。
まるでランプの中に迷い込んだ蛾が、炎の中でもがきあがいているような舞い。その光と影の映像。ヒロインのロイ・フラー、その女優の挑むようなマスク。さらにあのイサドラ・ダンカンまで登場。これを演じる新人はその血筋からか、眼が鋭く印象的。この二人の女優と映像の色彩に傾きすぎたか、脚本が今ひとつ食い足りない。特にロイに寄り添う没落貴族は、おいしい素材なのにうまく料理されていない。この監督、少し人間(男性?)に対して興味不足の感が。とはいえ見応えはあって。
キマジメな伝記映画だったらどうしようと、ちと警戒しながら見てた。軍事政権時代のアルゼンチン。そこで管区長を務める主人公が宗教と政治の間で悩みながら、抵抗の姿勢を貫く。一方で政府と結託する神父がいたり、せっかく救出した人たちが密殺されたりと裏面もキッチリ描かれ。神に仕えることの無力感に陥るあたりも説得力がある。いっそ、この時代だけで通してもよかったのでは? その後、マリア像を見て悟る挿話などが続くが、そうなるとモヤモヤした気分に。半布教映画とも。
障がい者のドキュメントというより、自分の両親を記録し伝えようという作品。それゆえか気どりがない。聾夫婦がただそこにいる。この当たり前の感覚がよくて。障がい者の家庭が普通だと育った娘が、成長して健常者の社会に戸惑う。そこからの葛藤を見たかったという欲も出る。だけど、聞こえぬ父母がカラオケで、音程もリズムも関係なく伸び伸びと歌い、楽しむ。それを子どもたちが自然に受け止めている。この場面に、こうやってこの家族は生きてきたんだというそれまでが見えて。沁みた。
浴室で妻が襲われる。夫は警察に届けろと言う。が、妻は頑強に拒む。そこが不自然だと思う。しかしそれがイランなのだと察する。女性が生きにくい社会。だからこそ夫は執拗に犯人探しをする。妻の名誉のために。犯人を探し当てる。だが彼にも家族がいて、生きてきた事情があって。それが夫婦(役者)の演じているA・ミラーの『セールスマンの死』とダブる。見ているとこれからどうなるかという展開に引っ張られる。少し計算も匂うが、イランと人間を描いて、この監督、変わらず魅力的。
全身を使って翻らせるシルクの衣裳に、計算された光の照明を当て、独自の舞台芸術を完成させたダンサー、ロイ・フラー。自分には華がない。その自覚のもと、重労働な仕掛けで顔すら見えないほど自分を消し、逆説的に自分の奏でるムーブメントを舞台の華そのものにし得た彼女は、典型的な努力の人。そんな彼女を翻弄する、美の化身イサドラ・ダンカン(リリー=ローズ・デップ、美の説得力あり)。2種類の女の相克が面白い。ソーコが熱演。フラーの光と影を体当たりで表現している。
最近は、世間でも映画の中でも、威信を落としているカトリック。そんな時代に現れた、アルゼンチン出身の現ローマ法王フランシスコは、カリスマ的な人気があり、救世主と謳われている。彼の知られざる激動の半生の物語。篤い信仰心と共に、特に軍事政権時代をカトリック教会という大組織で生きたタフさも浮かぶ。信者ではないイタリア人監督のダニエーレ・ルケッティは、冷静な目で、かつ敬意を持って法王誕生までの道のりを辿る。なぜいま彼が求められるのか。その一端がわかる。
耳の聞こえない父母の日常と家族の物語を、韓国の若き監督が娘の目線でとらえたドキュメンタリー。監督のイギル・ボラは、子どもの頃から〝両親はろう者です〟と、出会う大人たちに説明し、通訳して社会と向き合ってきたという。歳月を重ねて培われた彼女の経験と観察力が、みずみずしくも深く、健常者とろう者の世界の狭間を掬い取る。お父さんとお母さんがとても素敵。自然とふたりの世界が出来上がってしまうほど、仲がいい。力みのない作品ゆえ、よりこの家族の強さを感じる。
ファルハディが「別離」以来、5年ぶりに母国イランで撮った話題作。自宅で妻が何者かに襲われてから、ことをひた隠ししつつ、犯人を捜そうとする夫婦の行動と心理を日常のディテイルを通してサスペンスフルに描く。発端は妻の警戒心のなさと隠ぺい気質? 復讐を暴走させるのは夫のプライド? そうジワジワ観客に感じさせる監督の冷徹さ。男女問わず、恥が言動の基盤になるのは日本と似ている。きっとどこにでもある話。彼の作品は、男女の古典的な関係性をいつも考えさせる。