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あまりの試写人気の過熱ぶりに正直引き気味で観たのだが、これを否定出来るほど私はヒネクレていない。始まって15秒で胸を鷲摑みにされ、古典的かつ現代的なミュージカル映画としての佇まいに魅了され、主役二人の愛らしさに心躍らされる。そして驚くべきことに、この映画ではそれが最後まで持続するのである。ストーリーは観客の(よくない方向も含めた)予想を裏切ることはないし、特に斬新なことはひとつもやってない。にもかかわらず、この映画は奇跡と呼んでもいい輝きを放っている。
ミルグラムの実験は確かに「アイヒマン・テスト」とも呼ばれるのだが、邦題はちょっと狙い過ぎじゃないかなあ(原題は「Experimenter」)。邦訳もある『服従の心理』に詳しく述べられた社会心理学史上の重大な実験の顚末を中心に、ミルグラムの特異な業績と人生を描いた伝記映画。主演ピーター・サースガードが「カメラ=観客」に向かって自らナレーションするという変わった趣向。妻役はウィノナ・ライダー。紹介としてはよく出来ているが、ミルグラム自身の心の闇には届かなかったかも。
これぞ真正パク・チャヌク。『イノセント・ガーデン』なんか遠慮しまくりだったことが本作を観るとよくわかる(あれも好きですが)。とにかく過剰なエキセントリシズムのためだけに構築されたかのごとき設定、物語、場面、演技その他ではあるが、夥しいツッコミどころをあっさりと越えて映画はひたすら暴走してゆく。サラ・ウォーターズ『荊の城』をあんな異形の映画に翻案してみせた監督の奇才ぶりには舌を巻く。これがデビュー作のキム・テリが非常に魅力的。そんなエロくないです。
「ツリー・オブ・ライフ」以降のテレンス・マリック作品は、ある意味どれも同じで、前作「聖杯たちの騎士」の時も書いたが、アレを深淵と捉えるかワケわからんと思うかは観客次第。そして私は「ワケはわかるが深淵では全然ない」派である。少なくともこの作品で語られているようなことは、思想とか哲学とか呼べるようなものでは全くない。ほとんどいかがわしい宗教にも近い浅薄極まりない世界観だと思う。劇映画の口実を外すとこうなるわけか。これを有り難がってはダメですよ。
デイミアン・チャゼルは導入が上手い。「セッション」の冒頭で教師と生徒はいきなり出会う。本作でもオープニングの高速道路の大渋滞から始まるカラフルなミュージカルシーンのつかみが圧倒的で、「ウイークエンド」以来ともいえる渋滞の名シーンになっている。本篇には当然ながらいろんなオマージュが捧げられているがドラマの構造は「シェルブールの雨傘」的。そしてエマ・ストーンの大きな目が語る正義は時に人を追いつめる。ゴズリングとの口論シーンでのエマの目はほとんどホラーだ。
服従心理実験の追求としては客観性が薄すぎる。突然カメラ目線で喋り出したり書き割りのような背景を使った演出も、特に面白いとは思えなかった。そうした手法を使って劇中のミルグラムが自分の実験の正当性を訴えれば訴えるほど、逆説的に浮かび上がってくるのは、正当性(がないとは言わないが)を信じるがゆえの彼の狂気であるが、それは意図されたものだったかどうか。『ER』のグリーン先生ことアンソニー・エドワーズが被験者で出てくるのが気になって仕方なかった。
パク・チャヌクは様式美の監督だ。だから型や作法で固められた上流階級のライフスタイルを描くことは、建築・衣裳・小道具における表現も総合して彼の作家性と非常に親和性が高く、実際相当な完成度で成功している。そこにしっかりとフェティシズムの血が通っているのもいい。貴族趣味の追求が一種の変態性に到達するサド等の使い方たるや。エロティシズムが型に昇華されていく体位の描写も見事だ。イメージのビジュアル化を極める能力の高さゆえ生身の俳優の真価が問われる。
もはや完全な環境映像だ。そう言い切っても許されるだろう。近年のテレンス・マリック作品においていよいよ顕著になってきた、ゆえにその要素を映画としていかに咀嚼すべきか悩まされてきた「映像は美しい。だが」もしくは「だが映像は美しい」問題は、本作においてようやくシンプルかつ明快な解にたどり着いた。サイエンスに振り切ってテーマと映像がシンクロした分、ポエティックな内省ドラマが映像のBGMのようだった「聖杯たちの騎士」よりよっぽどキレキレで攻めている。
冒頭の渋滞した高速道路上で行なわれる集団ダンス・シーンは振り付け撮影も見事で、モダーンなミュージカルの開始を思わせるが、一転して、黄金時代のハリウッド・ミュージカルや古いジャズへのノスタルジックな憧憬に満ちたボーイ・ミーツ・ガールのドラマへと展開していく。あらゆるシーンに映画と音楽への敬愛の念が込められている。ゴズリングとE・ストーンはほぼ完璧に役をこなしている。二人のダンス・シーンはアステア・ロジャースへの見事なオマージュになっていて陶然とする。
ホロコーストに衝撃を受けたユダヤ人の社会心理学者が、人間は他人に対する残虐行為をどこまで許容できるかという実験を行なう。その描写は詳細をきわめ面白い。多分に小劇場演劇的な映画だ。アイク、ケネディの時代に行なわれたこの実験の学問的価値や人間の残虐行為の抑制にどれだけ有効かは私には判らないが、ベトナム戦争、アフリカの民族抗争、パレスチナ紛争など人間の蛮行は世界中でその後も絶えることなく続いている。世界の政治的指導者をこの実験の被験者にしてみたい。
ロマンポルノ・リブートのある作品を見て、完成度はあるがエロスと活力の不足を感じた折、この作品を見て興奮を覚えた。レズビアンのセックス・シーンは「キャロル」をはじめ最近多いがこの映画のエロスと言うより猥褻に近い描写には圧倒された。パク監督のテーマはずばり異端の追求だろう。設定やストーリーの展開は強引だが、エンターテインメントのツボは外していない。伝奇小説的なおどろおどろしさ、ミステリーの意外性、アナーキィな抒情、興趣つきない二時間半だ。
巨大ビジネスと化したハリウッド映画とは対極の映画作りをしているテレンス・マリック。前作「聖杯たちの騎士」はストーリーの全くない映像詩だったが、今回はビッグ・バンから始まる十億年以上にわたる地球の歴史だ。何しろ誰も見たことのない世界が再現されるから息を呑む。原始人以外俳優は一人も出てこない。地球の歴史は人類の歴史となり未来へ繋がる。世界各地の映像が短いカットバックで挿入され、彼の哲学、歴史観がうかがわれる。次回作は何処へ向かうか気になる。