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「逆行」が擬似ドキュメント風なら、こちらは逆にフィクションまがいのドキュメンタリーだ。冒頭で主人公のウィーナー氏がインタビューの合間に見せる鬱勃たる表情を見た瞬間、「え、これ劇映画だったの?」と、思わず手元の紙資料を見直してしまった。それほどこのウィーナーという人物はフィクショナルな存在だ。SNSへの2度にわたる猥褻写真の誤投稿によって、2度も政治生命を絶たれるという馬鹿げた事件。大統領選のトランプ勝利が民主党の敵失だという説を裏づける内容だ。
タノヴィッチが、多国籍企業によるパキスタンの食品公害事件という実話の映画化に挑んだ。ボスニアの映画作家はボスニアの問題を語るのに忙しいはずなのに、この視野の拡がりにまずは賛意を表したい。固有の問題を人間軽視という普遍的問題へと敷衍した。しかし同時に、作り自体もタノヴィッチ色が薄まり、国際的合作が孕む大雑把さ、弛緩、通俗化したドラマ性も指摘しなければならない。本作に次いで連続公開される「サラエヴォの銃声」では再び鋭利なタノヴィッチが戻ってくる。
世界中の廃墟の実景が、20秒程度の等間隔で自動スライドのように写し出される。虫や鼠は写るが、人間は一度も写らず。人類滅亡後の風景はかくやと思わせる未来の透視図。いや違う。この無人ショットの集積は、演劇で言う「空舞台」であり、大和絵で言う「誰が袖」である。今はもういないが、つい先ほどまでその人がいた。廃墟の住人、廃墟を建てた建築家、彼らの「面影」がじつに人間臭く焼きつけられている。そしてカメラの実在。「空舞台」という名のカメラの専制である。
巻き込まれ型サスペンスだが、その道の巨匠ヒッチコックのように細部描写に工夫を施してはいない。手持ちカメラが主人公に延々と密着することで、擬似ドキュメント路線を狙っている。主人公のNGOボランティア医師のやや過剰な正義感が裏目に出て、「よせばいいのに」という状況が何度も反復する。愚直なまでの疑似体験の追求には好感が持てる一方、第三世界におけるアメリカ人の慇懃なる傲慢さも見え隠れする。カナダの新人監督がとらえたこの二面性こそ本作の鍵だろう。
作り手は、過去のスキャンダルを乗り越えて、ニューヨーク市長選に挑む男の姿を描こうとしたんだろうなあ。ところがまた思わぬトラブルが起こって。いやもう途方に暮れる映画スタッフの顔が眼に浮かぶようで。マスコミ陣は格好の餌食とばかり男とその妻を追いかける。その大騒動ぶりに作り手の報道批判が窺えて。なんかこれ、森達也の映画みたい。けど森が、執拗に撮影対象者の内面に迫ろうとするのに較べ、こちらは客観の視点に徹し続ける。その距離の置き方が食い足りなくもあり。
パキスタンで粉ミルクを飲んだ乳幼児が次々に死亡。直接の原因は現地の汚水にあるが、にもかかわらず販売を続ける発売元のグローバル企業にも責任があると、内部告発した男の話。この題材ならドキュメンタリーでも有りじゃないかと思うが、本人が顔出しできない事情がうかがえて、ちょっとゾッとする。主人公が必ずしも清廉潔白の存在ではないことも正直に描いて、この監督、誠実な上にも誠実、しかも慎重にこの題材に取り組んでいる。映画も告発のための武器になりうるのだと――。
廃墟の風景が固定されたキャメラで捉えられる。画面は数十秒ごとに転換されていく。ただ、それだけの九四分。最初は、ここどこだろうと思う。福島の無人の駅とか町とかが映る。同様にいわくつきの風景が次から次に綴られる。が、その背景は語られない。気になったところは後で自分で調べろってことか。なんだか地球にひとり生き残って、世界中を放浪してる気分になる。やがて退屈して。これは美術館で展示した方がふさわしいんじゃないかと思う。映画って時間の芸術だよなあ、とも。
ここの批評欄は評価が難しい作品が多くて、いつも四苦八苦。だもんで、こういうストレートな作品に出会うとホッとする。ラオスでNGO活動をしている医師が、休暇中に、地元の女の子のレイプ現場に遭遇。カッとなって加害者のオーストラリア人男性を殴殺。以下、逃亡劇のハラハラとなるわけだが、ヒッチコック的サスペンスとはまた違うリアルな感触がある。こういう映画は、ラストの落とし所をどうするかが決め手となるが、すごく納得がいく上手い幕切れだと思った。拾い物デス!
2011年、自身のツイッターで、とある性癖証拠を拡散してしまい、失職した元下院議員アンソニー・ウィーナー。2年後、再起を懸けてNY市長選に立候補する日々にカメラが密着する。が、彼はまたやらかす。実績と人気を誇っていた政治家の転落劇は、もはやアメリカ中のエンタテインメント。その一部始終に啞然。しかも本作は最中にある当事者の裏も表も赤裸々に見せるから凄い。不甲斐ない夫のそばで憮然と佇む妻。「FAKE」もそうだったが、妻の腹の中が謎めいていて何ともコワい。
パキスタンで粉ミルクを強引に販売するグローバル企業に対し、それが乳幼児の命を奪う危険性があると知った地元のセールスマンが自社を告発する。実話を基に、ダニス・タノヴィッチが社会派ドラマとして映画化。粉を溶かす際の〝不衛生な水〟がここでは強調されるが、粉ミルク、正面から向き合うとなるとそもそも相当扱いづらい題材だろう。一個人が巨大企業に正義を訴えた時、どのようなことが起こっていくか。メディアも含めたその裏側が見えてくる。幻の問題作というのも納得な作品。
アメリカ、ブルガリア、日本、アルゼンチン……。人類が踏み込み、捨て去った世界の70ヶ所以上に及ぶ廃墟が風景としてひたすら映し出される。人は登場しない。ナレーションも音楽もない。そこがどこかを記す文字による説明さえも。廃墟を広角でとらえた数十秒の1カットが、静かに物々しくつらなっていく。その廃墟は確かにストーリーを感じさせるし、美しくも悲しく、今そこに存在することが不思議だ。ある意味、究極に観客の想像力を信じた作品。ただ、私にはこの94分は長かった。
東南アジアのラオスでNGOの医師をする米国人男性。リゾートでの休暇中、良かれと思いとった行動が災いし、激情に駆られ殺人を犯してしまう。こうして始まる彼の逃亡劇。この医師、最初の手術シーンなどから少し荒っぽい性質が見えて、どこか不穏。都合の悪いことから逃げ続ける姿にはイライラする。原題は〝川〟。ずっと流れに逆らってばかりいる主人公だが、邦題の真の意味は最後にわかる。ドキュメンタリー・タッチのロケ撮影が、彼の八方塞がりをうまく炙り出していた。