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今度は1週間で記憶を失ってしまう女の子に純情少年が恋するお話ですか。まあ、いいですけどね。要は、いまじゃ、なんらか障害がないと、恋愛モノは成立しないということなのだろう。それにしても、一週間でそれまでの記憶がなくなるとしたら、勉強の方はどうなるんだろう? と、気になるのだが、そんな心配はご無用、とにかく月曜日ごとに、記憶がリセットされた少女に、お友達になって下さい、交換日記しましょう、という少年の純情に肩入れして下さい、ということですな。ヤレヤレ。
確かに、監督の中にある文学に拘った意欲的な作品ではある。だから、登場人物のモノローグや『死者の書』の朗読に比重がかけられ、画面構成には力点を置かない、というか、言葉のつながりでわかるだろう、と腹を括った作りだ。むろん、そういう映画があってもいいとは思うが、それにしても、人物が出てくれば、並んで話をするか、向き合って話をするか、一人で遠くを見つめるか、というショット中心では、物語そのものが動かない。また、録音の関係か肝腎の言葉がくぐもって聞こえる。
事実に基づいた物語というと、それが成功談であるだけに、話の展開はあらかじめ想像できるのだが、それでも、笑顔だけがいい、と言われる広瀬すずをはじめ、優等生タイプの中条あやみ、笑顔が苦手な山崎紘菜、丸形体型の富田望生など、それぞれ違ったタイプの少女たちがチアダンスに挑む姿は悪くない。なかでも、夜の街のショーウインドウの前でひとり踊る山崎を見つけ、広瀬がそれに合わせて踊り出し、そこに中条が加わるシーンがいい。ダンスと映画は昔から相性がいいのだ。
84分という時間の中で、三人の女性の姿がくっきりと浮かび上がる。中心は、幻覚症状などが現れる認知症の母(田島礼子)と、演劇の指導をしながら、映画に出演する機会を得た娘(つみきみほ)との関係にあるが、母親が、スーパーで赤ん坊を抱くシーンも、監督の娘を遊ばせる場面と繋がって自然に見えながら、微妙なサスペンスを孕む。それを機に、映画の仕事を降りる娘の心情も素直に胸に落ちる。認知症が、娘が母を理解する契機になることをリアルかつユーモラスに描いて○。
この手の「恋以前の恋」物語って大好きなのでひいきしてしまう。とりわけ彼の片思いが始まるきっかけとなる、電車のドア越しに本を放るシチュエーションが映画的に上手くいっているので評価したい。問題のアンリ・ミショー全集第一巻は色々災難であったが。本に落書きすんな、って本気で怒る人が沢山いるのだろうと今から心配。そういう小言がネット批評の大多数だからうんざりだ。最後に二人仲良く消しゴムで消す場面でも入れときゃ良かったのに。ランタン祭りと巨大ドミノもいい。
このところ必要があって『死者の書』を読んでいたのだが、折口が推敲して構成を変えていたとは知らなかった。変更により死者の甦りの生々しさが出たのだ。この一連の企画は見た時はスルーしてしまっても、後続する作品で新たな意味が付与されたりして侮れない。急逝した能役者の件とか、一人で歩いている時に死んだ友人が共にいるのに気づいた件など。記録映画というよりシネ・エッセイに近いか。物語としてはすれ違いの恋というか、すれ違うことで恋に思えてしまう勘違いの面白さ。
集団ダンスが良くソロも良く、踊れる人を集めているのだろうが感心しきり。それだけで見る価値あり。ただ実話の枠に縛られて話が重くなった。スポ根ドラマみたいなんだよね。そうならないように演出努力がなされてはいるのだが、それだったらもっと踊りばっかりにしてくれても良かった。特に主演陣の練習シーンを長々と見たかった。先生とコーチも本格的に踊らせたかったね。残念。極端に言えばこの映画に男は不要だ。あやみの決めの一言をすずが継承するという女の友情劇は上出来。
よく知っている人が「偽者」に見えてしまうカプグラ症候群というのは、映画的には幻覚より地味だがもっと興味深い。映画というメディアがそもそもそういうものだからなのか。或いは母と娘というのは本来同一個体の分離だからなのかも。娘の「偽者」というお母さん独自の感覚が、この企画の実は隠し味になっている。そこからの快復が重要で。つみき(娘)が情熱型で田島(母)が理性の人、という演技の方向性(のくい違い)がうまく機能しショッピングセンターの場面とか見応えあり。
例によって記憶障害が都合よく利用され、ヒロインは月曜になると学校の記憶だけ失う。日常生活にかなりの不自由や周囲の誤解が生じるのに学校が放置とは不可解。過去の記憶が刺激されると倒れることもある娘に携帯すら持たさない両親は同級生との交換日記にも難色を示すばかりか、日々の記録を残すよう指導するでもなく、無理解も甚だしい。思いを寄せる男たちが恋愛にしか興味がなく記憶を補う役目を担おうという気概すらない。蔭のある表情が魅力の川口が活きる役ではあったが。
ドキュメンタリーの中にフィクションが入っているなら兎も角、教授と生徒などが登場するドラマが大半を占める作品としては、同じ鈴木一博撮影でも設定も含めて共通項がある福間健二監督作のように女性たちを輝かせてくれるなり、土地の風景の中に流れる風を感じさせてくれるなりすれば魅力を感じたのだが。ドキュメンタリー部分が持つ力、とりわけ新宮のお燈祭りでの石段を転げ落ちる男たちの荒々しさを捉えたショットが持つ力強さなどに比べれば、フィクション部分が総じて低調。
青春映画の枠に沿いつつ催涙的な場面を避け、パターン通りの描写を外す演出が見事。授業中に広瀬らが足でリズムを取る練習を密かにしていると、次のカットでは昼休みの中庭に移り、カメラが引くとその場の全員が足踏みしているというミュージカル的な処理にも瞠目。『天海祐希にやりすぎはない』と竹中直人が最近書いていたが、本作を観れば納得。「北陸代理戦争」でおなじみ福井弁を活用し、世界に打って出る話だからこそミニマムに描くという映画のサイズを心得た職人技を堪能。
俳優ワークショップで指導するつみきみほは「櫻の園」の杉山紀子のその後を見ているようだ。自分が原因の喫煙事件で上演が危ぶまれた時のようにクールに突っ張る齢でもなくなり、母のレビー小体型認知症の発病で久々の映画出演に専念できなくなる。監督の母が同様の症状らしいが病をこれ見よがしに描かないのが良い。幻視という特徴も、ごく自然にそう見えるものとして即物的に映す。劇中の監督は子育てと映画を両立させているだけに、つみきにもう少し希望を与えてほしかったが。