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いきなり『マイ・シャローナ』が流れ、皆でクルマで合唱(合ラップ)するのは『ラッパーズ・ディライト』。そんな1980年が舞台。テキサスの大学野球部選手たちの話なのになかなか野球のシーンにならない。女の子を口説くこと&酒を呑むこと&遊ぶことしかやってない。ていうか基本、文化系のノリなのが可笑しい。「時間」に取り憑かれた映画作家リンクレイターの絶妙なセンスが、ある時代のすでに失われた雰囲気を見事に再現している。無名俳優たちの賑やかなアンサンブルも眩しい。
アルモドバルは円熟の極みに達した。それは要するに地味になってきたということでもあるが、ミステリアスなメロドラマを語ることを何よりも優先するがゆえに、誤解を怖れずに言えば、映画的なマナーをある意味で犠牲にするという彼の姿勢は、ナレーションの使用や、芝居をカメラに収める仕方に如実に示されているのだが、それが意図的に選ばれたものである以上、文句は言えない。それに彼のこうしたやり方に、観客をいつの間にか物語に惹き込む匠の技が宿っていることも又事実なのだ。
これはとても面白かった。痛快無比のコンゲームものであり、ユニークな裁判対決ものであり、ヒネりの効いたバディものでもある。小気味よくスピーディーな展開で、裏切りと企みと謀りの連続と華麗なるリベンジの行方を語り切ってみせる。カン・ドンウォンは前号で評した「プリースト 悪魔を葬る者」とは打って変わってノリノリでイケメン詐欺師を演じている。ファン・ジョンミンは場面によって「顔」が違う。こういう渋い役者がスター俳優になるのが韓国映画界の度量だと思う。
いきなりフルヌードのティルダ・スウィントン。やたらハイテンションのレイフ・ファインズ。アラン・ドロン主演「太陽が知っている」のリメイクだが、世界的ロック・シンガーのヒロインが声帯手術後で殆ど声が出ないという新たな設定がアクセントを与えている。ストーリーは基本的にオリジナルをなぞっているのだが、登場人物の重要度のバランスを変更したのが成功しているとは思えない。個人的にはダコタ・ジョンソンの魅力がいまひとつ。ローリング・ストーンズ愛の映画でもある。
自分にとってリンクレイターはもはやファンタジーの作家。ドキュメンタリー的な要素を取り入れたり、すぐ隣にいそうな人たちを撮りながら、その世界には絶対にたどり着けない。特に本作では「80年代アメリカの大学生活」というフォーマット自体が映画の中でしか観たことのないノスタルジーなので、現実と映画への憧れがメタとなって迫ってくる。男ばかりの野球部の寮、ハメを外したパーティー、色褪せないボーイ・ミーツ・ガール。未体験なのに何もかもが鮮やかすぎる。
母と娘のねじれた関係を描きながら、娘は行方不明になっており、とり残された母が感情のやり取りをすることはできない。物語は唐突に、安直とも思える解決を迎えるが、二人は最初から最後まで断絶されている。どんなに言葉をつないでも真実は映らない。母娘のドラマに浸りそうになろうものならギリギリでバッサリ断ち切られる。キャリアの集大成となる名作になってもおかしくないテーマと技術を持ちながらこの突き放し方は敢えての仕業か。もしそうならこういう円熟の仕方もあるものか。
「ベテラン」の余韻が冷めないうちに観る機会があったため、ファン・ジョンミンに対する期待の勢いが、当時本作を観る上でかなりの後押しとなっていたことが今にしてわかる。お堅い職に就いていながら常識はずれの豪快キャラという類似点も一種のプログラムピクチャー的な装いを感じさせ、作品単体とは別の楽しみ方ができる可能性を持っている。カン・ドンウォン演じる詐欺師の口ぐせである英語フレーズネタへの反応は、英語圏だからこそ素直に笑えることもわかった。
序盤のほうで休暇中の男女の時間に割って入るようにスマートフォンの着信音が鳴るところがある。一瞬自分の電源を切り忘れたかと焦るほどに、今の社会では誰もが一度は耳にしたことがあるだろうお馴染みの音が、劇中ではとんでもない異物であるような違和感を覚える。この使い方が上手い。太陽が明るく美しく輝くほど不穏な空気はじわじわと広がり、プールでの肉弾戦は音楽のつけ方を含めてかなりの名シーン。ダコタ・ジョンソンのファム・ファタールぶりにも痺れる。
自閉型の青春映画が多いので、体育会系の団体生活を送る若者たちの姿は懐かしくかつ新鮮だ。団体の中にいるからこそ個性が光る。リンクレイターの軽快な饒舌スタイルの原点を見るようだ。文句なく楽しく面白い。主人公の年齢順に並べると「6才のボクが…」「バッド・チューニング」から本作を経て「ビフォア三部作」へつながっている。娯楽映画を撮りながらも常に自分自身が作品に投影されている。この主人公は果たしてどんな老境を迎えるのだろう? 是非観てみたい。
アルモドバルの描く女性たちは何故かくも魅力的なのだろう。ヒロインを演じる二人はもとより、夫の女友達、母親、頑固な家政婦などに至るまでみな忘れがたい印象を残す。テーマは人間の責罪感や死であり、暗く深刻なものだが、卓抜な人物造型とストーリーテリングで心地よい緊張感が続く。A・マンローの短篇からの自在な脚色、鮮やかな色彩感覚と選び抜かれた小道具などの美術、印象的な音楽などいつもながらアルモドバルの多才ぶりに感じ入る。本作が20作目、まさに円熟の境地だ。
昨今韓国映画に多い政財界の腐敗堕落を叩く犯罪ドラマで、今回の背景は司法界だ。冤罪で投獄された検事が同房の若い詐欺師と組んで図る復讐劇を、本作でデビューする脚本監督のイ・イルヒョンはかなり荒っぽいタッチで面白く見せる。安楽椅子探偵の趣もある。ベテラン名優ファン・ジョンミンと人気俳優のカン・ドンウォンのコンビはいい配役だが、バディと言うには今ひとつ息が合わない。もっと当意即妙な掛け合いがポンポンと出て欲しい。やや説明過多、2時間6分は長すぎる。
「太陽が知っている」のリメイクだが新しい意匠をこらし斬新な作品になっている。ティルダ・スウィントンは喉の手術直後で声のでないロックスター、お忍びで若い恋人とヴァカンスを楽しんでいるところへ、元彼のカリスマ音楽プロデューサーが現われる。レイフ・ファインズはこのエネルギーの塊のような饒舌な快楽主義者を怪演に近い迫力で演じ場面をさらう。二人の競演は見ものだ。奇妙な再会が次第に不穏な雰囲気になり不条理的な殺人に至る上出来な犯罪メロドラマだ。