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主人公の盲目少女は、技術を序列化するコンクールへの出場よりも、極上の音感を用いた創造の才に長けているようだ。若き男性教師との初対面の日、彼の先導に乗り、彼女が即興によってその想像力を鍵盤に叩きつける瞬間の、無二と言える感動は、ドキュメンタリーでしか描き得ない。先生と少女の二台のピアノが四手によって豊饒なる対話を実現させている。「忘れられた皇軍」の大島渚は〝目玉のない眼から涙だけはこぼれる〟と述べたが、目玉のない彼女には、驚くべき耳と手がある。
私の高校時代、L・アンダーソンがデビューした。1stアルバム『ビッグ・サイエンス』はロックから逸脱したNY派らしい前衛エレクトロとポエトリーリーディングの融合で、高校生の私は第2のニコが出現したと思った。この直感がのちに奇妙な感慨を呼ぶのは二〇〇八年、彼女がルー・リードと結婚したというニュースを見た時だ。私が彼女の音楽を聴いたのは高校時代だけだが、今こうして彼女と30数年ぶりに再会した。愛犬と夫ルーを悼むあまりにも美しく悲しげなシネエッセーにおいて。
大戦終了後すぐにナチス残党狩りという新ジャンルが、O・ウェルズ監督・助演の「ザ・ストレンジャー」(46)あたりを嚆矢として作られた。だが収容所の生き残りだという本作の主人公は90歳。従軍慰安婦の問題と同様、当事者の高齢化と共に、いよいよナチス残党狩りというジャンルも、現在形のサスペンスとしてはこれが最後となるかもしれぬから、心して見届けた。あとは「帰ってきたヒトラー」のようなナチ復活を謳う不気味な風刺喜劇の時代がやってくる。風刺だけに終わればいいが。
この映画では二度の旅が描かれている。先住民が若い時と年老いた時にそれぞれ白人探検家と知り合ってアマゾン地帯を徘徊する。この「二度」というのが示唆的であり、私たち自身の肖像ともなっているのではないか。一度目は青春の旅、生まれるための旅であり、二度目は懐古と悔悛の旅、死を準備する旅である。時を隔てて二つの旅は交錯し、それはあたかも同じ場所の通過を反復しているだけであるかのようだ。アマゾン流域の秘境は私たち心の中を示し、同時に宇宙とも直結する。
眼の不自由な少女が天才的にピアノを弾く。やがて有名になり一流のミュージシャンとして成功――なんてドキュメンタリーじゃないのがいい。からだのハンディキャップを、音楽で乗り越えさせようとする周囲の大人たちの思惑があたたかくて。ギリギリ涙で濡らさない、この淡々の演出。母親だと思っていた女性が実は、という事情を、波紋が広がるように徐々に観客に打ち明けて行く構成も巧く。さらりとしたナレーションも効いている。ラスト、少女の独り歩きの画面だったらなあ、とも。
こういう映画は、家族と友人と熱烈なファンを集めて見せればいいと思った。そう、閉ざされたプライベート・シネマなのだ。だけど、惹きつけられる。それは〝死〟と懸命に格闘しているから。〝死〟をどう受け止めようか模索している心の動き。それを、犬や母、自身の事故の体験を通して探り続ける。その混沌とした軌跡がコラージュ的映像で刻まれていく。そして最後にL・リードの歌声が。その時これが、ローリーの夫に対する深い哀しみと愛に満ち溢れた追悼の映画だと分かって。黙祷。
久しぶりに脚本力を感じる映画。認知症の老人を手紙で誘導して、復讐へ向かわせるというセントラル・アイディアがゾクゾクさせる。しかもターゲットがナチスの残党というのが次のゾクゾク。で、容疑者が4人いて、誰が本物の標的かの謎。それより彼らの許に無事辿り着けるかのハラハラ。その道中の趣向も含め、串団子式構成の巧さを発揮している。アトム演出は乾いたムード描写を生かしガッチリ。プラマーの老巧な演技も楽しめる。認知症の認識に疑問点があり、そこがちと気になるが。
アアマゾンの河を上ったり下ったり。その密林の内外の景観をあれよあれよと眺めて。映画で先住民がちゃんと描かれたのは、これが初めてではないか? そのすべての言動に惹きつけられる。登場人物たちが訪れる先は、白人たちの夢の跡。そこに先住民の生活や存在を破壊しつくした残酷さを思わせて。二つの時間を交錯させた構成だが、演出は素朴。その飾り気のない率直さに、彼らに寄り添おうとする作り手の意志を感じる。多少スピリチュアルに傾きすぎて、モヤモヤした想いが残るけど。力作。
生まれつき目が不自由な少女イェウン。3歳で誰に教わるでもなくピアノを弾き始め、5歳の時にテレビに出演して称賛される。そんな彼女と家族のその後を追ったドキュメンタリー。詳しい資料がないのだが、恐らく、数年間というかなりの歳月をかけて撮影しているだろう。ピアノを中心に添えた、イェウンの心と身体の成長が克明にとらえられている。そして、彼女を見守り続ける母もその過程で変化しているように見える。勇敢な格闘の記録。愛を糧に懸命に生きる少女の姿に圧倒された。
NYアートシーンで活躍し続ける音楽家ローリー・アンダーソン。愛犬と戯れる、そんな何気ない日常風景から、縦横無尽に広がる発想を映像にしたためたシネマ・エッセイ。前半の9・11を契機に起こったNYの変化を見つめる思索の旅は、後半〝死〟というテーマが濃密に立ち込めるにつれ、アンダーソンの内的世界の物語に移行していく。撮影中、夫のルー・リードを闘病の末、亡くしたこともあるだろう。繊細に紡がれる映像と言葉と音楽のミクスチュア。感覚を研ぎ澄まして味わいたい。
認知症を患っている90歳の男。戦中アウシュヴィッツにいたユダヤ人の彼は、友人から手紙を受け取り、70年前に家族を殺したナチスの残党に復讐すべく、4人の容疑者の元を順に訪れていく。21世紀によくぞと思う面白い脚本だ(書いたのは、30代の新人)。が、ひとつ間違えると際物になりかねない物語を、普遍的な人間ドラマに仕上げたアトム・エゴヤンの丹念にしてどこかシュールな演出はもっと冴えている。現代の日常風景が違ったものに見えてくるから! 86歳のプラマーもお見事。
20世紀初頭と中盤、2つの時代の探検エピソードを並列しながら、未知なるアマゾンの世界を炙り出す。「フィツカラルド」(83)や「ミッション」(86)の主人公のように、白人文化をジャングルに持ち込むスタンスでないからか、本作の2人の白人主人公(民族学者と植物学者)は、原住民やその文化に深い敬意を抱き、知的な順応性もあって、闇の奥を静かに観察し続ける。壮絶なロケ撮影。圧巻の映像美。監督は南米の先鋭シーロ・ゲーラ。骨太で思慮深い演出に只ならぬ才気を感じる。