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試写のときに貰った絵本仕立てのプレス用資料に、母が書き遺した数年分の絵入りのバースデーカードが載っていて、いまあらためてそれを読み返し、娘の成長を見守ることができない母親の思いを実感しているのだが、映画では1年ごとのカードの文面があまり印象に残らない気も。というか、現実のエピソードが文面を追いすぎている。ともあれ、母娘映画として素直な作品だと思うが、息子はもっと幼いのにそっちはほったらかしで、気になる。テレビのクイズ番組のエピソードが邪魔。
実のところ、〝ウシジマくん〟の過去や曰く因縁など、知りたくなかった。これまで通り、彼の非情な闇金ビジネスと、客に対する彼なりのケジメだけで終りにしてほしかった。高利を承知で闇金に駆け込んでくる客たちのそれぞれの事情に世相が窺えたのも大きな理由だし、その事情に合わせたウシジマの対応も充分面白かったし。が今回はウシジマの中学時代の出来事を起因にあれやこれやの恨みやしがらみが描かれ、いまいち痛快感が薄い。ま、過去にこだわる男たちはカワイイと思うが。
前作から10年――。監督、脚本家の変更もさることながら、内容に合わせて一新されたメインキャストに世帯交代を痛感する。いや、前2作の藤原竜也(今回もチラッと出てくる)も松山ケンイチもバリバリの現役だが、若手3人が並んだ今回は、デスノートのカラクリより、3人のキャラクターの方に関心が向いたりも。実際、デスノートが6冊に増えた分、話の風呂敷が広がりすぎて、途中、どうでもいいやの気分に。映画がムキになっているわりには、そのムキさがこちらに届かないのが残念。
ひねりのある人情味あふれた脚本と、細部にさりげない遊びを取り入れた演出。中野量太監督に思わず駆け寄りたくなるヒューマン・コメディーの傑作だ。えっ? コメディーじゃないだろうって? 確かに死に往く母親のこころ配りということでは「バースデーカード」の母親に設定は似ているし、痛いエピソードもある。けれどもその痛さをしっかり蹴飛ばすことになる伏線が巧みに用意され、気がついたら泣き笑い。そして宮沢りえ、杉咲花以下、完璧の演技陣。いっそ全員に駆け寄りたい!!
またコレも?(「湯を沸かすほど~」評参照)と一瞬思う設定ではあるが、十年続く死後のメッセージ、死別した母との不思議なコミュニケーションというのは面白く、そういうオリジナルさを立ち上げた作り手は偉い。洋画「ある天文学者の恋文」にも通じる、多くの星々の光が実はその星の死滅後に地球に届いていることとのアナロジー。良い話だけでなく亡き母の手紙を桎梏と感じる娘の苛立ちもちゃんとある。編み物する宮﨑あおいの指先は雄弁かつ説得力あり。観られて欲しい映画。
劇場版の完結篇らしいが、さほどファイナル感は濃厚ではない。ただ、主人公ウシジマの敵にあたるものは間違いなく最も手強かった。その〝敵〟とは、彼の性悪説的世界観に真っ向から対立する性善説が幼馴染みの姿を借りて顕れることと、それに彼が心惹かれてしまうこと。自身の規範が揺らぐウシジマは魅力的だった。また、主要登場人物の少年時代の描写とそこに宿る聖性に胸を打つものがあった。現在より純化された彼らの躍動にこそ冷徹な金の力を超えるものがあった。
試写の際に、作品世界の設定にも沿ったネタっぽい感じで、作品内容への秘密保持契約書なるものに署名を求められ、してしまったことの気味悪さが映画以上に大きくなってきた。評することを〝デスノート〟した。ゆえに私は本欄において、この作品に対しては〝降りる〟。パス。宣伝側が紹介のされかたに希望や注文があるのはわかるが、もはや変なところにまで来ている。そもそもここに取り上げられたとしても客の入りにさして変化あるまい。やめればよろしい。私も本欄辞めたい。
この欄をやるだけで主要登場人物が余命いくばくもないという映画を一年間に何十本も観る。それら日本映画の企画の貧困を許せない気分。死ね! 生を軽んじる安直な映画よ……しかし! 本作は良かった。主人公の死の予定が出発点だとか、ド根性メロドラマとして色々手を尽くしているのが悪くない。また、母もの映画とは、下手すると血縁内の執着というだけの話だが、本作は宮沢りえの設定に効果的なひねりを加えている。愛とは天与のものではなく闘いであった!
我が人生を変えたと言って過言ではない『WOWOW映画王選手権』での優勝は、近親にハリウッドの映画プロデューサーがいるという講師にかつて英会話を習っていた父から「ハイジの実写映画にチャーリー・シーンが出るらしい」と又聞きした話を瞬時に思い出したことで勝敗が決まった。本作でも主人公は亡き母との思い出をクイズの解答に活かしてゆくが、映像の中では常に風が吹いている。それが「いないはずなのに何かがそこにいる」感じを導き、母不在の意味をも悟らせるのである。
これを最終作にする必要はない。原作漫画には多くのエピソードが残っているし、いつの時代も人は金に翻弄されるがゆえ題材には事欠かない。例えば『ミナミの帝王』シリーズのように、ウシジマを脇に添えた構成にすれば、時代に合わせた続篇の製作はいくらでもできる。ジャンル映画やシリーズ映画の製作が難くなった昨今、このシリーズは残された砦のひとつのようでもある。それゆえ、ウシジマの出自にはあまり関心を持てず、むしろ描かないことで魅力が増したのではないかとも思う。
某小説が直木賞の選考において「死神が全能であるのは疑問」と評価され、同時に「死神の描き方にリアリティがない」との要旨でも評されたことがあった。本作の死神は全能でないが、同時にリアリティもない。しかしその有無は、ストーリーの面白さに直接関係が無いように思える。むしろ〝デスノート〟を権力のメタファーとした〝デスノート大喜利〟という原作への愛こそが面白くさせている要因。そして、東出昌大、池松壮亮、菅田将暉、各々異なる男の個性も本作の魅力を高めている。
本作で思わず涙腺が緩むのは、〈死〉が悲しいからではない。厳しい現実に直面しながらも、〈生きる〉ことを諦めない姿に心動かされるのである。〝人生は厳しさの連続である〟を前提にしながら、時に厳しい選択を強いることで問題を解決させる姿。中野量太監督はそれを、忍び寄る〈死〉の影があるからこその優しさに変換させている。本作は煙突に始まり煙突に終わる。立ち上る煙の様子に〈生きる〉ことを象徴させ、登場人物たちの成長と共に煙突の姿もまた成長させているのである。