パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
人物の「心理」や「性格」とはまったく別のところに面白さがあって、複数の場で進行する11分間が、行きつ戻りつオーバーラップしつつ語られる81分。この着想自体は別に新奇なものではないが、監督の年齢からいって堂々たる巨匠の仕事として撮られていても当然なところを、映像と音響に若き俊英のみずみずしさがみなぎっているのが恐ろしい。細かなサスペンスの積み上げの果てに訪れる、クライマックスからラストまでの息を呑むような鮮やかさは、映画にのみ可能な魔法というほかない。
本筋になるでかい計画に手をつける前、主役ふたりがどの程度悪い奴だったのか、彼らが警察組織の実状に絶望していたとしたらどういう理由からなのかが、一応触れられてるようではあるけど描き方が不充分だと思うし、笑えるシーンにしているつもりらしい部分があまり上手く行っていないのがとてもまずいのだが、そのへんをちゃんと処理して全体のペースをもっと上げていたら、かつてのB級映画の傑作群に比肩したかもしれない素材。でも一方で、このぎこちなさが独特の面白さでもある。
リアル「鉄馬の女」が次々登場という趣だが、おばあちゃんだけでなくおじいちゃんも含め、泣き言を言う者などひとりもおらず、みんな勇敢で知的でかっこいい。島の人口構成とか、老人たちと子や孫との関係とかをバッサリ斬り落としたのが大正解で、各人物の(意外な!)過去が明らかになるパートと、ラスヴェガスの大会を目指す部分との配分や構成も非常に巧み。「まさに目の前で事件が起こっている」感が観ているあいだじゅうずっとハンパなく、心を揺さぶられる瞬間が何度も訪れる。
ノーマン・ロックウェルのイラストが動いているかのような画面にニコニコしていると、「古きよきアメリカ」の欺瞞を暴くかのように、憎悪をめぐる重い重い話が始まる。「リトルボーイ」が太平洋戦争を終わらせるって、どんな悪趣味な冗談かと眉をひそめそうになるが、物事の一面的描写をできるだけ回避しようとするこの映画は、このくだりにも見事な決着をつける。「辛子の粒ほどの信仰心」を形象化したような小柄な少年の夢と、現実とのバランスもかなりいい。注目すべき監督の登場。
警察の力というよりは監視カメラが次々に事件を解決していく現代において、スコリモフスキ監督が監視カメラ、Webカメラ、カメラ付き携帯、CGといった技術を駆使して日常生活にひそむサスペンスを撮り、しかも群像劇だという。「早春」などのファンとしては驚くが、巨匠は、大学の卒業制作のような初々しさで作品に取り組み、実験精神も旺盛。惜しむらくは登場人物に魅力が欠けていること。女優を口説くためだけに映画を撮る監督の場面も退屈で、クライマックスを待ちこがれた。
ニコラス・ケイジとイライジャ・ウッドが組織を裏切る警官のコンビをやっている。ともに地味で抑えた演技が巧く、ベンとアレックスのブリュワー兄弟の演出もディテールがいい。全編が暗く悲しく、これでも娯楽アクションかと思えるほどで、イーストウッドの作品とは大違い。70年代映画の影響を受けているとはいえ、安易にはハッピーになるまいとする、新しいアメリカの世代の出現か。事件の鍵を握る女、スカイ・フェレイラも陰鬱で、モノクロームで撮ればよかったのにと思った。
ニュージーランド・ワイヘキ島の風景が美しく、そこに住む老人たちが懸命にヒップホップ・ダンスを習い、ラスベガスに行くという話。都心の映画館にシニア観客が多いご時世では絶好の企画だ。しかし冒頭はまるでゾンビたちが踊っているようで、正直キモチがわるかった。それが元気のいい女性リーダーと若いヒップホップダンサーたちとの交流を重ねて、笑いと涙のエンターテインメントに仕上がっていくのはみごと。同世代から見て、イヤな老人たちも出てくるが、趣味の問題かもしれない。
第二次大戦中のカリフォルニア州の小さな漁村の物語をメキシコの地で撮影しているのに、オールド・アメリカ感に溢れている。監督自身はノーマン・ロックェルの絵にヒントを得たと言っている。大声を張り上げて念力を使う主人公のリトル・ボーイにしたって、「ブリキの太鼓」の引用に見える。ほかにもベン・イーグルのマジック・ショーなど、作者たちの映画的教養が楽しめる。日本人ハシモトを演じるケイリー=ヒロユキ・タガワがしぶくて泣かせる。トランプ大統領候補に見せたい。
ありとあらゆるガジェットやデバイスを介した映像、常に鳴り響いているさまざまな街の雑音、なにやらワケありの人物たち。緻密かつ混沌とした群像劇にザワザワさせられ、それが頂点に達したところで訪れる大惨劇にただただカタルシス。9・11と3・11が頭によぎる〝5時11分〟をめぐる物語だが、あれこれ考えさせる以前にとにかく映像で畳み掛け、押し切る、スコリモフスキ御大の力技に唸るばかり。また、大惨劇なのに美しく撮ってしまう彼の映画監督としての性も愛おしかったりする。
モサッとした風貌に似合わず頭が切れて度胸もあるが、常時キレ気味でもあるニコケイ。なにかと彼に翻弄されては、あの眼をグルグルさせるイライジャ。ふたりの危なっかしくもどこか笑えるやりとりに前半はニンマリ、後半は破れるかいなかの金庫破りだけでなく、謎めいた人物も用意して予想以上にハラハラさせてくれる。ダウンタウンに建ち並ぶ古いカジノやバー、中国人たちが働くうらぶれたケーキ工場など、殺伐としたラスベガスの風景もムードと物語をグッと盛り上げている。
まだ言葉もおぼつかぬ子どもを引っぱり出したり、どこぞの小学校の何年何組が総出で出場すると、萩本欽一の後押しもあって合格ラインの15点以上をクリア。「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」で容易く入賞を狙うあざとい方法論やセオリーみたいなものを、このチーム(というかマネージャー兼振付師)から感じるが、御老体たちのキラキラした姿に和んでしまうのは避けられない。ラジオ体操程度にしか見えぬダンスだが、車椅子に乗った婆さんのフィーチャリングの仕方には唸った。
敵対する相手への憎悪や破壊が人々の原動力、至福、希望になってしまう、戦争の恐ろしさやおぞましさが伝わってはくるのだが、絵面もキャラ造形もノリも牧歌的なもので統一されているので、なんかこうガツンとこない。ここで、フィリピンの戦地と広島の地獄それぞれをリアルかつ壮絶に描いてでもくれれば、少年のいるアメリカンを極めた風光明媚な架空の町との落差と相まってズドンとやられてしまうのだが。とりあえず、少年を演じたジェイコブ・サルヴァーティは可愛いくて◎。