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基本的な設定は宮崎駿的なのだけれど、仕上がりはまったく異なる。もちろんハリウッドの大作アニメとも全然違っていて、間違いなく「あえて」なのだろう計算されたプリミティヴィズムが確かに新鮮。人物の顔の造型がどこかニッポンの昔のマンガ風なのも親しみがわく。全体に落ち着いたトーンで、派手に盛り上げようとすることなく淡々と進んでゆく。アイルランド民話と伝説が元になっているのだが、家族の物語は妙なリアリティがあって、ファンタジーとのバランスがちょっと独特。
最近多い「超大物映画人の伝記映画」は、殆どが遺族の全面協力を得ることによって、未公開の写真や日記、書簡、ホームムービーなどを駆使して作られているが、この作品は、その究極の一本と言ってもいいだろう。稀代の大女優の栄光とスキャンダルに満ちた生涯を膨大な素材を投入して描いていく。イングリッドに成り切って「私」の一人称で(無論スウェーデン語で)ナレーションするアリシア・ヴィキャンデルの起用が効いている。マイケル・ナイマンの優雅な哀調を帯びた音楽も印象的。
こういう作品に「感動」する資質が自分には決定的に欠けているのだと思う。ストーリーといい演技といいカメラワークといい、どこをどう観ても出来の悪いテレビドラマでしかない。東京国際映画祭で観客賞を貰ったそうだが、正直うんざりせざるを得ない。断わっておくが、通俗的であることが悪いわけではない。通俗的で素晴らしい映画は幾らだってある。だが、これは全然駄目だ。笑えも泣けもしない。最も「観客」を舐めている作品が大多数の観客に支持されてしまうという悲惨な逆説。
試写開始後10分でやっと「続篇」であることに気づいた。前作は観ていない。なので人物関係がよくわからないところもあったが、要するに前作で死んだことになってた人(複数)が生きてたってことだよね、と納得。イリュージョンの世界と言ってもリアリティはゼロ、荒唐無稽の極みと言っていいが、それを丸呑みしてしまえば馬鹿馬鹿しくて痛快で面白い。でも資料を読んで知ったんだけど、これってジェシー・アイゼンバーグが主役なの? どう見てもマーク・ラファロじゃないですか?
アニメというより光のアートを観ているような感覚。珠玉は兄が妹を捜すために妖精の光る髪をたどって暗いトンネルの中を行くシーン。彼をとりまく光の粒子はそのまま被写体を照らすライトとなり、観る者の視点を誘導する。暗闇に降る雨の描写も然り。リアリズムとは違う幻想的な照明の使い方は美しく、それ自体が見どころとなっている。絵柄は平面的な線画で構成されているのだが、そのタッチで描かれた男女が口づけるときに二人の唇が一本の線になるのは、線描ならではの醍醐味。
今年祖父が百歳になった。昨年生誕百周年を迎えたバーグマンとはほぼ同い年ということになる。そのせいか、素材は過去のものであっても、視点は現在進行形の時間の中で観てしまう。過ぎ去ったことはいかようにでもロマンチックにとらえられるが、もし彼女が生きていても「恋多き」「愛に生きた」「自分に正直に」という言葉で形容できるだろうか。価値観は当時より多様化しているはずなのに世間の物差しはまだまだそれに対応できていない。百年という時間の長さと短さを思う。
キリストはしばしば史上最大のロックスターとも形容されるが、現代の神父にそのカリスマ性をかぶせたキャラ造形は面白い。ただ、それにしては彼のパフォーマンスも影響力もいかがわしさも生ぬるく、記号にとどまっているように感じられるものの、小物感ゆえに作品全体をコメディーとして成り立たせるコマの役割も果たしているので、このぬるさが本作の求めるユーモアの平均温度なのだろう。途中から医師役のマルコ・ジャッリーニが古舘寛治さんにしか見えなくなってしまった。
ハイライトは4人のマジシャンたちがセキュリティの厳しいチェックの目を盗んで金属製のICチップをカードに仕込み探知機を突破する連携プレー。マジックの要領でガードマンの目を欺きながら、一枚のカードを手の中足の中へ巧みに隠しつつ、パスを重ねて出口を目指す。荒唐無稽レベルの凄技もCGを駆使したイメージやテンポのいい編集で快感を誘う。ただ、もはや手品ではなく、映像トリックとして楽しみたい。ダニエル・ラドクリフはラスボスの定石に違わず運動量が少ない。
ベン少年と妹のシアーシャを残して母親は海へ消える。彼女はアザラシの化身の妖精だった。以来、衰弱して行く妹を救おうとベンの大冒険が始まる。アザラシ女房のセルキー伝説、相手を石に変える女神マカ、海神マクリルなどアイルランドの伝説が下敷きになっているが、そんな知識がなくても楽しめる。「鶴女房」や「天女の羽衣」など日本にも似た伝説はある。水彩画タッチの映像は美しいが、単にきれいで可愛いだけでなく、歴史に繋がる想像力をかきたててくれる。
この映画を観ても、自伝や評伝を読んでも、強く心を打つのは、バーグマンという女性の自分に忠実に生きたいという願いであり、女優である前に人間でありたいという願いである。頑固な理想主義者でもなければ、スター女優のわがままでもなく、全て自然体なのである。アメリカで不当なバッシングを受けたロッセリーニはじめ男性との関係も好きになれば一緒になる、関係に倦んだら別れる――見事に一貫している。子供達の証言もあって、優しく強い女性像が浮かび上がる。
傲岸不遜に病院と家庭に君臨している外科手術の名医と正体不明だが名説教で人気を博している謎の牧師の奇妙な関係がコミカルに展開される。主演二人を初め脇役も上手いので楽しめる。余韻を断ち切るような終わり方は狙いなのだろうが、もう少しじっくりと牧師を描きこんで笑わせ泣かせて欲しい気もする。50年代のデュヴィヴィエの傑作「陽気なドン・カミロ」を思い出す人も多いだろう。幼なじみの喧嘩友達の牧師と共産党の町長を描いたあの喜劇も伊仏合作でイタリアが舞台だった。
個性的な演技派を揃え、世界を股にかけたコンゲームの続篇は前作を凌ぐ。ロンドンの大観衆を前に見せるクライマックスのパフォーマンスは、種明かしもあり見事な名シーンだ。大変に面白いのだが、深い陶酔感を覚えないのはこの映画の本質にかかわるものだろう。身も蓋もない言い方だが、飛行機や象を一瞬に消し去るマジックを眼前で実際に観れば、感嘆、驚愕するが、それを映画で観てもさほど驚かないのは、CGなどの撮影技術を使えば簡単にできることを誰もが知っているからだ。