パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
その存在に、どこか自由な荒野を感じさせる、桃井かおり。女優業に侵食されていないように見えるのも私にはカッコいい。そんな彼女が監督・主演する本作は、桃井かおりが漂わせる自由な荒野を、もう若くない娼婦にそっくり重ね、しかも本人が自分を消さずに演じているだけに、くすぐったいほどリアリティがある。むろん、自由と荒野の必然的な代償である孤独や不安も。自分で自分を持てあましているような。ともあれ、万人向きではないが、ロスでこの作品を撮った彼女はやはりカッコいい。
別々の時空間で、ずっと誰かを何かを探している高校生の男子と女子。2人は出合うことなく相手と出合い、出合わないのに相手の存在に気がつく。何やらヤヤコシい言い回しになってしまったが、思春期特有の〝なりたい願望〟をベースにした本作は、宇宙の神秘まで取り込んでリアルに着地する。とはいえ途中、こちらの飲み込み方がワルかったのか、未消化なところも。が、繊細で美しい絵と、2人のキャラクターを観ていると、それだけで心地よくなり、新海アニメに流れる時間は格別だ。
ネット配信ドラマ『火花』が残念だったのは、劇中の舞台やテレビで演じているお笑いが、まったく笑えなかったこと。むろんメインはお笑い芸人たちのステージ外の話なのだが、どこかで笑える芸も見せてほしかった。その点、本作は、人物たちを中心軸にした悲劇と笑いがシーソーのように上がったり下がったりし、話が深刻になると茶々を入れるようなエピソードを用意、アゼンとしながらもつい笑ってしまったり。ボケとツッコミに、更なるツッコミを入れた渡辺謙作の脚本・監督に座布団を。
光武蔵人作品といえば「女体銃 ガン・ウーマン」にはシビレた。銃を仕込んだ自分の肉体を武器に、組織に挑むヒロイン。その前の作品「サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼」も、武士道風味の無国籍アクションとして小気味いい作品だった。今回もB級アクションの王道をいく作品ではと期待したのだが、残念、ロスで妹探しをする主役のハヤテが顔も体も少年っぽく、特技は殺人空手でも、いまいち影が薄い。いろいろ用意された危険な見せ場もだから妙にウソっぽく、悪役ばかり目立つ。
昔、桃井かおりが「世の中、バカが多くて疲れません?」(苦情があって「バカ」は「利口」に差し替わった)と言う栄養剤のCMがあったが、彼女はいかにもこういうことを言いそうで、その率直さや毒は誰しもが持ち、発露したい部分であり、それの代弁者であることが彼女の人気と魅力の一部だろう。本作はついに辿り着いた「キチガイ(もしくは、マトモぶる奴)が多くて疲れません?」の域。面白い。クドさとキツさに心地よく呑まれた。我儘極まりない昔の彼女のことを思い出した。
良い。「アベンジャーズ」「マン・オブ・スティール」等を観るとアメリカ人がほんとに9・11に傷ついたんだと思う。破壊の残像を、懸命に正義への戦いと最終勝利へと意味づけようとしていた。本作や「シン・ゴジラ」は日本人の3・11体験にとってのそれだ。皆があれに対して、戦い、人を救いたかったのだ。やっとそれを「お話」にできた。かつてカイル・リースはサラ・コナーに言った。「あなたを守るために、時を越えてやってきたんだ」と。本作からその声が聞こえた。
森岡龍、前野朋哉それぞれの監督作を観たことがある。それが面白い。最近の現象か、彼らと同世代で、映画好きで、映画のことをよく知っている若い俳優が増えているのは。で、そういう俳優をつかう監督は緊張するんじゃないかと勝手に臆測してしまう。監督渡辺謙作、こんなにブランクあったのか。大丈夫か…。…あ、面白い! 森岡、前野がすごく魅力的! 繰り返される、笑わせろ! というシチュエーションが優れている。リアルとファンタジーの兼ね合いが良く、最高地点到達作品だ。
不要なキャメラの動きや、「女体銃」に比較して緊密度の後退と思われる部分もあるが、格闘の、素手で人を殺す殺伐をこそフィーチャーする本作の志は高く評価する。男色の剣術使いは漫画『カラテ地獄変』リスペクトか。そう、たったひとりの牙直人あるいはヤング大東徹源を実写映画に招来するだけで、観客の内臓を貫手でえぐるインパクトが可能だ。本作の、千葉真一「殺人拳」あたりや洋画「TNTジャクソン」、近年作品なら「ザ・レイド」と同じベクトルを睨む、その意気や良し。
小説に書かれた文字を、映画で表現するための文字として書き起こした脚本。その文字に費やされる〈時間〉が即ち、作品のリズムやテンポとなる。本作の〈時間〉感覚が原作の其れとよく似ているのは、会話の〈間〉のようなもの、或いはズームに必要な〈時間〉に起因している。精神科医が個人を探ることを示唆するため顔のクロースアップが多用されているが、時折カメラは〈寄り〉から〈引き〉のズームで全体像を見せてゆく。それはまるで、火が燃え広がってゆく様に似ているのである。
中学の頃、親友が〈黄昏〉の由来について話していた。〈たそがれ〉は、元々〈たそ、かれ〉で、〈誰、彼〉なのだ、と。薄暮であるから相手の顔がよく見えない。そこで「あなたは誰?」と相手に訊ねるのだ。このことは「君の名は。」というタイトルと共鳴している。そして「あなたは誰?」が示す意味を変化させながら、全篇にわたる伏線ともなっている。さらに、現代に生きる我々の現実と地続きの世界を描くことで、現実にはあり得ない〝希望〟を描くことの意味をも考えさせるのである。
本国で大ヒットを記録しようともハリウッド製コメディー映画が日本の興行で不遇な扱いを受けているように、映画における〈笑い〉は難しいとされている。〈笑い〉が本職の北野武や松本人志の監督作品における〈笑い〉でさえ、揶揄の対象となるのだから尚更である。本作の漫才コンビ〝エミアビ〟が、実際に『M1グランプリ』の1回戦を突破したことが報じられた。現時点で最終結果は出ていないが、映画の中の〈笑い〉が如何なるものであるかは、現実の顚末が示してくれるに違いない。
本作はタイトルに〈空手〉と銘打たれているが、実のところ〈西部劇〉の体を成しているだけでなく〈イタリア製西部劇〉=〈マカロニウェスタン〉の文脈に則っている。「アメリカに単身乗り込む日本人が西部の荒野を訪れる復讐劇」という発想は、まさにマカロニ的。必殺技で敵を仕留める設定は、香港の功夫映画的であり、同時にマカロニ的でもある。白人VSアジア人というショーダウン(対決)をクライマックスとする理由も、わざわざ異国アメリカの砂漠を舞台とするのもそのためなのだ。