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「よそ者」として捜査に関わることになった刑事が、本来協力すべき仲間たちから妨害されるという状況がスリルを生み、これだけでも充分面白くなる題材だが、そこにインテリ導師という飛び道具を投入。下手をすると胡散臭いオカルト映画になってしまいそうなところをぎりぎりのところでコントロールし、導師もまた師の考えに背きつつ五行理論を駆使して犯人に迫るというサイドストーリーを立てることで、報われないまま信念を貫く人々への応援歌として全体を構成。サスペンス演出も〇。
19世紀末の英国人がコスプレにしか見えず、現実部分はちゃんと現実らしくしてくれないと、と思っていたらファンタジー部分も、少女時代の赤の女王と白の女王の暮らしが全然王族のそれに見えなくて完全に頭を抱えた。そもそも、世界を破滅させかねない冒険に敢えて出発する動機が、これではあまりに弱すぎる。以上は、観客を作品世界に引きずりこむための「リアリティ」のレベルの問題なわけだが、それだけでなくあらゆる面で、前作のT・バートン演出の繊細さと豊かさには遠く及ばず。
キャメラ位置とか脚本の書き方とか若手の演技のつけ方とか、正直もうちょっとどうにかしてほしい部分も多いのだが、内戦の傷が露わになりはじめるあたりから、巧拙を超えたものがにじみ出てくる。多くの監督や俳優が処刑されるなか亡命して内戦時代を乗り越えた、まさに「生きる伝説」というべき女優ディ・サヴェットが別次元の存在感。美貌の彼女が演じる「失われた最終巻」のシーンには、有無を言わせぬ力がある。カンボジアの映画アーカイヴや映画館でロケしているのも見どころ。
個性豊かな面々がチームを組んで数々の難関を乗り越える、ハワード・ホークス映画みたいな展開を想像していたのだが、そうではないとわかったのは、ヒロインが植物学者を説得するシークエンスがいっこうに終わりそうにないと気づいたとき。自然と人間との関わりを問うことこそが、この映画のテーマなのだった。でも映画自体よりも、弁護士が本業でビル・クリントンの選挙戦のリーダーのひとりだったという、監督の経歴のほうによほど驚いてしまった。むしろそっちの映画化が観たい。
70年代に起きた少女誘拐事件に基づく映画だが、近代的捜査を旨とする刑事(キム・ユンソク)が占い師(ユ・ヘジン)と終始、対立しつつ、事件に立ち向かうのが面白い。むしろ導師の感応力が引き立つ演出はキョンテク監督らしい。両者の言い分に時間をかけすぎて、犯人像の描き方が不足したのは惜しいところ。登場人物の顔はいずれも一癖あって、整形したような、最近の韓国アイドルたちの映画を数多く見たあとでは新鮮。説明過多な終わり方だけれど、路地裏や街道の風景が目にしみる。
ルイス・キャロルの原作もCG技術の進歩により、ディズニーの名作アニメ以上に作者たちが想い浮かべたイメージを自由に映像化できる時代になった。今回は製作にまわっているが、ティム・バートンとジョニー・デップのコンビ、頭の大きい、憎々し気な赤の女王も健在だ。「時」をキャラクター化するということで、半身人間、半身機械のサシャ・バロン・コーエンが奇妙な悪役を演じているのがいい。ヴィクトリア朝のデザインのなかで、「エド・ウッド」の幼児的精神はばっちり出ていた。
同じくクメール・ルージュを素材にしていても、84年製作のローランド・ジョフィ監督「キリング・フィールド」は欧米の視点で一貫していたので、見ていて分かり易かった。しかしカンボジアの女子大生の目から見たプノンペンの歴史は複雑だ。あの恐怖の時代には映画監督だと知れたら、粛清された。そこで、ある監督の失われた巻末フィルムを女子大生が新しく撮影することによって再現しようとするサブストーリーには思わず感情移入。軍人の経歴を持つヒロインの父の心の闇は今も深い。
シンメトリーの美しさできこえるフランス庭園でさえ、最近では雑草の生える「野生」が、シックで洗練された都会の庭のキーワードだが、実在の女性園芸家メアリー・レイノルズは自然保護のためにサンザシと雑草だけでショー・ガーデンの世界に挑む。テーマの明快な映画で、彼女は砂漠を緑地化したいと願う恋人を追いかけてエチオピアにも行く。実話にしてはできすぎた物語構成だけれど、植物が美しく、背景も雄大だから、「ヴェルサイユの宮廷庭師」に続き、ガーデン愛好者にはお薦め。
実話とはいえ、古来からの占術が根強く浸透しているお国柄とはいえ、ガッツリというわけではないとはいえ、捜査にその占術の導師が加わってしまうのが面白く、そして驚かされる。また、彼の予言が刑事の直感を確信させたり、揺るがせることで抜群のスリルを生み出すのが巧い。他の刑事たちが醜い手柄争いを繰り広げるなか、人として親として少女を追う刑事&道士のエモーショナルなバディ感も◎。「死亡遊戯」やら「オーメン」やら、捜査本部が設置される映画館の看板群にも注目。
家族の過去をめぐるアレコレで心を痛め、死にかけているマッドハッター。その姿がまんまA・ハードとの泥沼離婚劇で憔悴しきっているだろうJ・デップと重なって見えてきてしまうのが、実にタイムリー。監督がT・バートンからJ・ボビンに代わって、毒々しさみたいなものは消えたが、そのぶん快活なノリがアップ。個人的にはチンタラしていると感じた前作よりは楽しめた。とはいえ、〝みんな仲良く幸せになりましたとさ〟みたいな締め方は行儀が良すぎてなんだか物足りない。
クメール・ルージュの悪夢から逃れられぬ世代と同時代を深く知ろうとはしない若い世代。そんな新旧の世代が、ポル・ポトによって壊滅させられた映画を通じて向き合う構図が、いやおうなく感動を誘う。また、父親の決めた結婚話をガン無視して映画制作に奔走するヒロインの姿を通し、いまだ女性が自由に生きるのが難しいカンボジアの現状を訴えているのも巧み。しかし、劇中に登場するクメール・ルージュが民衆にぶつけまくる標語〝生かしても得なし、殺しても損なし〟は怖すぎる。
英王立園芸協会が主催するガーデニング大会で、アイルランド人が初めて金賞ゲット。両国の歴史や関係を鑑みると快挙だと思うのだが、そうした面には重きを置かない、あくまでヒロインの成長を追った作りに。だが、この彼女がナチュラル・ボーンな天才ガーデニストとして描かれるわりには、致死量ではってくらいの量の塩素を噴霧器で撒き散らしたり、肝心要の野草を枯らしたりと首をかしげたくなるトンマぶりを発揮。まぁ、それが物語の盛り上げにきちんと機能しているからいいのだが。