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「尾行」というヒッチコック以来、映画史の最も神経過敏な主題に図々しく乗りこみつつ、現代日本の凋落と破局の予感をも映す。初監督作とはいえ、良い意味で完全にプロフェッショナルな仕事である。修士論文のテーマに「尾行」を選ぶヒロインの大学院生を演じた門脇麦の醸す不健全さが蠱惑的。部外者の出来ごころの先に、人間の醜い欲望があられもなく開陳され、その現場をスクリーンで覗く私たち観客も高みの見物を叱責されていくような、メタレベルの構造が巧妙に仕組まれる。
知的障がい者施設の記録映像だが、ドキュメンタリーというよりPVに近い。施設の運営では、資金の調達や入居者同士の人間関係など、きれいごとで済まぬ諸問題が渦巻いているはずだが、本作はそうしたリアリティには決然と目を閉ざし、入居者が日々取り組む楽器演奏や陶芸、絵画などの芸術活動を審美的に描写することに注力する。汚くて厳しい社会から隔絶された方舟的メルヘンの構築を、過激なまでに志向した異色作だ。その裏では妙な厭世観が漂流しているように思えてならない。
一九八〇年代の東ドイツで起きたブレイクダンスブームの実話で、興味深い企画である。旧共産圏を再現したノスタルジックな美術・装飾・衣裳がおもしろく、主人公の結成した人気グループが徐々に政府公認化し、政策に取り込まれる皮肉な展開も利いている。だが今さら旧共産圏の抑圧を揶揄したところで何にもならない。むしろ終末期資本主義の抑圧の産物であるヒップホップを、新たなブレヒト的解釈によるマルチチュードの種子として位置付けし直した方が、遥かに刺激的ではないか。
「キャロル」甘口版の趣き。デパガをヒロインとする点で共通する両作だが、クリティカルな同作と比べ、NYに移民したアイルランド女性の成長譚たる本作は穏健派である。色白でがっしりした北方系ヒロインと、イタリア系の小柄な左官職人は愛し合うようになるが、このカップルの体格差こそ、この映画の本質である。姉の急死で一時帰国したヒロインは地元の上流男性と浮気のような交際をし、それがまたお似合いなのだが、お似合いなものは退屈だ。違和との戯れこそアメリカ映画なのだ。
文学的哲学的尾行なんて言葉が提示されるんで、こりゃ難しい映画かなと覚悟。本筋に入ったら浮気男の観察を続ける女子大生の行動を追っていて、見る、見られるのカットバックは映画的。原作にある、女子大生の同棲相手の視点を思いきってカットしたのは功を奏した。が、代わりに浮上した大学教授の挿話はうまく本筋と嚙みあってない気が。後半に至って、ヒロインが身勝手な嬢ちゃんにしか見えないのが辛い。彼女の気持ちを長々と独白させたりと、この監督、脚本の人ではないような。
ドキュメンタリーって取りあげた題材が第一、映画的な味わいは二の次みたいなところがある。が、この作品は描かれている内容もいいけど、映画感覚が冴えている。撮影、構成、編集、音楽と、すべてが考え抜かれ、それをぎゅっと凝縮した印象。作り手はアート系の人たち。常識に囚われない伸びやかさを感じる。ここに登場の障がい者たちを同じ地平の表現者として捉えているところに感銘。世界を百八十度転回させて物事を見たら、気持ちが楽になって自由になった――そんな心地にさせる快作。
ベルリンンの壁がまだあった時代、ブレイクダンスにかける東独の若者たちが描かれて。当局の規制でダンスの振り付けがアクロバティック調になっていくのが、泣き笑いのおかしさ。青年の家族までもが監視される社会主義国家の怖さ。という具合に当時のかの国の状況を背景に、若者たちがダンスを通して自分を貫く姿は面白く興味深い。監督が西独の人のせいか、東側で生きることの痛みとか切なさが足りない気も。路上でのダンスも含めて、音楽シーンの演出がもう一つ弾まないのが残念。
田舎(アイルランド)から都会(ニューヨーク)に出てきた若い女性の成長譚。なんか昔の日本映画にもこんなのあったなと懐かしい肌ざわり。ヒロインの下宿風景は下町物の雰囲気だし、純情タイプの彼氏とのデイト風景も微笑ましい。帰郷して、紳士風の彼氏ができ、田舎と都会、どちらを選ぼうかと悩むあたりも、大仰な演出じゃないのが効果を上げて。全体、描写を控えめにして、五〇年代のムードをよろしく醸し出している。S・ローナン嬢、好演。いやあこれ、ジジイ殺しの映画だなあ。
大学院で哲学を学ぶ若い女性が、担当教授の言葉に影響を受け、ひとりの男を尾行し始める。尾行シーンの大胆なロケ撮影が見どころだ。みずみずしく切り取られていく東京の街に、登場人物たちがスッと溶け込む。その臨場感。覗きという意味では、ヒロインの男への視線以上に、監督の孤独な女たちへの視線の方にユニークなものを感じた。門脇麦の生々しい宙ぶらりん感は魅力的だけど、最後、彼女の研究にアカデミックな評価はいらなかったのでは? 烏丸せつこの大人度に旨みあり。
鹿児島市内にある知的障がい者施設、しょうぶ学園。社会のルールに抑圧されることなく、彼らがありのままで、好きなことをしながら暮らすことのできる場所だ。5年間をかけて施設に通い、ここにいる人々の生き生きとした姿と日常をとても近いところからカメラはとらえる。彼らがバンドで演奏する音楽や、手作業で生み出すクラフトに漲る深い解放感が心地よい。〝普通〟とは何だろう、と人間の本質について鋭く問い、考えを語る福森伸学園長のコメントにも大きな示唆があった。
1980年代、社会主義政権下の東ドイツ。アメリカ映画を観て、当時西側で大流行中のブレイクダンスに心を奪われた若者たちが、路上パフォーマーとしてチームを結成。が、政府は彼らを〝国認定〟の芸術集団にしようとする。文化と国の関係は、社会主義国ならずともデリケートなところがあると思う。さらには表現や活動の規制というテーマを見ていると、異国の昔話に収まらないむず痒さを覚える。ゆえに、ダンス・シーンは楽しいけど、単純明快すぎる結末にはノレなかった。
1950年代、家族を後にして単身アイルランドから米国のブルックリンに渡った娘。洗練されていく彼女が2つの故郷の狭間で2つの愛を知り、本当の人生を選択するまでを描く。これはもう、主演のシアーシャ・ローナンを観るための映画。あどけなさの残るノーブルな顔立ち。若さと品のよさと未来を切り開くパンチ力。そんな聡明な輝きを放ちながら、静かに熱く2人の男性の間で揺らいでみせる。ローナンの存在感自体に物語を感じる。50年代という時代設定が生きたヒロイン映画だ。