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マックィーンは今では、なかば忘れられたスターの一人と言っていいだろう。日本のファンには馴染み深い「栄光のル・マン」の製作秘話を中心に、多数の関係者の証言とファウンド・フッテージを駆使して、その人となりを描き出すドキュメンタリー。マックィーンという人間が、彼が好んで演じた役柄とそっくりの性格だったということがよくわかる。一本気で、豪放で、かつナイーヴ。しかし一本の映画をめぐるトラブルが、これほどまでにかかわった人たちの運命を変えてしまったとは!
前作は観ていない。しかし全く無問題。きっちり楽しませて貰いました。愛は信じるに値するか、この永遠に回帰する問いを、限りなくわかりやすい単純な寓話として中心に据え、あとはとにかく映像の力だけで押しまくる、つまりは最高ランクの大作ハリウッド映画。この手の冒険活劇ファンタジーが大の苦手な私でさえ飽きさせなかった。スノーホワイトが全く出てこないのはもちろんワケありなのだろうけど、うまく逆手に取っている。氷の女王を演じるエミリー・ブラントの「顔」が良い。
ルゥルゥ・チェンは文句のつけようのないルックスをしている。彼女を捉えるカメラはその可愛らしさを増幅するべく完璧に機能している。筋の運びや心理描写は、あくまで画面の魅力から逆算されており、個々のシーンも、ワンショットごとに切り取ってもCMかMVの一部であるかのようなクオリティを誇っている。だが、それだけだ。ここには安易な感傷と都合の良いノスタルジー以外、何もない。メインイメージにも映っている自殺した女優シンディーの名前はプレスリリースに載っていない。
美しい珊瑚礁を持つインドネシアの世界遺産ワカトビに生きるバジョ族、海と水に全面的に結びついたその暮らしを映し出す観光映画と呼んでもいい側面と、少女と母親と帰ってこない父親と遠方からやってきた青年の物語が、独特と言えば独特な、ありがちといえばありがちな感じで縒り合わされている。監督はドキュメンタリー出身だそうだが、画面手前に人物を配した広角ショットの多用は美学的だし、芝居はかなり演劇的に思える。鏡が映像的な小道具の域に留まってしまっているのも疑問。
強すぎる愛情は時に破滅を招く。マックィーンがドキュメンタリー的な撮り方にこだわった「栄光のル・マン」だが、それにまつわる彼自身のエピソードこそが、最高にドラマティックで泣ける映画的要素であった。カーレースに対するマックィーン個人の熱狂的な思い入れは、俳優という枠を超えて映画に関わることで、本人の思惑に反して映画そのものを窮地に追いやる。俳優とスターの違いを語る証言は言い得て妙だ。レーシングカーが走り抜ける排気音の通過が何よりの劇伴となっている。
アナ雪を彷彿とさせる姉妹ものと思いきや、チャステインとヘムズワースのラブストーリーがストーリーのメインでもあり、続篇という立ち位置でありながらタイトルロールの白雪姫が一切登場しない露骨な不自然さは前作の監督と主演女優のゴシップが本篇以上に豊富に物語る。新監督はファンタジー映画としてのポイントは最低限おさえたと思うが、制作事情による物語のつぎはぎ感は否めない。小人の女性コンビを含めて女性キャラが強く、女性映画としての側面は楽しめた。
アイドル映画としての効力は絶大。ヒロインの女優を知らなくとも観終わる頃には彼女を好きになっているような撮り方をしている。少女の制服の短いスカートから伸びた脚をとらえるフェティッシュな目線にも迷いがない。親娘二代の物語にすることで、近年アジア映画圏で流行りの、過去と現在の時間軸を行き来する構成を取り入れているが、スローモーションを多用したカメラワークなど観る者のノスタルジーと感傷に頼る部分も多く、よくできた壮大なMVに見えないこともない。
インドネシアの美しい海に魅了される。その中へ深く潜っていくカメラ。美しければ美しいほど、そこで失われた命が浮かび上がるのは、「桜の樹の下には」のような心理だろうか。そんな文学的なロマンを、ふいに挿入される東日本大震災の津波の報道映像が、現実に引き戻す。海は一家から男性=社会を奪い、取り残された女性たちの生活を語ることが神秘的な世界の描写につながるのは必然だ。現実と祈りの狭間にいる少女、鏡という小道具など、世界観と映像が完全に一致している。
監督脚本不在のまま迷走を続ける「栄光のル・マン」の制作裏話はスター映画の裏面を見せて面白い。ジョン・スタージェスはG・ラヴェルの評伝によれば「大脱走」でマックィーンともめた際、「ジェイムス・ガーナー主演で撮り直す、ギャラは払うから降りてくれ」とハッタリをかませ完成させたが、再び対立した今回、金はあるし歳もとったといち早く自ら降板したという。宿敵ガーナー主演のフランケンハイマー「グランプリ」がいち早く先行公開されたのが何とも皮肉だ。
グリム童話の『白雪姫』を原案とした前作では、可憐なヒロインだったスノーホワイトが今回は支配力に取憑かれた氷の女王となり、悪の化身の姉を相手に壮絶な死闘を演じる。童話は本来残酷なものだが、あの原作からここまで壮大なピカレスク劇を創り出した製作者たちの想像力には舌を巻く。シャーリーズ・セロンの使い方が巧い。この姉妹の奇々怪々な恐ろしさはアルドリッチの「何がジェーンに起ったか」に近い。特撮もいいし、フリークス風の七人の小人たちも面白い。
侯孝賢を敬愛とするいう監督の第一作である。全篇を貫く初々しい清潔感には好感をもてる。台北に住む十七歳の少女とその母親の三十年前の恋がカットバックで描かれる。二役を演じるルゥルゥ・チェンがチャーミング。手書きの恋文とEメール、軍服のような制服とミニスカートといった対比は効果的だが、時代の社会的背景が十分に伝わって来ない。三十年前と言えば戒厳令解除、民主化の時代である。その辺が描き込めればもっと奥行きのある作品になっただろうと思うと残念。
美しい珊瑚礁にめぐまれたインドネシアのワカトビ海域で、昔ながらの漁業を営み自然と共生している漂海民族バジョ族の十歳の少女。ドキュメンタリー出身の若い女性監督は、漁に出たまま帰らない父親の生存を信じて母親と暮らす思春期の少女の微妙な心の揺れを、自分の故郷の美しい自然を背景にヴィヴィッドに描き出す。見ている間、相米慎二の作品が終始念頭に浮んだ。相米映画の少年少女のいきいきとしたイメージがギタ・ノヴァリスタとその仲間たちに重なってくる。