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ゴメン、そそくさとこの映画から離れたい。廣木監督は、職人サンらしい演出で女子中高生向きのラブコメに仕上げているが、話がどうにもこうにも幼稚でアホらしく、もう勝手にしろっ。そもそもこの春、ウンザリしながら観た「黒崎くんの言いなりになんてならない」と同工異曲なのにもアキレる。そしておバカなウソをついたばかりに犬扱いされる二階堂ふみのチャラチャラ演技。観ているだけで尻がムズムズ。そうか、彼女は同世代の若手女優たちに混じるフツーのコになっちゃうんだ。
生きる上での重要なメッセージがいくつも詰まっていることは分かるし、俳優陣も誠実に各キャラクターを演じている。軽い知的弱者の主人公を演じる川平慈英など、ちょっと演技が誠実すぎて、再現ドラマの知的弱者のよう。けれども映画はメッセージや思いがどんなに熱く、強くても感動作に仕上るワケではない。逆にその思いが押し付けがましさに転じることもあり、この映画にはそれがチラッ。キャラのほとんどが無防備なのは原作、脚本の故・今井雅之の人間観だと思うが、嘘っぽい。
いくつもの変死体や不可解な状況での無惨な家族皆殺し事件など、横溝世界を思わせるおどろおどろしい事件が次々と発生、さらに地理や伝説、古文書まで関係してきて、何やら死体と謎の大盤振舞もかくや。けれどもその大盤振舞が、全て映画の中だけに止まっていて、観ているこちらは謎さえ共有できない、いや共有する気にもなれないのは脚本があまりにも独りよがりだからだ。謎のための謎、仕掛けのための仕掛けでは事件の流れ作業と同じ。ロケその他、大作ふうなのにもったいない。
阪本監督は、あくまでも人間という種族の愚かしさ、哀しさ、たくましさを撮る〝地上〟側の監督だと思っていたら、ナント今回は、こちらのそんな思惑など知らんぷりで鮮やかな変化球、もう抜群の面白さ。とにかく団地という俗世間の集合体を舞台に、無責任な噂の裏の裏をかくようにして語られる技ありの展開は、世界は広いぞ、別宇宙もあるのだとキッパリ。そして藤山直美の無念な思いを秘めた穏やかな演技。夫役・岸部一徳とのやりとりはまさに名人芸。愛さずにはいられない傑作だ。
少女漫画のヒットしているものというのは確実に一定水準以上の面白さがある(ということをこの欄で数十回書いたような気が)。その原作にあることをそのままやるだけで面白い。しかしそんなことも出来ない映画があったり、逆に武井咲が意外とちゃんとセックスありで描かれることに感心させられる作があったりいろいろだが本作は……普通。この後に公開を控える、本作と同じ廣木監督と撮影花村也寸志による「夏美のホタル」をなかなか良いと思ったのでその前座だと考えることにする。
原作者今井雅之氏の情熱、闘病と死去が美談として完成されている現在、本作がイマイチだと言うことは憚られるが今ひとつだ。画面が貧しい。登場人物の名やロケ地から言えばもっと神話のようにやるべき映画。「WINGS OF GOD」に働いていた神話化を超えるものが必要だったが果たせなかった印象。Ⅴシネと劇場版がある「右向け左! 自衛隊へ行こう」は今井氏による見事な映画企画の発明だった。川平慈英の熱演によって本作にもそれに似た個性的なキャラ創出はあったが。
博物館職員の地味~な男が、近年のハードなバットマンの如き秘密兵器で瀬戸内海を高速航行する姿に意味不明の感動をおぼえた。私は生半可なシャーロッキアンだが、読者や観客の追随を許さず、共に事態を追わず、謎解きがフェアかアンフェアかなどと端から言わせもしない、ホームズ型の超推理者(本作の主人公御手洗潔もその眷族)こそ、ミステリ性が物語の口実であることを暴露する真のヒーローではないかと思う。面白く観た。悪を外国人にばかり押し付ける構成、描写は×。
阪本順治作品のなかで最高に面白いかも。それが予想してなかった角度からであったことに驚く。SFだ。始まってすぐに『モスマンの黙示』や、菊地秀行原作の映画「雨の町」を連想。しかしそれがそのまま進行することが、映画がそのラインで進行し続けていても信じがたい。なにせベースが松竹新喜劇的、上方喜劇的な空気なのだから。なんたらがなんたらしてなんとかになってなんとかすんのやて。超科学を説明する藤山直美の台詞だ。関西発、逆サイバーパンクの「惑星ソラリス」だ。
少女漫画原作の恋愛映画は、往々にして「設定が突飛」或いは「リアルでない」などと揶揄されがち。本作はその揶揄に対するアンチテーゼとして、映画冒頭で主人公のふたりを渋谷の街の中へと降臨させ、ゲリラ的な撮影を敢行することで、虚構をリアルに見せようと試みている。二階堂ふみをはじめとする役者の演技アプローチはもちろん、終盤の舞台を神戸に移し、物語の前後をリアルな街並に佇むふたりの姿でブックエンドのように挟んだことにより漫画っぽさを払拭させているのである。
「『お金がない!』の取立屋コンビでドラマやってください!」と提案した過日。初対面なのに随分と失礼なことを言ってしまったな、と後で猛省したが、今井雅之さんは「色んな事情はあるけど、やりたいね!」と、我が戯言にも熱く答えて下さった。自身で主人公を演じる脚本を書いて世に出た今井さんらしい〝自分の力で夢を摑む〟ことが描かれている本作は、彼の遺志を継ごうと集まった人々の〝想い〟によって作られていることが大前提。故、当文面も〝想い〟になってしまうのである。
世の中には不思議な出来事がある、しかし同時に、世の中には説明できない不思議もない、と謎を解明する御手洗潔。映画冒頭では、雨の降るショットを俯瞰で撮影しているが、それによって「雨」=「視界不良」=「謎」+「俯瞰」=「全体像」=「御手洗潔による考察のメカニズム」を視覚化してみせているのも一興。玉木宏は2015年のドラマ版に続いて御手洗潔を演じているが、ジャンル映画的なシリーズ物が不在の邦画界にとって、新たな鉱脈となる可能性を秘めている。
本作が興味深いのは、大阪でロケをしなくとも、役者たちの放つネイティブに近い発音を集積させることで、栃木県足利市が大阪の片隅にある団地に見えるという点。そもそもハリウッドでは、バンクーバーをニューヨークに見立てることなどが日常茶飯事なのだから当然と言えば当然なのだが、ここには映画製作に対するあるヒントが隠されているようにも思える。そして、斎藤工演じる男の「五分刈りです」というギャグ(?)を何とか流行らせられないだろうかとも思案するのであった。