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たとえば、清掃の現場で岡田が安藤に声をかけるときの二人の立ち位置だとか、公園でベンチに座ったユカが岡田を指さすときの二人の位置といった、人と人との間の距離の取り方がうまい。つまり、吉田監督は、人の関係を画面空間の位置関係で表すのに優れているのだ。それが意識的にコミカルにしたという前半部で際立つのは、対象に対する距離感が明確だったからかもしれない。後半、森田が中心になるにつれ、それが消えるのは、彼の衝動を摑みきれなかったからではないか。
いまや、どこにでもアイドルは存在する。アイドル生産者と、他人と違う、自分だけのアイドルを求める消費者との共犯関係によって、次々とアイドルが出現するわけだが、本篇の主役であるリリカルスクールも、HIP HOP界のアイドルであるらしい。これも、そんな彼女たちのプロモーション・ビデオとしては、十分成立するのではないか。だが、映画館のスクリーンにかけるのは、ちとツライ。話もそうだが、画面があまりにも平板で薄すぎ、結果、リリスクまで薄く見えてしまうのだ。
ちょっと甘いかと思いつつ、★三つにしたのは、現在、量産される恋愛映画の中では、また、それか、と言いたくなるようなお決まりパターンで盛り上げようというセコさや臭みがないからだ。むろん、綾瀬はるか演じる木絵が描く妄想たるや、いとも子どもっぽい。田舎出の素朴な娘にしても、いまどきの若い女なら、ここまでメルヘンチックじゃなかろう、と言いたくなるところを、押し通しているのが、いっそ清々しく感じられたのだが、それは、こっちがいい加減ヤキが回ったためか。
久々の森達也らしい力のこもったドキュメンタリーだ。一時話題になった「事件」は伝聞程度には知っていたが、それ以上の関心はなかった。この映画の面白さも、そこにはない。あくまでも人間なのだ。佐村河内守という人物、森の問いかけに対して、沈黙するその顔。そこには、紛れもなく現代という虚飾に満ちた時代を生きる人間の顔がある。そして、その脇で手話通訳をするかおりさんという妻、そして猫。それを反照する新垣隆なる人物の今風な軽さ、これぞまさに現代の人間喜劇である。
この監督の分裂的気質が最も的確な方法論で出た作品。最初に注目された「机のなかみ」でも、中盤でぺこっと話を折り返すみたいな感じをやって可笑しかったが、本作でも真ん中でタイトルをやっと出し、これが最上の効果。ここから突然イヤ~な展開となる。凶悪な森田剛のキャラに同情の余地はないんだが、それでも彼を心から憎む観客はいないだろう。正しくはないが、彼はやるべきことをやっていると私は思う。佐津川愛美さんがあまりにエロカワいくて、つい星を足してしまいました。
まさか敬愛する「スチャダラパー」のANIさんの顔をスクリーンでこんなに長々と見る日が来ようとは。それと自転車に乗らない新宿タイガーも。ホントに本人だよね。それはさておき主演ラッパー女子の面々だが、クライマックスの屋上ライヴ(パーティーって言うらしい)は抜群の出来で嬉しい。でもそこまでが長いか。確かに「お待たせ」感はあるのだが。やたらと世界や宇宙やETが救われちゃうのはどうなんだ、とは思うもこれは救われなきゃ話にならないから「これでいいのだ」。
キャストも良く楽しめるがそれ以上ではない。妄想女子の主人公が、妄想力で世界や婚約者を変えるどころか自分すら変えないからだ。得意の平泳ぎ(妄想ね)で英国にいる彼の前にザバッと浮上、出現するのかと期待したのだが。エリートの彼も良くない。確かに二人は幸せになるだろうが、彼は実は「自分が可愛い」のである。そういうことに気づいたから妄想女子は玉の輿ゴールインを拒否したはずなのに。逃亡する花嫁というテーマは良く、発展できる潜在力を持っていただけに残念だ。
映画の後、通路で「やっぱり一番卑劣なのは新垣さんだわ」と怒っているおばちゃん達がいた。が、これは誰が卑劣で、何としても制裁を加えてやらなきゃ気がすまない、という映画ではない。むしろそういう無知に警鐘を鳴らす意図であろう。それにしてもマスコミはこの佐村河内問題でも、彼を引きずり出して謝らせるばかりで彼の言葉を色眼鏡なしで発信する役目を放棄してしまった。この一件あたりからだろうか、週刊文春が正義の味方気取りで暴走を始めたのは。色々考えさせられる。
舞台での噂は聞きつつも、映画では真価を計りかねていた森田の本領を認識。くすんだ男が淡々と殺り始める瞬間に見せる跳躍に瞠目。中盤でタイトルを出す趣向も、これ見よがしになっていない。凄惨な話ながら絶望感が突き抜けきらないのは監督の資質か。森田が警官を殺した後、発覚までに時間がかかりすぎたり、終盤も後手に回りすぎるなど、身内を殺られるとポリが本気を出してくることを思えば、作劇の都合が優先気味にも思える。棒読みで無表情のまま貫き通すムロツヨシが出色。
もう何本か撮っていたと思い込んでいたが映画は初のデモ田中。井口昇との関係から影響濃厚な作品かと思っていると、作品の規模と趣旨をわきまえつつ、枠をぶち破る勢いも含めて既にデモ的個性が発揮されている。低予算アイドル映画だからといって寓話、SFもどきで済ませる者もいるが、律儀に宇宙人のバムさん人形を可動させ、語らせ、SF青春映画に仕立てた職人技は一見の価値あり。リリスクメンバーが演技的には引っ張れない分、スチャダラANIの存在感に助けられている。
妄想癖のある綾瀬の頭の中が映像化されているものの、美術も含め温和的かつ常識的なのがつまらない。彼女の想像力が及ばない部分はもっと抽象的で良かったのでは? 短篇「たべるきしない」で綾瀬が見せた妄想力の方が遥かに女子の頭の中を思わせた。卓越したコメディエンヌの彼女だから持ったような映画だが、結婚への悩みが表層的なので結婚式での行動が唐突に映ってしまう。〈顔で笑って心で〜〉的に活用されると思っていた高台家の人々のテレパス能力もありきたりな使用に留まる。
絶対悪を前にした思考停止に〈悪〉とされる側からカメラを向けることで風景を一変させるのはこれまでと同手法ながら、小保方、ベッキーに通じる時代の空気を反映。鋭く佐村河内の矛盾を突く米国人記者に比べ「全てを笑い飛ばす」だけの日本のマスコミに毒された観客に森は判断を迫る。遮光された部屋、ケーキ、ベランダの喫煙、消火器事件など映画らしさに満ちたディテールを積み重ね、ひっそりと暮らす夫婦の愛の物語へと昇華させる。こんな魅力的な玉虫色映画があったろうか